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北鎌倉の安倍晴明再考 その2

呪術都市鎌倉探訪記
02 /14 2012

今回は晴明石の所在地特定にトライします。もちろん現在の所在地(八雲神社境内)ではなく、かつて石があった場所です。どこかに参考資料がないか探したところ、「浦賀道見取絵図」が出てきました。藤沢市の図書館(総合市民図書館)に行くと閲覧できます。

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浦賀道見取絵図です。

写真の腕も悪いのですが、絵図自体の文字も滲んではっきりしません。

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拡大します。

やはりはっきりしません。ただ、小袋谷川の形は現在とほぼ同じで、道の真ん中近くに晴明石が描かれています。もっとはっきりした図がないかと思ったところ、絵図とは別に復刻版がありました。見やすいのですが、肝心の部分が二枚に分かれています。

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復刻した絵図。十王堂のある側。

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もう一枚。晴明石のある側。

これならわかりやすいですね。しかし復刻絵図には驚かされました。何と、十王堂橋の隣に字晴明石橋とあり、その橋の上に晴明石があるのです。この絵図は文化3年(1806年)に完成したとされ、今から約200年前のものです。

絵図を見て納得の部分と納得できない部分がいくつか出てきました。絵図とグーグル地図画像を見比べてください。


大きな地図で見る
グーグル地図画像。

往還(現在の21号線)と小袋谷川が交わりその先で川が直角に折れて円覚寺方面に向かっているところなど、200年前とほとんど変わっていません。まず十王堂ですが、グーグル地図画像で斎藤牛豚店のあたりにあったと理解されます。

次に晴明石橋の位置ですが、原画では小袋谷川が柄杓状になった部分の1/4ほどの距離を大船方面に進めば石橋になると理解されます。絵図は一般的に観光地図的なものであり、距離の正確性はあまりないと考えるべきです。それでも、かなり捜索範囲を狭めることができるでしょう。

ただ、晴明石橋の存在はそれ自体が問題点となります。川などないはずなのに、どうしてここに石橋があるのか理解できません。石橋の上を跨いで晴明石があるのも奇妙です。石橋は晴明石のサイズ(三尺=約90cm)からして、幅30cm~60cm程度と思われます。つまりこの橋は、側溝の上にコンクリ蓋を置いたようなものだったはずです。

川などないのに橋がある疑問が解けないので、もっと参考資料がないか図書館で調べてみました。すると、円覚寺の古地図が出てきました。

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円覚寺古地図です。見にくいものの、情報の宝庫です。

古地図の製作年代は不明ですが、ヒントがあります。往還の上で川が直角に曲がったところの横に十王堂が区画も含めはっきり出ている点です。貞亨2年(1685年)刊行の「鎌倉志」には「ここまで十王堂有が、今亡なり」と書かれています。この記述からすれば、古地図は1685年以前製作のものとなります。(注:「浦賀道見取絵図」にも十王堂は出ています。過去と作成時点とが混在しているようです。或いは再建された…)

また十王堂の左にずらっと名前が書かれ、その先に今泉道とあります。往還の下側には、はっきり読めないのですが、XX村道がありその先に橋があって道は川を渡っています。この構成は位置関係も含めて現在のグーグル地図画像と全く同じなので見比べてください。今泉道は多分グーグル地図画像に㈱環境創建とある左脇の道に相当します。

古地図では、今泉道から往還を少し北鎌倉駅方向斜めに渡ると、現在のフェイシャルサロン北鎌倉へと続く道に入っていくようです。

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フェイシャルサロン北鎌倉へと続く道側から今泉道を撮影。

往還を斜めに渡るのが写真でも理解されます。そして道は小袋谷川を渡るのですが、古地図にも橋が出ています。この部分もグーグル地図画像と同じです。

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フェイシャルサロン北鎌倉と橋。バイクの先に見える小さなフェンスが橋になります。

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川を渡った側から撮影。

300年以上前の古地図と現在を比較照合できるのですから凄いですね。

さらに古地図の左下に天王屋敷があります。グーグル地図画像では現在のさつき荘のあたりになります。

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さつき荘一帯。何の痕跡もありませんが…。

また古地図画像右から川が直角に曲がり、もう一度直角に曲がったあたりの下側に瓜谷とあります。これは瓜ヶ谷のことです。不可解なのは、瓜ヶ谷を流れる川が小袋谷川に合流してT字を形成するのですが、絵図にも古地図にも瓜ヶ谷の川が見られないことです。

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小袋谷川のT字部分。

画像の上部が往還から下る流れです。T字部分の瓜ヶ谷側に立石があります。何かの目印だったような気もするのですが…。

瓜ヶ谷を流れる川は後世になって付け替えられたのかもしれません。「呪術都市鎌倉探訪記 その9」(2011年3月3日)では、T字の川の形は人工的に作られたのかもしれないと書いています。小袋谷川の二つの直角も人為的な匂いがします。

さらに古地図ではやや見にくいのですが、十王堂橋の右下に下町とあり、画像右端近くの薬師堂道に続く橋の下に上町とありエリア分けされていたとわかります。

但し、この古地図には晴明石橋も晴明石も出ていません。晴明石橋が出ていないだけでなく、橋の下を流れているはずの川も描かれていません。晴明の重要な遺物である石と橋は、「円覚寺古地図」が描かれた1685年(推定年代)から「浦賀道見取絵図」が作成される1806年の間に設置されたものと言う可能性も出てきました。

もちろん実際がどうであったのかは上記史料だけでは不明です。この問題は一旦横に置き、現地で「浦賀道見取絵図」にある晴明石橋と晴明石の場所を特定しましょう。

               ―北鎌倉の安倍晴明再考 その3に続く―
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酔石亭主

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