FC2ブログ

北鎌倉の安倍晴明再考 その3

呪術都市鎌倉探訪記
02 /15 2012

今回は晴明石橋と晴明石の実地調査です。「その1」と「その2」で既に何枚も写真を掲載していますが、ストーリーの都合上北鎌倉駅で電車を降りたところから書き出すことにします。


大きな地図で見る
グーグル地図画像です。

電車を降り県道21号横浜鎌倉線を大船方面に向かって歩きます。すると、すぐに十王橋が現れます。

006_convert_20120214093457.jpg
十王橋です。大船側から撮影。

十王橋の先に斎藤牛豚店があります。この敷地が十王堂とほぼ重なっていると思われます。

005_convert_20120214093530.jpg
斎藤牛豚店。

斎藤牛豚店前を過ぎ少し歩くと、あっという間に小袋谷川が柄杓形となっている部分の1/4(絵図で石橋と石が描かれた地点)は通り過ぎてしまいました。柄杓形の半分近くまで来たところに喫茶店があります。北鎌倉ベルタイム珈琲と言うお店です。二階に「すずきや」と書かれているので、昔は鈴木さんが別の家業を営んでいたのでしょう。

009_convert_20120214093557.jpg
ベルタイム珈琲。

お店の脇に路地があり、側溝もあります。この溝に晴明石橋が架かっていたのでしょうか?石橋を架けるだけの水量があるか疑問に思えますが、絵図と比較すれば既にその場所を過ぎているので、ここが目的地の可能性もあります。確認のため、お店に入って話を聞くことにしました。

コーヒーを運んで頂いた女性に話しかけたところ、近くに居られたご主人から詳しい内容をお聞きすることができました。

まず、お店の前にかつて晴明石があったと思うがどうなのか質問しました。すると……。

店の脇の路地の先にかつて井戸があり、水が自噴して流れていた。それが晴明井戸とされているとのこと。今は路地の下になっているが、ご主人が子供の頃にはまだ井戸があったそうです。あっと言う間に晴明井戸に行き着いてしまいましたが…。

031_convert_20120214093709.jpg
路地です。側溝があるので、多少なりとも水が流れているはずです。

007_convert_20120214093636.jpg
路地の先にある空気穴。このあたりに井戸があったようです。

また、近所にお年寄りの郷土史家の方がいて、その方の意見では晴明石の周囲四カ所に晴明井戸があり、その一つがベルタイム珈琲脇の路地にあった井戸とのこと。四つの井戸で晴明石の結界を構成しているような雰囲気です。あるいはもっと別の意味があるのでしょうか?しかし、「新編相模国風土記稿」の記述すなわち晴明石が二カ所にあり、それぞれの傍らに晴明井戸があるとの内容からは離れています。

では、肝心の晴明石はどこにあったのでしょう?最も知りたい点をお聞きすると、答えは大船方面に向けてここからさらに数軒先とのこと。

絵図とは違ってきますが、何しろ往還中にあった晴明石を実際に見ている方のお話ですから間違えようがありません。ご主人とともにお店を出てその場所に案内していただきました。

041_convert_20120214093743.jpg
晴明石のかつての所在地。円覚寺古地図にある今泉道に相当する場所と思われます。

写真ではマンホールのあたりに晴明石があったのです。戦後の道路拡張前、往還は家のある側から中央分離線部分までしかなかったとのこと。戦後黄色い中央分離線下半分が拡張され、そうなると石は道路のほぼ中央にくるので、動かすしかなかったと話されていました。

往還中に石があった当時は道の上に出ている部分はあまり高くなく、平石のような感じだったそうです。(掘り出したところは見ていないので石全体の高さはわからないとのこと)

次に、絵図には石橋があり、石橋の上に晴明石が載っているような形に見える点をお話ししました。ご主人は石橋の存在についてご存知なかったのですが、しばらくしてそう言えば子供の頃石橋があって座ったことがあるのを思い出されました。但し、往還中ではなく道路際の側溝部分のようです。

その石橋が絵図の石橋とは別物であるにせよ、側溝には少なくとも石橋が必要なほどの水量があったのは間違いなさそうです。側溝が斜めの部分はグレーチング蓋となっています。水量を確かめるため蓋の上からのぞいて見ると、結構な量の水が流れていました。

035_convert_20120214093817.jpg
溝の水流。

ここで下の写真をご覧ください。

032_convert_20120214093856.jpg
写真。

山の上に社が見えますね。実はこれが八雲神社です。つまり写真の道は八雲神社へと続く参道でもあったのです。(現在はJR横須賀線と北鎌倉駅により道が分断されている)

018_convert_20120214093931.jpg
今泉道から見た八雲神社。突当りが北鎌倉駅のプラットホーム。

019_convert_20120214094014.jpg
八雲神社を拡大した写真。

グーグル画像で見ると、天王屋敷、晴明石橋、晴明石、八雲神社が一直線に並びます。だとすれば、晴明井戸もこの直線上に並ぶのではないでしょうか?

そうご主人にお話ししたところ、写真左手の黒塀のお宅も路地脇に井戸がある(実際に見ました)、しかし北鎌倉は地下水が豊富でほとんどのお宅に井戸があるので、どれが晴明井戸かは実際のところわからないとのことでした。

四カ所の晴明井戸に関しては、地元の方たちによって掘られた井戸が、いつの間にか晴明井戸へと転化していったのではないかとも推定されます。(あくまで勝手な想像ですが…)仮に黒塀のお宅の井戸が晴明井戸とすると、そこを柄杓の先端にすれば京都の晴明神社と同じ形になってしまいます。

0071_convert_20120214094146.jpg
電子国土画像。

井戸と脇の流れ、小袋谷川で柄杓状にしてみました。ほぼ完全な北斗七星になります。京都の晴明神社と同じ構成となる以上、黒塀のお宅の井戸が晴明井戸である可能性は高くなります。なお京都の晴明井戸は上部に五芒星が象られています。五芒星に関しては以下Wikipediaより引用します。

五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられている。印にこめられたその意味は、陰陽道の基本概念となった陰陽五行説、木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を表したものであり、五芒星はあらゆる魔除けの呪符として重宝された。
日本の平安時代の陰陽師、安倍晴明は五行の象徴として、五芒星の紋を用いた。「安倍清明判(あべのせいめいばん)」や「清明九字(せいめいくじ)」とも言い、キキョウの花を図案化した桔梗紋の変形として、「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも言う。

北鎌倉における晴明石と四つの晴明井戸は、結界ではなく五芒星を構成していたのかもしれません。(これは勝手な想像ですが…)

いずれにしても、晴明石がかつて置かれていた場所の特定はできました。また晴明石橋も絵図通り存在していた可能性は高いと思われます。

さらに晴明屋敷近くに位置する晴明石橋の存在は、京都における一条戻橋(晴明の屋敷跡近くにある)と対比することができます。一条戻橋は大内裏の鬼門に当たり、魔界への入口、あの世とこの世の境にある橋として都人に恐れられてきました。 晴明はこの橋の下に式神を隠していたとされます。

驚くべきことに、晴明石橋の所在地もまた鎌倉の鬼門ライン(稲村ケ崎の金山に鎮座する白山神社と本郷台の鍛冶ヶ谷付近にかつてあった白山神社を結ぶライン)上にあります。しかも、一条戻橋が洛中と洛外を分ける境界であったように、晴明石橋の所在地は鎌倉の内と外を分ける境界だったのです。これほどの符合が、遠く離れた京都と北鎌倉で偶然に成立したとはとても思えません…。明らかに意図されたものと言えるでしょう。

鎌倉の鬼門ラインに関してはカテゴリ「頼朝以前の鎌倉」、記事「鎌倉の地名由来を考える」(2010年6月22日)を参照ください。これには秦氏や由井の民など特殊技能民が関与しているのですが、安倍晴明も一枚噛んでいたのです。本当に怪しいですね…。

なおベルタイム珈琲のご主人から頂いた他の情報は以下の通りです。

どこまでかは不明だが、ベルタイムからさらに大船寄りまで円覚寺の領域だったらしいとのこと。本件は「その2」の円覚寺古地図を参照ください。古地図で往還から上の部分は少なくとも円覚寺の寺域であったと考えられます。

次に、酔石亭主との考え方と全く同じで驚いたのですが、小袋谷川が直角に曲がっているのは絶対に自然ではあり得ない。またZ字に曲がっている部分もおかしいとされていました。明治天皇が鎌倉を行幸された際何らかの理由で変えたのかも、との推測もお聞きしました。

これに関しては、古地図からすると1685年の段階で既にこの形になっている。だとすれば、川の形は安倍晴明が北斗七星を象って曲げたのではないかと自説をご説明したところ、興味深そうにお聞きいただけました。

晴明石のあったあたりは交通事故が多く発生したとのこと。もちろん、石のせいだとはおっしゃりませんでしたが…。ちょっと怖くもあります…。

またご主人より、郷土史家の方は晴明の屋敷がこのあたりにあったと考えている旨お話をいただきました。その通りであれば、不自然な川の曲がり方は安倍晴明に起因すると考えて矛盾はなさそうです。

なお小袋谷川が不自然な直角を示す位置にある斎藤牛豚店は、JR横須賀線で断ち切られた背後の山が下っている場所にあります。だとすれば、山の岩盤に突き当たったので川が直角に曲がった可能性も考えられますが、次の直角やその先でZ字形に曲がる理由は説明できません。

043_convert_20120214094054.jpg
斎藤牛豚店の裏手。ぐっと高くなっている地形に、かつて山裾が続いていた片鱗を見ることができます。

以上、晴明石と晴明石橋の所在地は確定しましたが、ベルタイム珈琲横の路地にあった井戸も晴明井戸かは不明ですし、それ以外にも何点か疑問はあります。もっとあれこれ考えてみる必要があるのです。

                 ―北鎌倉の安倍晴明再考 その4に続く―
スポンサーサイト



酔石亭主

FC2ブログへようこそ!