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北鎌倉の安倍晴明再考 その4


晴明石と晴明石橋の所在地は前回で確定したものの、幾つかの疑問がわき上がりました。

例えば、「浦賀道見取絵図」より120年以上前(少なくとも1685年より以前)に描かれた円覚寺古地図には石と石橋が見られません。絵図と違って古地図は地元の様子を詳細に描いています。その中に晴明石と晴明石橋が書き込まれていないのです。

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円覚寺古地図を再度掲載。

現代においても小橋に過ぎないフェイシャルサロン北鎌倉先の橋が円覚寺古地図に書き込まれているのに、晴明石と晴明石橋が存在しないのは極めて不自然です。(絵図は観光地図に近いものですが、円覚寺古地図は正にこの一帯を詳細に描いたもので、正確性はあると判断されます)

加えて、晴明石は鎌倉砂岩ではありません。どこかから運ばれてきたものです。一帯に晴明の居館があったとすれば、庭に据えられた石組の一部であった可能性もあります。

と言うより、この地に晴明の居館があったと伝えられてきたことが、晴明石と井戸の伝説の元になったとも言えるのです。晴明石と晴明石橋は円覚寺古地図が描かれた1685年(推定年代)以降に設置されたもので、それを晴明石と晴明石橋とするのは後世の捏造であったとも考えられます。

「浦賀道見取絵図」は逆に、晴明石と晴明石橋を過剰なほどはっきり描き込んでいます。(なぜか八雲神社は描かれていない)これは絵図作成に当たり地元の意向が強く働いたようにも感じられます。安倍晴明とくれば、観光資源とするにはうってつけですから…。もしかしたら、橋の袂に晴明茶屋があって晴明饅頭でも売っていたのかもしれません。では、かつて往還中にあった晴明石の歴史を推測してみましょう。

1685年段階で晴明石は小袋谷川の柄杓状地内(晴明の居館跡)にあったが、1806年段階では石橋が造られ、石も往還中に移されていた。1806年以降石橋の下を流れていた川は例えば立ち並ぶ家の前に側溝が掘られ、そこに付け替えられ、往還の隅を道と並行して流れるようになった。

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側溝の写真。

側溝が斜めの部分はグレーチング蓋となっていますが、この部分は溝の位置を動かしているようにも思えます。

これにより石橋は不要となり撤去され、石も通行の邪魔にならないようある程度深い位置に据え直された。この時点で、ベルタイム珈琲のご主人が幼い頃見ている晴明石の状態になった。晴明石は戦後の道路拡張で近くに移されたがそこも具合が悪いので、最終的に八雲神社の境内で祀られることとなった。石の傍らにあった晴明井戸は候補が多くどれが相当するのかわからない。と言ったところでしょうか。

上記は晴明屋敷があり、晴明石と晴明井戸が屋敷のあった当時から存在していたとの仮定に基づいて書いています。晴明屋敷が存在しないなら、晴明石と晴明石橋は後世の捏造となるのです。

晴明屋敷はかつて実在したのかしないのか?どちらも一定の根拠があって、確定し難いものがありますね。

では、もう一カ所の晴明石と晴明井戸はどこにあったのでしょう?

                ―北鎌倉の安倍晴明再考 その5に続く―

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