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北鎌倉の安倍晴明再考 その6

呪術都市鎌倉探訪記
02 /26 2012

北鎌倉山ノ内における安倍晴明を書き終え、藤沢市にも安倍晴明の旧跡が存在していることを思い出しました。場所は藤沢市村岡の御霊神社裏手です。

神社が鎮座する山の裏側に下ると鎌倉古道が部分的に残り、道は神戸製鋼所脇に続いています。神戸製鋼所敷地内の一角に兜山(兜岩)があって、安倍晴明はここで雨乞いの儀式(五龍祭)を執行したとされているのです。現在では工場のフェンス越しになりますが、兜岩を見ることができます。


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グーグル地図画像。ハイツNANAから少し東に歩くと左手に兜岩が見えてきます。

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御霊神社の鎮座する山を裏手から撮影。

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兜岩。

(木々の葉が落ちる冬場でも、兜岩の全容はなかなかうまく撮影できません。夏の工場一般公開時期にでも行ってみたいものです)

ここは晴明塚とも呼ばれ、藤沢市内において唯一晴明の痕跡がある場所です。現在は藤沢市ですが、かつての村岡郷は鎌倉郡に含まれており、本記事も「北鎌倉の安倍晴明再考」のタイトルを使用することにしました。

実は兜岩に関して、呪術都市鎌倉探訪記 その4で詳しく書いていますので参照ください。今回は同じ内容をまた書くのではなく、少し異なった切り口から藤沢市における安倍晴明について考えてみます。

復習になりますが、この場所が晴明塚とされる理由を見ていきましょう。はっきりした根拠が二つほどあります。

村岡御霊神社に関する神奈川県神社庁のホームページ最後に、付近の旧跡として「兜山(兜松)清明塚」と記されています。また「新編相模国風土記稿」にも、藤沢市宮前に安倍晴明が雨乞い祭を執行した晴明塚があると記されています。以上から晴明塚の所在地は確定しています。

晴明は多分、藤沢市に入ってから北鎌倉へと向かったのです。一体何が藤沢市と晴明を繋ぎ、それが北鎌倉の晴明屋敷や晴明石へと接続させたのか?まずはその経路を探ってみます。

あくまで伝説ですが、安倍晴明は安倍保名と白狐の間に生まれた子とされています。安倍保名は陰陽道の達人賀茂保憲を師と仰ぎ、その娘である葛子と結婚しました。

ところが保憲父娘は橘元方の讒言により相模国の藤沢に流刑となるのです。しばらくして、藤沢にいるはずの葛子が阿倍野にいる保名の元にやってきます。もちろん藤沢に流された葛子が許しもなく阿倍野に戻れるはずがありません。

この葛子は以前保名が助けた白狐の化身だったのです。そして二人の間にできた子供が安倍晴明となり、保憲から陰陽道の神髄を学ぶことになります。

以上から、晴明と藤沢を繋ぐ回路が出てきました。続いて、保憲父娘の時代の藤沢を見ていきます。保憲の生没年は延喜17年(917年)~ 貞元2年(977年)で、鎌倉権五郎景政の大庭御厨はまだ成立していません。保憲時代の藤沢など、ほとんど原野状態と言って過言ではないはずです。では当時の藤沢にどんな歴史があったのでしょう?

桓武平氏の祖である葛原親王(かずらわらしんのう)は藤沢に来たとされます。生没年は延暦5年(786年)~ 仁寿3年(853年)。保憲が藤沢に流される半世紀以上も前に、親王は同地に足跡を残していました。(既に何度か書いていますが、親王は秦氏と近い関係にあり、彼が東国に下向した折、親王家の家令である秦福代が同行した可能性があります)

よって藤沢北部には葛原と言う地名があり、葛原親王を祀る皇子大神が鎮座しています。葛子と葛原。何か関連するものがありそうな気がします。そして京都における秦氏の支配地域は葛野でした。


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皇子大神一帯のグーグル地図画像。

皇子大神の詳細は頼朝以前の鎌倉を参照ください。

もう一つが村岡の御霊神社です。神社庁ホームページによれば由緒は以下の通り。

祭神の崇道天皇は桓武天皇の御宇延歴十三年五月に現在の京都市上京区上御霊前通り上御霊監所に祀れし給しこと、その後この地(村岡)に村岡五郎平良文公が住し天慶三年平将門が征討の為御霊神社を勧請し戦勝祈願をなしたるを始めとす、のち鎌倉権五郎影政を合わせ祈り二柱たりしが北条時頼の命により葛原親王、高見王、高望王、の三柱を加えて県下に十六の分社がありその後村岡総鎮守として現在に至っている。

天慶三年とは940年のことです。平良文の生没年は仁和2年(886年)~天暦6年(953年)となります。系図で見ていきましょう。(部分的にWikipediaより引用)

 桓武天皇 天平9年(737年)~ 延暦25年(806年)
   ┃
 葛原親王
   ┣━━━━━━━┓
  高見王?    高棟王(平高棟)
   ┃
  高望王(平高望)
   ┣━━━┳━━━┓
  平良文 平国香 平良将
          


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村岡の御霊神社です。

平安中期の藤沢市で歴史を有する地域は上記二カ所と思われます。つまり、桓武平氏の祖となった人物の地である葛原と村岡が保憲父娘の行き先であったと推定されるのです。それにしても不思議ですね。葛子と葛原の奇妙な名前の部分的一致。村岡御霊神社の鎮座地裏手に晴明塚がある事実。晴明と桓武平氏は何らかの関わりがあるのかもしれません。だから安倍晴明は平将門の子供との説も出るのでしょう。
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酔石亭主

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