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大磯・高麗山の秦氏 その1

大磯・高麗山の秦氏
04 /21 2012

「相模国の秦氏」を書く中で高麗山周辺にも秦氏の存在が想定され、いつか詳しく探索すべきと思っていましたが、あまり面白い内容にならないとの推測もあり、今日まで放置していました。しかし、秦氏の存在が想定されるならやはり見ておくべきだと考え直し、今回のシリーズをスタートさせることになった次第です。

大磯の背後になだらかな山容を見せるのが高麗山です。その名前の通りこの一帯は渡来系の匂いがプンプンします。遠い昔の大磯はどのような地だったのでしょう?また、秦氏の痕跡を大磯で見つけることができるのでしょうか?それを探るため高麗山に向かいます。自宅からは車で30分も掛かりません。今まで放置していたのは怠慢ですね。

一般的に秦氏は神体山とするに適した山の麓を好みます。例えば富士山麓や大山の麓にある秦野です。日本の最高峰である富士山は別格として、大山と比較しても高麗山は神体山とするのに低すぎるような気もしますがどうなのでしょう。

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海側から見た高麗山。

撮影場所は大磯漁港の脇で位置はあまり良くありません。しかし、中央の山の脇に二つの山が控えているように見えませんか?そう、湘南アルプス(何と大げさな呼び名)の一つ高麗山は、三神山に見立てられるのです。

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花水川に架かる134号線の橋から見た高麗山。

徐福はかつて、はるか東の海に蓬莱・方丈・瀛洲(えいしゅう)の三神山があるので不老不死の薬を求めに行きたいと始皇帝に具申し、日本を目指しました。

高麗山の山容は徐福が求めた三神山を想起させるものとも考えられます。三神山の背後に聳えるのが典型的な神体山である大山です。大山周辺から秦野にかけては秦氏の痕跡が幾つか残っています。

だとすれば、徐福系秦氏の一部が駿河湾の宇記島原(現在の浮島)に上陸せず航海を続け、大磯に上陸したとも推定されます。まあ、現時点では単なる想像にすぎませんが…。それを証明する痕跡が高麗山にあるかどうか、楽しみです。


大きな地図で見る
グーグル地図画像。

画像の川は金目川ですが河口部では花水川と呼ばれ秦野から流れています。金目川の名前も渡来系を想起させますが、その源流は秦野市蓑毛の大山南斜面。蓑毛と言えば大日堂があって秦川勝の伝承が存在します。詳しくは「相模国の秦氏 その6」を参照ください。さて金目川の流れは秦野市落合で三ノ塔を源流とする葛葉川と合流。さらに秦野市河原町で塔ヶ岳を源流とする水無川が合流し、花水川となって相模湾に注ぐのです。

秦野市には唐子(からこ)さんが大磯に上陸して秦野に移住したとの伝承が残っています。また画像にある花水川河口の地名は唐ケ原で、海岸は唐ケ浜です。

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唐ケ原です。何の変哲もない光景ですが…。

大磯周辺に出現する「唐」の文字。これらは何を意味しているのでしょう?高麗(高句麗)との関連だけなら「唐」は必要ないはずです。なの「唐」に関連する地名や伝承が残されている。そう、地名や伝承から判断して大磯一帯は高麗系だけの土地ではない、秦氏系と高麗系が重層している地と考えられるのです。と言う点に留意しつつ大磯に向かいます。

ところで、大磯の地名由来は朝鮮の古語である「オイソ」(いらっしゃいの意)にちなんでいるとのことです。(ネット上にそう書かれています)ほんとかいなと思い、韓国観光公社のホームページを見たところ、以下の記載がありました。

釜山のジャガルチ市場
- 韓国最大の魚市場、釜山を代表する名所 “オイソ!ポイソ!サイソ!”※釜山の方言でオイソ=いらっしゃい、ポイソ=見てらっしゃい、サイソ=買ってらっしゃい、の意


どうやら間違いなさそうです。でも、買ってらっしゃいと催促するから「サイソ」なんでしょうかね?それはさて置き、最初の訪問場所は高麗山の麓に鎮座する高来神社(たかくじんじゃ)です。

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高麗山を背景にした高来神社の鳥居です。

位置関係は地図画像を参照ください。写真左手の山が高麗山になります。鳥居を潜り神社に入ろうと思ったのですが、右手にお寺が見えます。

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鳥居越しに見る高来神社と右手のお寺。

先にお寺へ行ってみましょう。

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お寺です。慶覚院と言います。

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解説板。

本尊の千手観音像は大磯唐浜で漁民が引き上げた像で、高麗人の渡来に関する由来を持つ像として有名だとあります。神社に行く前にもう渡来系が出てきました。このお寺に関してもう少し詳しく見ていきます。

雉足山慶覚院は天台宗の寺院で、慶長18年(1613年)、大磯南下町(大磯消防本部付近)に創建され、明治15年の大火で類焼。現在地(旧高麗寺地蔵堂)に移ったもので、高麗寺の末寺であったとのこと。本尊の千手観世音像に関してはかなり疑問もありますが、それは横に置き神社へと向かいます。

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高来神社の社殿。

お寺の本堂じゃないかと疑問の声が出そうです。それもそのはずで、この建物はかつて高麗寺の観音堂だったのです。

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社殿の全容。

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神輿殿。地元の方にお聞きしたところ、神輿が収納されているとのことです。

まず神社の解説板を探しました。社殿と神輿殿の間に解説板自体はあるものの、摩耗したのかあるいは取り下げられたのか何も記載ありません。これではどうにもならないので調べたところ、かつては境内図と由緒が掲示されていたようです。

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かつて掲示されていた境内図部分。

神仏混淆時代の図なので高麗寺となっています。じっくり見ていくとなかなか面白いですね。山頂部には高麗権現社を中心として、東に秦氏と関係の深い白山社、西にミトラ神(仏教では弥勒菩薩)が変容した毘沙門天を祀る毘沙門塔があります。

この三つで正しく三神山の構成となっています。秦氏がこの地に興味を持たないはずがないと思いますが、詳しくは次回以降で検討していきましょう。

             ―大磯・高麗山の秦氏 その2に続く―
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酔石亭主

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