信濃国の秦氏 その11


波多腰姓の謎は追って探るとして、今回は長らく放置していた大野牧に関して詳しく見ていきましょう。以下Wikipediaより再度引用します。

8世紀初めに、波田・安曇・山形・和田にかけての地域に、大野牧という養馬を目的とした牧場(御牧=みまき=勅旨牧)が造られた(延喜式)。これは、663年に白村江の戦いで新羅と唐の連合軍に敗れ、応援していた高句麗が668年に滅ぼされた背景に、自国の騎馬の貧弱さがあると考えた朝廷が勅旨をもって、全国に33の御牧を造ったが、その1つであり、中信地方には、大野牧以外にも、埴原牧(松本市中山・内田・塩尻市片丘広丘)と猪鹿牧(穂高)が造られた[4]。その後、大野御牧の牧長であった秦氏は、牧内の水利のよい場所を私墾田として開発し、ここを不輸・不入の特権を持つ荘園として実権を握る。


8世紀に大野牧が造られたことと、秦氏が牧長になった時点がそのまま一致しているのか今一つ明確ではありません。また、大野御牧の牧長が秦氏である点の根拠や出典も示されてはいません。

一方和田堰(=大井堰)の秦氏築造は、京都における葛野大堰の築造により川の名前が大堰川(=大井川)に変化した点から導き出されてきた部分もあります。同様に、日本における最も古い牧に秦氏の関与があったかどうかを見ていけば、大野牧に秦氏の関与があった証明になるのではと思えてきます。

と言うことで、今まで何度も取り上げた関西における秦氏の重要拠点寝屋川市に飛びます。この地には秦や太秦、川勝などの秦氏地名があって伝秦川勝の墓まであります。でも、なぜ秦氏は寝屋川一帯を自分たちの拠点としたのでしょう?それを探る中から秦氏と古代牧の関係を浮き彫りにしたいと思います。


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寝屋川市を示すグーグル地図画像。(もう何度も掲載していますが…)

まずは古代牧の起源を探る必要があります。寝屋川市の数キロ南、四條畷市蔀屋(しとみや)で鉄製の馬具の一部などが発見されました。大阪府教育委員会が実施した平成13年度からの蔀屋北遺跡発掘調で、馬の全身骨格や様々な馬具が出土し、この地こそが日本最古の牧であり、「日本書紀」にも記された河内馬飼(かわちのうまかい)の本拠地であると確認されたのです。


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四條畷市蔀屋一帯を示すグーグル地図画像。

さらに、寝屋川市太秦のすぐ近くにある長保寺遺跡(寝屋川市昭栄町/出雲町)一帯は古墳時代中期における古代の港跡と考えられ、遺跡からは外航用準構造船、各種土器、船材・扉材などが出土しました。また塩を入れる小さなコップ形の容器と馬の歯が共に出土したことから、馬の飼育が行われていたと想定され、河内馬飼との関係が想定されています。


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寝屋川市昭栄町一帯を示すグーグル地図画像。拡大すれば全部が隣接しているようなものとわかります。

さらにこちらのホームページを参照ください。
http://www.geocities.jp/kakejiotto/jiichi/n013.html

寝屋川の歴史を知るのに格好の資料ですが、No.013讃良寺(さらじ)の項に以下のように記載されています。

旧讃良郡に存在の郷名は和名抄にあげられていますが、今もって不明とされている郷に牧岡郷があります。この地は、小路・国守町・打上にわたっていたと推定されます。牧のある丘で「牧岡」と呼ばれ、馬の飼育に当った馬飼部の本拠地であって、「寝屋」の地名の起こりも牧場の従事者の宿舎のあったによると考えられ、上古市内でも文化地帯であったと思います。

河内国讃良郡は現在の大阪府寝屋川市太秦を含み、国守町や打上は太秦に隣接しています。すなわち秦氏の拠点にまで古代牧が広がっていたのです。しかも驚いたことに、寝屋川の地名由来まで書かれています。記述によれば、馬飼いの宿舎である「寝屋」が川の近くにあったので、川が「寝屋川」と呼ばれ、一帯を寝屋川と呼ぶことになったと理解できます。

また寝屋川市のホームページには以下のように記載されています。

長保寺遺跡では、井戸枠に再利用されていた古代船の船体の一部が出土し、復元すると船形埴輪で知られる大型の外洋航海も可能なものとなります。この船は朝鮮半島との軍事・交易などに利用されたのかも知れません。こうした遺跡で出土した土器には朝鮮半島南部のものと同様な特徴をもつものがあり、このころすでに朝鮮半島との交流が考えられます。本市には、秦・太秦といった渡来人にちなむ地名があり、こうした遺跡との関連を考えなくてはなりません。この時期の北河内~中河内の生駒山地西麓部では、馬の骨や歯が多数出土しており、こうした遺跡は、『古事記』や『日本書紀』に登場する河内馬飼(かわちのうまかい)氏とよばれる馬の飼育に携わった人々に関連するものでしょう。


以上から、寝屋川市一帯が秦氏の拠点であった意味も明確になります。秦氏は港湾の管理と日本最古の牧を管理するためこの地を自分たちの重要拠点としたのです。河内馬飼は秦氏に使役されていた牧人だったのでしょう。

日本最古の牧に秦氏の関与が想定されるなら、秦氏の居住する波田町一帯にある(とされる)大野牧に秦氏の関与があると見てほぼ間違いなさそうに思えます。

               ―信濃国の秦氏 その12に続く―
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