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大磯・高麗山の秦氏 その9


国道一号線脇に宇賀神社を示す石碑が立っています。

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石碑。

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神社の鳥居です。

国道が高い位置にあるので、木の小さな鳥居が低い位置に並び面白い絵柄となっています。

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鳥居越しの社殿。

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社殿内部。

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宇賀神らしい蛇の彫り物もありました。

宇賀神社の所在地は神奈川県中郡大磯町西小磯11。 祭神は大食津姫命です。養老元年(717年)以前の創建とされ祭神は大御食津姫命です。大御食津姫命は伊勢神宮外宮豊受姫大神の異名同神であり、宇賀の名前から理解されるように、伏見稲荷大社の主祭神である宇迦之御魂大神とも同神です。それは鳥居越しの社殿前に狐が控えることからも明らかですし、幾つもの鳥居が並ぶさまは稲荷神社の特徴と同じです。(宇賀神は中世以降様々な要素が混入してしまい、保食神、稲荷神、蛇神を始めとした多くの神格があって分析しにくい神様です)

この神社には以下のような実に奇妙なタブーがあります。

相模国府祭に参集の為渡幸の神輿は宇賀神社の前を遠ざかりて通るを例とせしと。又御神体は蛇体に現われ邪魔せしものとも云い伝う

「大磯の今昔一」によれば以下の通りです。

昔国府祭(こうのまち)の時、一宮・四宮・八幡さんのおみこしは宇賀神さんの裏の道を通った。小磯の人達は、宇賀神さんの神格が高いので他の神様は前を通る事が出来なかったのだと言い伝へ、他所の人達は、宇賀神さんはままっ子の神様だから前を通るとやきもちをやかれ、あたをされるから前は通らないのだ、と言い伝へる。其ののち前を通るようになった時代のこと、国府祭からのかえりに、宇賀神さんの前にさしかかった時には提灯の火を消し、一同息をひそめて通り、通りすぎたとたん「わーっ」と歓声をあげたと言う。

文面からは強烈な忌避感情が読み取れます。つまりこの神社は忌避すべき存在(タブー)であったと思われるのです。

相模国府祭は寒川神社や川勾神社など相模国六社が大磯の国府本郷にある神揃山に参集する祭りで、その意味では相模国における最も重要な祭りと考えられます。由来は大化の改新以前に遡ります。当時の神奈川は大磯町より東が相武(さがむ)、西は磯長(しなが)の二つの国があって、その二つが合併して相模国となりました。

合併に当たり、相武の寒川神社、磯長の川勾神社のどちらをトップの神社にするかでもめ事となったのですが、国府祭はそのもめ事の様子と解決を今に伝える祭礼なのです。つまり相模国の最重要神社群が宇賀神社を忌避しているのです。山本ひろ子著「異神 下」(ちくま学芸文庫)の宇賀神の章を読み直してみましたが、同様のケースは見当たりません。とても妙ですね。

仮に宇賀神社が秦氏の神社であるとすれば、この奇妙さは納得できます。日本人を呪縛した秦氏は、日本人にとって神として崇める存在であり、同時に恐ろしい忌避すべき存在でもあるのです。つまりタブーの両価性として理解できるのです。ただ宇賀神社の由緒にも、その他の伝承にも秦氏の関連を窺わせるものはありません。他の可能性を探ります。

高麗山には大蛇伝説があって、ときどき高麗山を下り、高麗寺村の村人をびっくりさせたなどと言う民話が伝わっていました。宇賀神社の蛇と対応しそうな気もします。あるいは産鉄民と農民との争いを象徴する八岐大蛇伝説に似通った話なのでしょうか?まあ、宇賀神社のタブーの根源は不明として、白岩神社に向かいましょう。


大きな地図で見る
宇賀神社と白岩神社を示すグーグル地図画像。

神社脇の道路を北に向かいJRを越えた先の交差点を左折します。そして右折すれば神社の参道が見えてきます。参道の手前には随分と豪壮な邸宅があります。表札を拝見すると、驚いたことに波多野さんでした。

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表札。

神社の手前を守るように屋敷を構えておられるなら、やはり秦氏が改名された方なのでしょう。だとすれば、白岩神社に関係されるお方のはずです。図書館で調べてみると、ありました。

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本のコピー。

神社の社人は11軒でヒガシの波多野正之家とあります。正しくこの方は白岩神社の関係者だったのです。これは酔石亭主の想像ですが、先ほど訪問した宇賀神社は白岩神社の里宮で白石神社は奥宮と言った関係にあるのではと思っています。理由は以下の通りです。

宇賀神社の祭神は大御食津姫命であり、この神は豊受大神や宇迦之御魂大神と同神とされています。一方白岩神社の祭神は若宇加能売命。若宇加能売命は大和の廣瀬大社より勧請された神ですが、同社の由緒によれば、若宇加能売命は伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神、伏見稲荷大社の宇加之御魂神と同神であるとされているのです。

以上から宇賀神社と白岩神社は別個の存在ではなく、関連していると判断されます。また相模国国府祭において神輿は「宇賀神社の前を遠ざかりて通る」ことになっています。白岩神社に対しても同様の忌避感情が見られます。内容は解説板を参照ください。

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白岩神社解説板 その1。

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その2。

由緒には、「付近を通る人が落馬したり災難が降りかかるため現在の場所に社を移し」とあります。解説板の内容から明確な忌避感情が見て取れます。宇賀神社と白岩神社の両社にタブーがあるとすれば、神社の祭祀あるいは背後の山に人を踏みこませないためのタブーが存在していることになります。

さて社人の一人として波多野家があり、この方が秦氏の流れだとすれば、神奈川県における波多野姓の分布を見る必要があります。もし大磯に波多野姓が多いなら、それは大磯に上陸した秦氏の流れと判断できるからです。

そこで神奈川県における波多野姓を見ていきます。県全体が214人で海老名市は21人とトップでした。ちょっと残念と思ったのですが、何と大磯町と平塚市が各12人で続いています。人口3万人強の大磯が26万人の平塚市と同数の波多野姓があると言うことは、かなり密度が高いことになります。

また大磯と平塚は接していますので両市を合わせれば県内トップの数字となります。この結果から、宇賀神社と白岩神社には秦氏の関与があると推定されます。

なお関東における波多野姓は旧東海道沿いにあった大磯の波多野本家をルーツとしているようです。大磯本家はかつて網元で、大磯の大地主でした。久我山の秦氏が同地の大地主であるのと同じですね。

ここで大磯の波多野氏について、波多野盆地一帯に勢力を持った波多野氏との関係を見ていきます。波多野氏に関しては以下Wikipediaより引用します。

前九年の役で活躍した佐伯経範が祖とされ、河内源氏の源頼義の家人として仕えていた。経範の父・佐伯経資が頼義の相模守補任に際して、その目代となって相模国へ下向したのが波多野氏の起こりと考えられている。経範の妻は藤原秀郷流藤原氏で、のちに波多野氏は佐伯氏から藤原氏に改め、藤原秀郷流を称している。秦野盆地一帯に勢力を張り、河村郷・松田郷・大友郷などの郷に一族を配した。

上記から理解できるように佐伯経資は相模国に下向して波多野氏になりました。秦野の地に入ったから波多野氏になったのです。この波多野氏は、秦氏系と思われる大磯の波多野氏とは別の流れと考えられます。(注:大磯の波多野家の祖先がどうなっているのかは調べていないので、秦氏系かどうかまだ確定できていません)

               ―大磯・高麗山の秦氏 その10に続く―
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