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信濃国の秦氏 その2


今回の「信濃国の秦氏」シリーズにおいては「その1」で書いた地域のうち、波田町、千曲市(更級郡桑原郷)、小県郡長和町を中心に検討していきます。何しろ範囲が広いのでこれだけでも精一杯。そのため内容は粗くなりそうですが、お含み置きください。

では、行くのに便利な松本市波田町からスタートしましょう。町名だけでこの地が秦氏の支配地域と決めつけるのは、若干無理があるので、その他の秦氏地名がないかチェックします。松本は山に囲まれていますので、例えば鷹取山、高取山、高畑山などですね。グーグル画像で調べてみます。


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グーグル地図画像。拡大してご覧ください。

残念ながら波田町周辺に秦氏地名の山はありません。ただ、秦氏と関係する白山が波田町にあります。また秦氏の存在が想定される和田の地名もありました。しかしいずれも間接証拠的なもので、秦氏の存在を確定できるとは言い難い…。困りましたねぇ。

ひょっとしたら松本市の松本も秦氏地名かもしれません。早速Wikipediaで調べてみます。

現在の市名である松本の由来は諸説あるが、通説では武田氏の侵攻により落ち延びた嘗ての信濃守護職・小笠原長時の三男小笠原貞慶が1582年に旧領を回復した際に「待つ事久しくして本懐を遂ぐ」と述懐し改名したとされる(小笠原氏は長らく信濃府中奪還という本懐を抱いており、それが叶ったことから、待つ本懐を→松本懐→松本 と略され松本となった)。…中略…「松本」という氏姓は松本市の「松本」地名よりも遥か昔から存在するが相関はなく、松本市に松本氏が多いということはない。


松本氏は松本市と関係ないとありますが、どうなんでしょう?例えば、秦氏の主力神社と言える伏見稲荷大社の神官は松本氏で、秦氏の後裔とされています。石清水八幡宮、伊勢神宮の社家などの神職も松本氏が務めています。彼らは秦伊呂具の後裔に当たるのです。

また京都太秦には秦氏の墓とされる天塚古墳があります。所在地は何と太秦松本町。さらに調べてみると、三重県松阪市飯高町の水屋神社の禰宜で秦為縞なる人物がいて、彼は文政5年当時、姓名を松本為縞と言って秦氏の直系の子孫であると神社の由緒に書かれています。

ネット上で、推理小説作家の故松本清張氏は秦氏との説も散見されますが、彼の著作「火の路」、「ペルセポリスから飛鳥へ」などを読むと、清張氏は自身のルーツを探るためにこれらの本を著したとも思えてしまいます。

さらに、本ブログにコメントを頂いているイシ様のご先祖は、Wikiに出てきた小笠原長時の家臣秦勝尉で、阿州秦の元祖とのこと。またその元祖は秦伊呂具とのことです。何だか深いところで繋がっているように思えます。

以上から、松本の地名由来は秦氏系の松本氏だと断定したいところですが、依然として状況証拠に過ぎず決定打にはなりません。手掛かりがあまりなく馴染みのない土地の探索は難しいですね。まあ、あまり難しく考えず、松本インターで降りて波田町に向かいましょう。いやちょっと待ってください。松本インターのすぐ近くには三ノ宮と言う地名があります。


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三ノ宮を示すグーグル地図画像。

多分、信濃国の三の宮がどこかにあるのでしょう。一の宮はもちろん諏訪大社で、二の宮は調べたところ辰野町に鎮座する矢彦神社と塩尻市に鎮座する小野神社でした。地図を見ると、奈良井川のすぐ近くに沙田神社(いさごだじんじゃ)が鎮座しており、これが信濃国三の宮です。折角ですから立ち寄ってみることに…。

               ―信濃国の秦氏 その3に続く―
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