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信濃国の秦氏 その8

信濃国の秦氏
05 /28 2012

安曇野みさと温泉室山ファインビューに向かうには波田町の中心となる波田駅に近い波田小学校前を北に折れます。ただ、波田小の風情がまた素晴らしく写真を撮ることに…。

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波田小です。赤松林の中に山を背景とした赤い屋根が印象的です。

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歩道橋から。

背後の山がよく見えます。こんな場所で勉強できる子供たちは幸せですね。

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解説板。解説板を立てるほど見事なものであると理解されます。

波田小前を左折して進むと小さな川が…。

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川です。

これも開削された用水路の一つでしょう。コンクリで固められ風情はありませんが…。周囲の畑はリンゴ畑です。

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リンゴ畑。

さらに進むと梓川を渡ります。結構広い河原があり石がごろごろしているので、つい川に降りてしまいました。

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梓川。小さな馬蹄石のような石を一個拾い切り上げました。

道は安曇野の山裾をゆっくりカーブしながら続いています。リンゴの白い花を見ながら走る実に気持ちのいい道です。しばらく走ると、社の森が目に入りました。大宮熱田神社です。


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波田町から大宮熱田神社への移動経路を示すグーグル地図画像。

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鳥居。

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神社の鳥居と脇に立つ巨木。県内第一のモミの巨木だそうです。

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堂々たる社殿。

神社の紹介はこちらを参照ください。
http://www.i-turn.jp/matsumoto-azusagawa-oomiya-atutajinjya.html

安曇野を開拓するに際して梓川の恩恵を授かるため守護神として祀られたのが神社の起源とのこと。

神社の祭神である梓水大神は瀬織津姫とされ、瀬織津姫は白山と関係が深いので、波田町の白山とも関係してきそうです。この辺は突っ込むと面白そうですが、今回のテーマからは外れるのでここでは取り上げません。

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縁結びの仲良しの木です。

神社を出てみさと温泉室山ファインビューに向かいます。

リンゴ畑の中を東に進むとこんもりした山が見えてきました。室山です。山の独立峰的な立地とネーミングから信仰に関係があると睨んでいます。富士山麓の小室山や大室山と同じですね。


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大宮熱田神社から室山までの移動経路を示すグーグル地図画像。

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案の定山頂には小さな社が…。

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解説板。

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山頂公園からの眺望。やや霞んでいます。

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みさと温泉室山ファインビューのロビーからの眺望。

全面ガラス張りで絶景であることは間違いありません。早速温泉に入ります。露天ぶろは赤松林越しに松本平を見下ろす気分のいいものですが、泉質は特記する程のものではなさそうです。景色の良い普通のお風呂と言ったところでしょうか。

やや霞んでいますが、ここからほぼ真東には浅間温泉があります。泉質はこちらの方が良かったかもしれません。浅間温泉は天武天皇と関係する可能性があることからもそう言えそうです。

「日本書記」によると、天武天皇は14年(685年)、「束間温湯」(つかまのゆ)に行宮を造るよう命じました。天武天皇が行宮を造ろうとしたのは病気の療養のためでしょうか?しかし、こんなところまで旅をすればそれこそ病気を悪化させてしまいます。

天皇は療養ではなく遷宮を目論んでいたのです。だから、三野王(みののおおきみ)や小錦下采女の臣筑羅等を信濃に派遣し地形を調査させていますし、「信濃國之圖」まで提出させています。

では、「束間温湯」(つかまのゆ)とはどこなのでしょう?一般的には現在の浅間温泉或いは美ヶ原温泉とされています。筑摩(ちくま)郡はかつて(つかま)と呼ばれていました。束間の湯とは筑摩の湯を意味しているのです。筑摩郡の郡域は広いので、筑摩の湯ではどこかわかりません。もう少し範囲を限定するため、筑摩野(つかまの)で以下Wikipediaより引用します。

筑摩野(ちくまの、つかまの)は、長野県中部(中信地方)にある松本盆地のうち、梓川よりも南側で、波田地区・山形村・朝日村の西山、塩尻市の南山である長興寺山や比叡の山、松本市の東山である筑摩山地に囲まれた部分の総称である。筑摩(つかま)はもともと信濃国10郡の1つで、古代には「束間」「豆加萬」などの字もあてられた。


筑摩山地は麻績の聖山や姨捨山(正名は冠着山)まで含みますが、梓川の南と絞れば、筑摩野は現在の158号線より南の地域と想定されます。もしかしたら、浅間温泉も美ヶ原温泉も「束間温湯」ではないのかもしれません。いずれにしても場所の特定は難しそうです。

ところで、天武天皇(当時は大海人皇子)が壬申の乱で勝利したのは、科野などの軍勢が味方に加わったからとされています。特に騎馬軍団の功績が大きく、大野牧の馬たちも貢献していた可能性があります。

信濃国が壬申の乱で味方したこと。松本平において秦氏が地盤を固めつつあったこと。天皇の養育係は安曇氏と同族の大海氏(凡海氏)であったこと。その安曇族の重要拠点が安曇野から筑摩一帯であったこと。などが、筑摩への遷宮を決断する要因になったのでしょう。

しかし天皇は信濃国に行幸することなく病没。「束間温湯」を楽しむことはできずに終わりました。

              ―信濃国の秦氏 その9に続く―
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酔石亭主

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