FC2ブログ

信濃国の秦氏 その14


前回で波多腰姓の謎に一定の視点を提示することができました。秦巨勢大夫説が正しいとすれば、善光寺さまさまですね。ところで、長野県飯田市には元善光寺があります。由緒はWikipediaによると以下の通りです。

古くはこの地を麻績の里(おみのさと)と呼んだ。推古天皇10年(602年)にこの地の住人本多(本田)善光が、難波の堀江(現在の大阪市)で一光三尊(善光寺如来)の本尊を見つけて持ち帰り、麻績の里の自宅の臼の上に安置したところ、臼が燦然と光を放ったことからここを「坐光寺」としたとされる。
その後、皇極天皇元年(642年)、勅命により本尊は芋井の里(現在の長野県長野市)へ遷座され、この寺が善光の名をとって善光寺と名付けられたことから、坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになった。遷座された本尊の代わりに勅命によって木彫りの本尊が残され、また「毎月半ば十五日間は必ずこの故里(飯田)に帰りきて衆生を化益せん」という仏勅(お告げ)が残されたことで、「善光寺と元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣り」といわれている。


なぜこのようなことになっているのでしょう?理由は明確だと思います。善光寺の創建伝承には秦氏が主導的役割を果たしました。一方、飯田市には秦姓の方が数多く居られます。長野県の全体112人に対して飯田市に35人、天龍村に15人、泰阜村で10人と南信地域だけで全体の5割を占めているのです。従い、善光寺の伝承が秦氏の手で飯田市に伝えられ元善光寺となったと理解されます。秦氏には良くあるケースですね。

そう結論を出したところで、麻績村を離れ秦川勝の子である秦広国が入植した信濃国更級郡桑原(現在の千曲市桑原)へと向かいます。ここで注目すべきは治田(はるた)神社です。と言うか、この神社以外に見るものはなさそうです。

千曲市のホームページによれば、711年(和銅4年)更級の里に養蚕を伝えた秦氏が稲荷を祀る。とあります。当初は秦神社と呼ばれていたそうです。「はるた」と「はた」。似通った音ではありますが、どうなんでしょう?実は治田(はるた)神社には上宮と下宮があります。


大きな地図で見る
治田神社上宮を示すグーグル地図画像。下宮は表記ありませんが忠魂殿の隣に鎮座。拡大すれば出てきます。

昔は治田山に鎮座していたものが里に降りて2社になったようです。上宮の鎮座地が千曲市大字桑原字宮沖1。下宮は千曲市大字稲荷山1650-1となっています。まず上宮から見に行きましょう。

293_convert_20120602072306.jpg
立派な木の鳥居です。

鳥居のお隣はこれまた立派なお宅で、袖うだつが上がっています。

288_convert_20120602072342.jpg
由緒です。

やや文字が小さいのですが、諏訪大社系や秦氏系とおぼしき保食神が祀られています。諏訪の神様が祀られているのは武田信玄の影響のようです。彦坐命は開化天皇の子供とか。あまり秦氏とは関係なさそうにも思えてきます…。

289_convert_20120602072503.jpg
石祠や石碑もあります。

290_convert_20120602072422.jpg
社殿。

上宮を出て下宮に向かいます。

282_convert_20120602072538.jpg
下宮の鳥居と拝殿。

285_convert_20120602072609.jpg
解説板。文字が消えかかって読み取れませんが、特記する程の内容ではなさそうです。

284_convert_20120602072655.jpg
摂社が数多くあります。

治田神社に関しては以下を参照ください。
http://www.genbu.net/data/sinano/haruta_title.htm

両神社を見終わりました。治田(はるた)が秦(はた)はやや語呂合わせ的な感がしないでもありません。治田はむしろ墾田(はりだ)のような気がします。秦氏が私的に開発した墾田に由来するのではないでしょうか?

そう言えば、推古天皇は豊浦宮から小墾田宮(おはりだみや)に遷っています。この宮では聖徳太子らを中心として、冠位十二階の制定、十七条憲法の制定、遣隋使派遣などの重要施策が決められていたようで、会議には秦川勝も参加していたでしょう。治田神社の治田はもしかしたら小墾田宮にちなむものかもしれません。逆に、小墾田宮を建造したのが秦氏で、そこから治田=秦になり、治田神社=「はた神社」となった可能性もあります。

それにしても、秦氏にとって信濃国の最初の地に痕跡が少ないのは不思議です。古い場所ほど現在は痕跡がないのは、秦氏探求でよく見られるケースではありますが…。多分当地に入植後、筑摩郡や佐久、飯田周辺に分散配置されたのでしょう。

神社の鎮座地が桑原と稲荷山であることが、秦氏の痕跡を伝える地名であるとするしかなさそうです。

大した収穫もなかったので、ついでに大雲寺を訪問しました。

298_convert_20120602072745.jpg
城郭のような佇まいです。

301_convert_20120602072825.jpg
もう一枚。

難攻不落の要塞でしょうか?

307_convert_20120602072859.jpg
さらに一枚。時期が早ければ、枝垂桜が綺麗だったと思われます。

寺に関しては以下を参照ください。
http://www.city.chikuma.nagano.jp/app/kanko/080519152516680/080519154545604/20080520154136597.html

お寺を出て信州の鎌倉と称される別所温泉に向かいます。酔石亭主の単独行ならどこでもいいのですが、女房殿にご満足いただくため、ある程度楽しめる宿にせざるを得ません。宿泊したのは旅館花屋です。

252_convert_20120602072938.jpg
花屋の外観。

宿の中に入ったら、もう別世界です。古くても手入れの行き届いた、とても趣のある宿だと思えました。花屋に関してはいずれ別の記事でもう少し詳しくご紹介します。

               ―信濃国の秦氏 その15に続く―
スポンサーサイト



プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
05 | 2012/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる