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秦氏は元祖番長だった!?


番長は一般的に不良少年グループのリーダーを示す言葉で、あまりいいイメージはありません。そこからスケ番とかおしゃれ番長とか色々な言葉が派生しています。番長の語源には幾つかあるようですが、実は秦氏が元祖であったと言う視点から検討を試みます。

まず秦氏から派生した地名に幡野、幡多などがあります。幡から「はば偏」を除くとどうなりますか?「番」ですね。「幡」の音は「バン、ハン」であり、音で秦氏の幡と繋がっていきます。

「富士山麓の秦氏」においては、彼らの移動ルートを大幡(大きな旗)伝承の移動ルートから探りました。幡(=番)の長、いや大番長は秦氏だったのです。でも、これだけでは不十分との声が聞こえそうなので、もう少し見ていきます。

梁塵秘抄口伝集巻第十四(その六)に以下の記述があります。

人長(にんじょう)のこと、神楽は神遊のごとくにておさなり。その神遊にしたがふ故に一座近衛召人(めしうど)等を神遊の庭に下知して神をすずしめ神楽を奉行してとり行ものなり。神代にては猿女(さるめ)のみことなんど云にしかり。このふり古義は神家のせつにしてそのことさだめがたきことなり。御随身右将曹(うしょうそう)行幸番長(ばんちょう)御車よる番長のふりにして、神楽のときは人長のひとをさすことは、秦氏多くよくつとめぬるぞ。

人長とは、神楽や神遊のときにリーダーを務める者のことである。彼らは、神遊に奉仕するべく呼び集められた一座(近衛の武官や召人)たちで、神遊の庭において神楽を奏でさせ、神を鎮める祭を執行させるものである。神代の昔、猿女(アマノウズメノミコト)などが舞ったのと同じ役割である。この所作の古義は神家の説なので、どのようなものか定めるのは困難である。
御随身の近衛右将曹は、行幸の番長をつとめる役職であり、御車のお側に付き従うときは番長として振舞い、神楽の役を演じるときは人長を務める人を指す。この役には秦氏が多く就き、またよく務めたものである。


人長とは神遊、神楽で楽長を務める巫覡(ふげき、神に仕え、神意を世俗の人々に 伝える人。女性の場合は巫女)で、将曹から番長の中で選ばれます。人長としての秦氏は、正しく芸能の祖である秦川勝の流れを汲んでいますね。

将曹や番長とはどんな役割でしょう?彼らは上皇や摂政・関白など超VIPの護衛役であり、将曹から番長は騎馬となり(近衛は徒歩)、番長が前駆(ぜんく、前衛警備)を担当します。秦氏が番長であったとはっきりする記述ですね。

彼らは、現代で言えば要人警護に当たるSP(セキュリティポリス)であり、警視庁警備部警護課の警察官に相当するでしょう。

なお「梁塵秘抄」(りょうじんひしょう)は、平安時代末期の治承年間(1180年前後)に編まれた歌謡集です。

以上から秦氏は元祖番長であったと確認されました。
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