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熱田神宮の謎を解く その17 白山神社

熱田神宮の謎を解く
11 /09 2012

前回書いた内容が正しいのか不安を抱えつつ二子山古墳を見終わりました。あの尾張氏のことだからきっとどんでん返しがあると思いながら公園内を歩いていると、神社らしきものが目に入ります。

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神社の鳥居です。

どう見てもこれは古墳です。スパイラルなスロープを登ると小さな社がありました。

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社です。

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解説板。

なるほどこの社は相宮で白山神社の御旅所のようです。祭神の一人に可美真手命( うましまでのみこと)が入っていました。可美真手命はニギハヤヒの御子に当たり、物部氏の伝説的な祖神です。この一帯に物部系がいたのでしょうか?ともあれ、白山神社へ行ってみましょう。

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白山神社の鳥居。白山神社も明らかに古墳の上に建てられています。

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解説板。一帯の古墳群に関しての解説板でした。

ステンレス板が反射するので撮影しにくく、これが何枚かのうちのベストです。白山神社古墳は全長86mとのことで、かなり巨大な古墳と理解されます。

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石段。

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蕃塀(ばんべい)です。

社殿を直視させない目的で作られたものと思われます。関東地方では見かけない建築物ですが、尾張の神社には数多くあります。

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社殿。うまく撮影できていません。

白山神社に関しては以下Wikipeidaより引用します。

1659年(万治2年)、尾張国春部郡味鋺村白山薮(現在の名古屋市北区楠町5丁目)にあった白山神社が現在地に遷座。その際に、味美二子山古墳の墳丘上に鎮座して延喜式神名帳にも記されていた物部神社(式内小社)を合祀して建立された。前身となった両神社とも創建年代は不明。社殿は味美白山神社古墳の墳丘上に位置しており、残存する周濠の一部は池として利用されている。

白山神社が現在地である古墳の上に鎮座したのは1659年ですから、白山神社そのものに関しては検討の対象になりません。しかしです。それに続く文面には驚かされました。何と味美二子山古墳の墳丘上には物部神社が鎮座していたとのこと。当然のことながら、可美真手命を祀っていたのでしょう。そうなると、二子山古墳の被葬者は物部氏である可能性が浮上します。

しかもネット情報によれば、味鋺(あじま)や味美の地名は可美真手命に由来しているとのこと。具体的な根拠は書かれておらず、かなり無理がある地名由来説と思えますが、念のため、この説の根拠を独自に検討してみました。

まず可美真手命(うましまでのみこと)は「日本書紀」に書かれた名前です。「古事記」では宇摩志麻遅命。これらの名前を味鋺の地名由来にするのは困難です。「先代旧事本紀」はどうでしょう?調べて見ると、味間見命 (うましまみのみこと)でした。味間の読みが(あじま)に変わり、表記が味鋺になったとすれば、地名由来としては格段に説得力が増してきます。味美に関しても、味間見から間が抜け落ち味見となり、味美に転じたと推測可能です。

さらに、味鋺には味鋺神社が鎮座していました。鎮座地は名古屋市北区楠味鋺2-736。


大きな地図で見る
鎮座地を示すグーグル地図画像。

味鋺神社に関しては以下Wikipediaより引用します。

創建年代は不明。祭神の宇麻志麻治命は物部氏の祖神とされ、延喜式神名帳にある尾張国春日郡味鋺神社であるとしている。周辺はその昔には百塚と呼ばれており、味鋺古墳群と呼ばれる約50基以上の古墳があったが開発によって滅失した。


味鋺神社が物部氏の祖神を祭る神社であり、その地に50基以上もの古墳(多分物部氏のものと推定される)があったなら、味鋺の地名は可美真手命に由来すると考えて間違いなさそうです。

前回で書いた内容がひっくり返る不安は見事に的中しました。味鋺や味美の地名は物部氏に由来していたのです。

さてそうなると、二子山古墳の被葬者は物部氏となります。ここの被葬者は、一般的には目子媛とされています。この二つの見方が正しいとすれば、二子山古墳の被葬者である目子媛は尾張氏ではなく物部氏となります。目子媛が物部氏なら、驚いたことにその父であり断夫山古墳に眠る人物も物部氏にならざるを得ません。すなわち尾張連草香は物部氏の首長となってしまうのです。

また二子山古墳の被葬者が目子媛ではないとしても、物部氏の誰かであるのは間違いなさそうです。となると、それと出土品が類似した断夫山古墳には尾張氏ではなく物部氏の首長が埋葬されていることになってしまいます。

二子山古墳と断夫山古墳の被葬者は尾張氏なのか物部氏なのか、いよいよもって理解不能な世界に突入してきました。

               熱田神宮の謎を解く その18に続く
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酔石亭主

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