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熱田神宮の謎を解く その18 物部神社

熱田神宮の謎を解く
11 /10 2012

前回の検討で、二子山古墳と断夫山古墳の被葬者が尾張氏なのか物部氏なのかわからなくなると言う驚天動地の結果が導き出されました。あまりにも不可解なので、この問題は一旦横に置き、尾張における物部氏を見ていくことにします。物部氏の尾張における支配地域は名古屋市の北半分に集中しており、千種区から東区、北区の南部一帯、守山区や春日井市西部などとなっています。物部系の神社も当然その範囲内に鎮座しているはずなので、チェックしてみましょう。

調べて見ると、物部の名前を冠する神社が一社だけありました。名古屋市東区筒井3丁目31-21に鎮座する物部神社です。場所は地下鉄桜通線車道駅のすぐ近くです。


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物部神社の位置を示すグーグル地図画像。

こんな町の真ん中に古い物部氏系神社が存在しているとは驚きです。桜通はJR名古屋駅正面から東に向かう名古屋を代表するような大通りです。

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赤萩交差点辺りから桜通の西側(名古屋駅に向かう側)を撮影。

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桜通の東方面を撮影。神社が写っています。

この一帯は「和名抄」に記載された物部郷に当たるとされます。近くにはJR千種駅があります。千種町に関して以下Wikipediaを参照します。

非常に古くから活発な活動があったと思われるが、先史時代の遺跡や古墳はそれほど多くなく、後代の開発により失われたものと考えられる。千種駅を挟むように存在する高牟神社と物部神社は、それぞれ成務天皇と垂仁天皇の御代に遡ると伝えられる式内社であり、ともに物部氏との結びつきを示している。古代には物部郷古井村、中世には鳴海荘古井村と呼ばれ、村域は現在の東区西部や新栄あたりまでの広い範囲に及んでいた。


千種駅を挟むように物部神社と高牟神社が鎮座しているとのことです。一帯はかつて物部郷と呼ばれ、平城京出土の和銅7年(714年)2月の木簡には「尾張国愛智郡物部里白米」と記されていることから、この地に物部氏の拠点があったと確認されます。早速車道駅に近い物部神社に行ってみましょう。

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物部神社の鳥居です。創建は垂仁天皇の御代とされ、祭神は宇摩志麻遅命。

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拝殿。

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拝殿の背後には高層マンション。

なお、本殿は拝殿の背後にはないとのこと。ちょっと変わった構成になっていますね。となれば、本殿に向かうしかありません。

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本殿に向かう鳥居。

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本殿。

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もう一枚。

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名古屋市教育委員会の解説板。

物部神社は大石が御神体となり、社伝によれば神武天皇がこの地を平定したときに見つけた石で、これを国の鎮めにしたとのことです。大石は本殿の下にあり見ることはできません。

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物部神社由諸記。

大石を国の鎮めとしたので要石と称され、世に根なし石とも伝えられるとのことです。神社の清掃をされていた方にお聞きしたところ、根なし石の名前通り石の下部は岩盤となって桜通のずっと西側まであるため、地下鉄工事の際は大変だったそうです。また、桜通の道路工事に際しては本殿にかかるため、赤萩交差点の先は車線を減らしたとのこと。地図画像でも道が狭まっているのがわかります。

かつてはもっと大きな神社で、裏の公園や桜通まで神社の神域だったそうです。小さくはなってしまいましたが、それでも名古屋市の最も主要な大通りが本殿を避けて建設されたのですから、市も十分な配慮をしたと言ってよさそうです。

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物部天神。

大都市のど真ん中に鎮座する物部神社は実に古い歴史と由緒を持っていました。その意味では訪問価値のある場所です。でも、この一帯が物部氏の支配地であったと言う以上の情報は得られません。困りましたね。次回は高牟神社に行って、物部氏や尾張連草香に関連するヒントがないか探ってみます。

              熱田神宮の謎を解く その19に続く
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酔石亭主

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