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熱田神宮の謎を解く その27


今回から本当に久しぶりですが歴史の謎解きに復帰します。

昨年、「熱田神宮の謎を解く その25」において五社大明神社を訪問し、その後に庄内川を挟んで対岸にある尾張戸(おわりべ)神社(東谷山山頂に鎮座)を訪問する予定でした。ところが、五社大明神社の探索を終え庄内川の河原を見た途端、探石の虫がうごめき出し、歴史探索モードがすっかり水石モードに切り替わった次第です。このため長らく尾張戸神社訪問を先延ばしする事態に…。でも、ようやく訪問できたので記事を続けることとします。

間が飛んでいるので少し復習も兼ねて書き始めましょう。「熱田神宮の謎を解く その23 高座結御子神社」で書いたように、熱田神宮の北には、最も重要な境外摂社の一つとされる高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)が鎮座しています。

同社の祭神は高倉下(タカクラジ)ですが、どのような神なのかさっぱりわからないので、高座結御子神社の奥宮とされる五社大明神社を「その25」において訪問した訳です。ここには相殿神として高倉地命が祀られていました。この記事で、当初は山麓ではなく平地に鎮座していたものと推定されると書きましたが、実際には山頂付近に高蔵社が鎮座していました。よって、それが麓で合祀されたものと思われます。

そして尾張戸神社には天香語山命が祀られています。「先代旧事本紀」天孫本紀で同神とされる高倉下(高座山に鎮座する)と、庄内川を挟み向き合うようにして東谷山に鎮座する天香語山命を対比すれば、高倉下の実像に迫れるかもしれません。と言うことで東谷山に向かいます。

庄内川に架かる新東谷橋を渡って少し歩くとこんもりした丘が見えてきました。白鳥塚古墳と呼ばれている4世紀築造の古墳です。道路沿いにあるので場所を探すまでもありません。


大きな地図で見る
白鳥塚古墳の位置を示すグーグル地図画像。

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白鳥塚古墳です。道路からこの案内柱も見えています。

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解説板。

白鳥の名前から日本武尊に関連するのではと思いましたが、古墳の葺石が白い石英であったため白鳥になったと言う説が有力なようです。こちらは尾張における最古の古墳とされ、その規模は熱田の断夫山古墳、犬山市の青塚古墳に次いで3番目となります。白鳥塚古墳は崇神天皇陵(行燈山古墳)に類似していること、埴輪がないなど畿内の古墳に酷似していることから、大和政権との関連性が指摘されています。築造時期は4世紀前半から半ばと見られます。

詳しくは以下の守山区ホームページ参照ください。
http://www.geocities.jp/moriyamamyhometown/moris10.htm

このホームページに記載ある名古屋の伝説では、日本武尊は伊吹山の賊を成敗して山中で迷い、白鳥の案内で尾張に辿り着いたが、力尽きた白鳥は亡くなったので、そこに大きな塚を築いたのが白鳥塚だとのことです。

これはストーリーが改変された伝説に過ぎないと思われます。日本武尊の存在が尾張氏とリンクされていることから、こうした話が出て来たのでしょう。では、尾張最古級で三番目の規模を持つ巨大古墳の被葬者は一体誰なのでしょう?ホームページには「大和王権との何らかの繋がり、また尾張南部の首長的人物が被葬者ではないかと思われます。」と記載されています。

東谷山は尾張氏の本貫地との説があることからすれば、山麓に位置する白鳥塚古墳の被葬者は当然尾張氏となるはずです。また尾張戸を「おわりと」ではなく「おわりべ」と読むのは、社名が本来は尾張部神社であったからと思われます。社名が尾張部であるとすれば、ここは尾張一族の祀る神社となります。この関連からも白鳥塚古墳の被葬者は尾張氏と推定されます。

しかし、そう簡単に決めていいのか疑問も残ります。例えば、尾張氏の古墳とされている熱田の断夫山古墳、白鳥古墳の築造時期は6世紀とされ白鳥塚古墳とは150年前後のギャップがあるからです。

(ちなみに、「その19」にて断夫山古墳は物部氏のものかもしれないと酔石亭主は指摘しています。さらに現在追及している高倉下も物部氏の可能性があり、非常に理解しにくくなっています。そもそも物部氏と尾張氏は大先祖がニギハヤヒと天火明命で、両者は同じ神ともされているのですから出発点からしてややこしい…。さらに尾張氏の拠点である熱田台地に最初に定着したのは物部氏ともされています)

白鳥塚古墳の築造時期を4世紀前半とした場合、景行天皇の時代とほぼ重なります。その子供が日本武尊ですから尾張版日本武尊である(と酔石亭主が推定する)乎止與命が葬られているのかもしれません。この古墳が畿内のものと似ているのも、大和から来た乎止與命であれば納得ですし、彼が尾張版日本武尊であるなら古墳の名前が白鳥塚であるのも納得できます。ちなみに、三重県鈴鹿市にも三重県最大の円墳である白鳥塚古墳があり、白鳥伝説から日本武尊の墓とされています。ただしこちらは5世紀の築造と考えられています。

あるいはこうも考えられます。尾張氏はもともと尾張南部の年魚市潟(あゆちがた)を取り囲む沿岸地域に居住していた。(注:尾張氏の本貫地は諸説あり別途書きます)その北は物部氏の支配地域だった。さらに北は丹羽氏の地域だった。東谷山に大和から首長クラスがやって来て居を構え彼の古墳が築造された。その後、尾張氏は支配領域を広げ尾張の北部にまで達した。よって東谷山は尾張氏の本貫地ともみなされ、白鳥塚古墳も尾張氏のものと認識されるようになった。

または、朝廷と緊密な関係にある尾張氏の求めにより大和から古墳の築造技術者がやって来て古墳を築造したので、畿内のものと似た古墳になったとも考えられます。まあ、特定可能な出土品がないのであれこれ推測するしかありませんが…。

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白鳥塚古墳解説板。

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前方部。確かに後円部に比較して高さが低い。

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後円部。

この古墳は全体の形が保存されており前方後円の形状がはっきり見えます。写真では一部を切り取るしかないので、うまく表現できませんが…。

古墳の被葬者が誰か幾ら考えても結論は出そうにないので、古墳を後にして東谷山フルーツパークに向かいます。

                  熱田神宮の謎を解く その28に続く
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