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熱田神宮の謎を解く その30


ここまで、高倉下を祀る五大明神社と天香語山命を祀る尾張戸神社を見てきました。高倉下は高座山に鎮座し、天香語山命は庄内川を挟んで東谷山に鎮座しており、あたかも両者は向き合っているように感じられます。高倉下を物部氏、天香語山命を尾張氏と仮定した場合、両者は極めて近い位置にいると理解されます。それは熱田台地における尾張氏と物部氏の位置関係とも相似しています。

しかし、この仮定が正しいかどうか現時点では何とも言えないので、今回から天香語山命の出自に関して様々な視点から検討していきます。天香語山命は天火明命と大己貴神の女、天道日女命との間に生まれた子となり、出雲が絡む雰囲気もあります。

一方で、既に書いたように天香語山命を祀る神社は新潟県に集中しており、勘注系図によれば亦名は高志神彦火明命となっています。高志(こし)は越で新潟県となるので、天香語山命の亦名・高志神彦火明命は「越の神である男・火明命」となります。あら不思議お父さんと同じになってしまいました…。

全く日本の古代史はややこしいですね。上記の内容から何が読み取れるでしょうか?

まず、天香語山命は出雲系であると仮定して越に注目します。出雲は碧玉が産出し勾玉が作られました。しかし、高品質な勾玉は糸魚川産のヒスイから作られます。出雲は多分越のヒスイを狙っていたのでしょう。「出雲国風土記」の国引き神話では、八束水臣津野命が高志(越)の余った土地を出雲に引き寄せ、現在の島根半島になったとされています。また、ヒスイの女王は沼河比売ですが、大国主神はこの比売を妻にします。沼河比売に関しては以下Wikipediaより引用します。

『日本書紀』には登場せず、『古事記』の大国主の神話の段に登場する。八千矛神(大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠んだ。沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。
『古事記』にはこれ以外の記述はないが、新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。『出雲国風土記』島根郡美保郷の条では高志国の意支都久辰為命(おきつくしい)の子の俾都久辰為命(へつくしい)の子と記され、大穴持命(大国主)との間に御穂須須美命(みほすすみ)を産んだと書かれている。

さらに出雲大社本殿の裏の真名井遺跡からは最高品質の翡翠の勾玉が出土しました。「出雲国風土記」には、大国主命が素盞嗚尊の命によって越の八口を平定したと次のような記述があります。「天の下造らしし大神、大穴持命、越の八口(やくち)を平(ことむ)け賜ひ…以下略」

越の八口とは八岐大蛇を意味しているように思えます。八口の口(くち)は蛇を意味してもいるからです。また、気多大社の社伝によれば祭神の大己貴命は出雲から船で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとのことです。

気多大社に関しては以下を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E5%A4%9A%E5%A4%A7%E7%A4%BE

大国主はその後、気多神社(祭神は大己貴命・奴奈川姫)のある富山県高岡市伏木を船で出立し、越国の居多ヶ浜(上越市)に上陸したとの伝説も残されています。そして越を開拓し、農業や砂鉄の精錬技術を教えたとされます。

こうした事実(伝説)からすると、天香語山命は船で越に入った出雲系のように思われます。(ただし、途中の経路で祀られていないと言う問題点がある)入植後は越国において善政を施した結果、越後国一宮である弥彦神社の祭神となり、越後開拓の祖神とされたのです。弥彦神社に関しては以下Wikipediaより引用します。

創建年代は不詳。祭神の天香山命は、『古事記』に高倉下として登場する。社伝によれば、越後国開拓の詔により越後国の野積の浜(現 長岡市)に上陸し、地元民に漁労や製塩、稲作、養蚕などの産業を教えたとされる。このため、越後国を造った神として弥彦山に祀られ「伊夜比古神」として崇敬された。このほか、彌彦の大神は、神武天皇即位の大典の際に自ら神歌楽(かがらく)を奉奏(ほうそう)したとされる。ただし、尾張国造家の祖神である天香山命が越後に祀られるのは不自然なため、本来の祭神は北陸の国造家高橋氏の祖神・大彦命ではないかとする説もある。


弥彦神社に関するWikiの記事には、天香山命が越後国の野積の浜に上陸したと記載されており、この辺りは大国主神の越国上陸と連動しているように感じられます。仮に、天香山命が尾張氏だとすれば、船を使わず尾張から陸を移動して越国に至るはずです。以上の視点からすれば、天香語山命は出雲族のように見えてしまいます。

次に、天火明命は尾張氏の祖とされます。その子である天香語山命を尾張氏と見た場合、どのような経路を経て新潟で祀られたのでしょうか?大和朝廷のメンバーが大和から越に向かう場合山代国から丹波に抜け日本海に出て船で向かうルートが考えられます。

一方、「日本書記」における日本武尊の東征ルートの場合、信濃国と越国が王家に従わず、山梨県より北、埼玉県、群馬県を通り碓氷峠に至り、吉備武彦を越国に遣わし自分は信濃国に入ったと記載されています。

そこでこのルート上で天香語山命を祀る神社を見ると埼玉県に2社あるだけで山梨、群馬にはありません。ところが長野県には6社ほど存在しています。愛知県では尾張北部の春日井や丹羽に計5社が見られます。長野県の分布(上伊那郡辰野町、塩尻市、松本市、東筑摩郡明科町、東筑摩郡朝日村、南安曇郡穂高町)からすると、愛知県の北部から美濃に進み、恵那山の神坂峠を越えて伊那に入り北上。そのまま安曇野を抜けて越国に入るように推測されます。

なぜなら「日本書紀」には日本武尊が東征の帰路、信濃坂(神坂峠)で尊を苦しめようした山の神が白鹿に変じ、それを尊が蒜で撃ったという話が記載されており、さらに峠からは古代に祭祀で使用された剣や勾玉、須恵器、土師器、灰釉陶器、鏡、刀子などが発掘されているからです。この日本武尊東征の逆ルートで天香語山命は信濃国から越国に入ったのでしょう。

神坂峠は恵那山の峠ですが詳細は以下を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%9D%82%E5%B3%A0


大きな地図で見る
神坂峠を示すグーグル地図画像。恵那山は画像を拡大してご覧ください。

だとすれば、天香語山命は尾張氏系で大和朝廷のメンバーと共に越国に入りそこに定着した様に見受けられます。

天香語山命を物部氏の祖であるニギハヤヒの子と見た場合、どのような経路を経て新潟で祀られたのでしょうか?ここで石見国一宮物部神社の由緒を参照します。由緒によれば、物部氏の祖で同社の御祭神である宇摩志麻遅命は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座したとあります。この由緒からすれば天香語山命は物部氏となります。

既に見て来たように名古屋市内には物部氏の拠点があります。石見国一宮物部神社の由緒が正しいとすれば、天香語山命が尾張から、美濃、信濃を経由して越へと侵入するルートは尾張氏の場合と同じになります。

石見国一宮物部神社のホームページは以下を参照ください。
http://www.mononobe-jinja.jp/history/

以上から、天香語山命は出雲系、尾張氏系、物部氏系のいずれでもあり得るとの結果となりました。さてはてどうしましょう?とても困ったことに…。

              熱田神宮の謎を解く その31に続く
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