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熱田神宮の謎を解く その39 白鳥神社


当初は10数回で終了予定だった「熱田神宮の謎を解く」シリーズも、枝葉が大きく広がって40回を超える見通しとなってきました。今日からはまた別のテーマに移りますが、記事のサブタイトルは白鳥神社です。白鳥神社と言えば祭神はご存知のように日本武尊。彼の伝説に見合うかのように日本各地に鎮座しています。今回取り上げるのは、土岐石や陶器で有名な土岐市にある白鳥神社です。

以前、せと品野で東海環状自動車道路を降り363号線を旧明智町方面に向かったことがあります。明智は中馬街道の宿場町として栄え、養蚕、製糸業、陶器製造などが盛んでした。明治から大正時代の商家が今も残り、日本大正村として売り出し観光客を集めています。大正村に関しては以下を参照ください。
http://www.nihon-taishomura.or.jp/contents/index.html

この明智に行く途中に柿野温泉と言う鄙びた温泉地があり、白鳥神社が3社も鎮座しているのです。なぜこんな場所に同じ名前の神社が三つもあるのか不思議でならず、早速調べてみることに…。

三つの白鳥神社は土岐市鶴里町柿野雨沢、土岐市鶴里町柿野2240、土岐市白鳥に鎮座しており、祭神は倭建命(=日本武尊)です。(注:日本武尊の表記には倭建命、小碓命などあり、本記事ではそれぞれを適宜使用します)

まず雨沢の白鳥神社に行ってみます。


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雨沢の白鳥神社を示すグーグル地図画像。

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鳥居です。

何となく秘密めいていて結構奥深い感じがする境内です。写真は昨年撮影のものです。

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石段の先に拝殿が。

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拝殿です。

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拝殿と本殿。

残念ながら由緒などを記した解説板はありません。続いて柿野2240の白鳥神社に向かいましょう。


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柿野2240の白鳥神社を示すグーグル地図画像。

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白鳥神社の鳥居です。一段と立派な境内です。

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鳥居の傍に百度石があります。

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手水舎の脇から猫が顔を出しました。

随分おっかない顔で口まわりが不細工です。

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全身でこちらを威嚇しています。

猫ちゃんは相手にせず石段を登ります。すると…。

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思ったより明るく開けた境内です。

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拝殿。

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境内社には猿投神社も鎮座しています。

猿投神社の祭神は大碓命で、倭建命(=小碓命)の双子の兄に当たる人物です。白鳥神社がどんな由緒を持っているか知りたくて解説板を探しましたが、残念ながら見当たりません。

家で岐阜県神社庁のホームページをチェックしたところ、以下の記載がありました。

創祀未詳。本國帳所載土岐郡七座の内垣野明神と称す。里伝に曰く即ち本村当國土岐郡南方の山間に在りて三河國加茂郡と接す。同郡猿枝山に鎮座の神は大碓命なり。之れ当社に祭る神小碓命の御兄に坐せり。故に当社は猿枝山同時に鎮座ありと云へり。又嘉吉二年十一月葺き替えの棟札に武藤右衛門と記せり。其の頃の領主と見えたり。何の所に居住人なるや知りがたし。当社従来本村の産土神なり。


神社庁ホームページは以下です。
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=2347&shrname=%E2%98%85%E7%99%BD%E9%B3%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%98%85

猿投山には小碓命の兄である大碓命が鎮座しているので、この白鳥神社は猿投神社と同時期に鎮座したと説明しているようです。白鳥神社に鎮座する小碓命と猿投神社に鎮座する大碓命を切り離して考えられないならば、いずれ猿投神社も訪問する必要がありそうです。

大碓命に関しては以下Wikipediaより引用します。

景行天皇の皇子で、母は播磨稲日大郎姫。同母兄に櫛角別王、双子の弟に小碓尊(日本武尊)がおり、異母兄弟に成務天皇がいる。
大碓は美濃国の神大根王の娘、兄比賣を妃として押黒之兄日子王(兄彦命)を生み、弟比賣を妃として押黒弟日子王(弟別尊)を生んだと伝えられている。 押黒之兄日子王は三野之宇泥須和気之祖となり、押黒弟日子王は牟宜都君等之祖である。
『古事記』によれば、大碓は小碓に殺されたとされるが、『日本書紀』では、景行天皇40年、蝦夷征伐の命を恐れて逃亡し、美濃国に封ぜられたという。
愛知県豊田市猿投町の猿投神社は大碓命を主祭神とし、西宮後方にはその墓が伝えられる。なお同社の伝承によれば、大碓命は美濃に封じられて後、当地方の開拓に尽くしたが、景行天皇52年、猿投山に登る中途で蛇毒のために薨去、時に42歳という。

猿投山の山名は景行天皇が猿を伊勢湾に投げたことに由来しているとされます。この山名由来に関しては別途検討しますが、景行天皇、小碓命、大碓命はなぜか猿投山周辺一帯で存在感を示しているようです。

やや疑問の思えるのは美濃国に封ぜられたはずの大碓命が、美濃や尾張と接する三河の猿投神社(三河国三宮で、社伝によれば創建は仲哀天皇元年とされ非常に古い)で祀られていることです。彼は猿投山に登る途中で毒蛇に噛まれ亡くなったのだから、猿投山で祀られているとの説明は付きます。

しかし、大碓命は牟宜都君等之祖である押黒弟日子王の父でした。牟宜都君に由来する牟宜郡は、武儀郡すなわち岐阜県関市から美濃市の一帯となり、大碓命が封ぜられていたのは美濃国の牟宜郡と推定されます。問題は、大碓命が牟宜郡に封ぜられていたとすれば猿投山からは遠く離れている点です。言い換えると、大碓命は猿投山に行く必然性がなさそうに思えるのです。


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美濃市を示すグーグル地図画像。

画像右下の戸越峠の南が猿投山となります。美濃市から直線距離で50km弱。

白鳥神社が鎮座する土岐市鶴里柿野は同じ美濃国ではあるものの、猿投山の北東部に位置し、猿投山で死んだ大碓命を守るかのような場所に位置しています。


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猿投山と柿野の位置関係を示すグーグル地図画像。

猿投山は画像の左下。右上の八勝園湯元館とある辺りが柿野です。直線距離で6km弱となります。

もしかしたら、大碓命が封ぜられた美濃国とは牟宜郡ではなく土岐市鶴里柿野であったのかもしれません。となると、小碓命は大碓命を殺したのではなく守ったとも考えられます。白鳥神社の境内に猿投神社が鎮座していることからもそれは窺えます。

小碓命は大碓命を殺したのではなく、柿野の地で匿ったのでしょうか?疑問が湧くところには何かが隠されているケースが多く、調べる必要がありそうです。でもこの問題を追及する前に、三つ目の白鳥神社を訪問します。

              熱田神宮の謎を解く その40に続く
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