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熱田神宮の謎を解く その40

熱田神宮の謎を解く
03 /27 2013

今回訪問するのは土岐市白鳥に鎮座する白鳥神社です。


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白鳥神社の位置を示すグーグル地図画像。

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鳥居です。画像左手前には大きな石があります。

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鳥居の拡大画像。右手上にも大きな石が…。

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解説板がありました。景行天皇の文字は見えますが、後は読めません。残念です。

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巨石です。磐境と見て間違いなさそうです。何やら文字らしきものが刻まれていますが、不明です。

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社殿です。

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下を見ると急な石段。

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社殿右手は広大な平場となっていました。

かつてはもっと大きな社殿があったものと想像されます。

さて前回で、「小碓命は大碓命を殺したのではなく、柿野の地で匿ったのでしょうか?」と書いています。土岐市には白鳥の地名があって白鳥神社が3社も鎮座しており、小碓命(=日本武尊)の存在が想定されます。土岐市鶴里柿野一帯は猿投山に近いので、大碓命がこの辺りに隠棲していたと仮定すれば、猿投山に登る途中、蛇に噛まれて死んだと言う伝承にも整合します。よって、小碓命は柿野の地で大碓命を匿ったと考えて矛盾はありません。

一方、大碓命は牟宜都君等之祖である押黒弟日子王の父で、牟宜都は武儀郡すなわち岐阜県関市から美濃市の一帯であるとも書いています。大碓命は美濃国武儀郡に封ぜられたと考えても、おかしくはないのです。となると、美濃国武儀郡周辺も調べてみないと片手落ちとなります。早速チェックしてみましょう。

まずは岐阜県神社庁のホームページで検索してみました。すると、驚くような由緒を持つ神社を発見。 岐阜県山県市柿野1318番地に鎮座する清瀬神社です。内容は以下の通り。

大碓命美濃國に座し此の柿野に住給ひしを、後其の霊を祀ると云ふ。又大碓命何の故にか密かに此の柿野に住給ひし跡なりとて字戸立の渓谷に四方巌にて戸を廻らしたる如き所有り。大碓命の霊を鎮齋し、内宮柿野明神と云ひ、(外宮柿野明神・西の宮の対)東の宮と唱ふ。文治二年三月正三位を授けられしと伝へども確証なし。美濃國神名帳内清瀬明神は乃ち本社のことなるか。異本神名帳内、東宮明神とあるは本社のことなるべし。大正十三年字内の門之宮神社字浦山猿子神社の二社を相殿に合祀す。


ホームページは以下を参照ください。
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=1782&shrname=%E2%98%85%E6%B8%85%E7%80%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%98%85


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所在地を示すグーグル地図画像。旧山県郡は武儀郡のお隣です。

まず驚いたのは、山県市にも土岐市と同じ柿野の地名があることです。これは容易ならぬ事態…。遠く離れた二つの場所に同じ地名があって、祭神も兄と弟で、切り離せないと思えるからです。しかも、山県市柿野に鎮座する清瀬神社の祭神・大碓命は、柿野明神とされています。

土岐市鶴里柿野2240の白鳥神社も鎮座地は山県市と同じ柿野にあり、祭神は小碓命で垣野明神となっています。神様の名前も同じですが、鶴里柿野の白鳥神社由緒によると、垣野明神は小碓命です。一方、清瀬神社では柿野明神は大碓命でした。

土岐市と大県市に同じ地名があり、同じ神名で小碓命、大碓命が祀られているのです。これは一体どうしたことでしょう?二人は双生児とされるので、同じ神名で実体は小碓命、大碓命であってもおかしくありませんが、さらに調べを進めます。

山県市柿野1342番地には太刀矢神社 (たちやじんじゃ)が鎮座しています。由緒は以下の通り。

日本武尊・大碓命御在世の時常に持給ひし弓矢剱などを納め、此処に一社を建立して太刀矢社と云ふと伝へり。又本村は大碓命御住居もありし地にて、倭建命の御由緒も有り。且つ又、乙洞などと云う字もあれば、美濃弟彦の出所にて、弓矢の由縁もあれば、弟彦を祀れるかと云へども確証なし。本社号「太刀矢」は立野にて、本国神名帳内「立野明神」なるべしと云ひ、又太刀矢社は同帳剱之明神かとも云へり。


神社庁ホームページは以下を参照。
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=1784&shrname=%E2%98%85%E5%A4%AA%E5%88%80%E7%9F%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%98%85

大碓命の住居が柿野にあり、倭建命(=日本武尊)の由緒もあると書かれています。日本武尊もきちんと出てきました。この由緒を見る限りでは日本武尊が大碓命をかくまったようにも感じられます。さらに調べてみると…。

山県市柿野787番地に垣野神社が鎮座していると判明。由緒は以下の通りです。

創祀未詳。日本武尊牛に乗りて大碓命の後を尋ねて乱賊を討伐しつつ本区の南口に来座せしに、其の牛遂に斃れために依り、其処に遺骸を埋め碑を建て給ひしと伝へて古来是を牛塚・牛象と云ひ伝へ来る。尊の賊を平らげ民を救ひ給ふを以て奉斎したると伝ふ。後鳥羽天皇文治二年正三位を授けられし。外宮柿野明神、西宮と称し、内宮柿野明神東宮は清瀬神社なり。大正十三年三月十四日御鍬神社・神明神社・大将軍神社の三社を合祀したり。
特殊神事、清瀬神社と兄弟神なれば、御旅所へ神幸両神社を合せて祭祀を行う。獅子神楽の舞、からくりの奉納


ホームページは以下を参照。
http://www.gifu-jinjacho.jp/syosai.php?shrno=1783&shrname=%E2%98%85%E5%9E%A3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E2%98%85

上記のように日本武尊を祀る神社も存在していますが、神社名は柿野ではなく垣野でした。いずれにしても、垣野神社の由緒によれば小碓命と大碓命の両者は共に柿野(垣野)明神と考えられます。こちらには、小碓命と大碓命が一年に一度山車で顔を合わせる行事(柿野まつり)があります。詳細は以下を参照。
http://asp.nihon-kankou.or.jp/bnr/ctrl?evt=ShowBukken&ID=21443be2220091063

兄弟が出会うのですから、やはり小碓命が大碓命を匿っているように見えます。実際、そのような伝説も柿野地区にあったとのこと。

さてはて、土岐市鶴里柿野と山県市柿野。一体どちらの柿野が本家本元の柿野なのでしょう。日本武尊が絡む話は相似形が多すぎて困ってしまいます…。

                 熱田神宮の謎を解く その41に続く
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酔石亭主

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