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熱田神宮の謎を解く その46


真清田神社の祭神は天火明命とされていますが、Wikipediaには以下のように記載ありました。

天火明命は、神武天皇33年にこの地を「尾張」と名づけ開拓した天香山命の父神である。天香山命の子孫が尾張氏とされ、天火明命は尾張氏の祖神とされる。 なお、祭神については古くから諸説ある。


尾張を開拓したはずの天香山命が、なぜ真清田神社に祀られていないのか疑問もあります。それは別としても、祭神については古くから諸説あるとのこと。どんな説があるのかネット情報を検索したところ、大己貴命(オオナムチ)や国之常立神(クニノトコタチ)などが出てきました。尾張氏とは全く関係のない神です。でも、チェックした範囲の記事には根拠が書かれていません。もっと詳しく調べる必要がありそうです。一宮市史などをチェック結果、以下の内容が判明しました。

真清田神社には伝正徹筆による由緒・「古縁起」(真清田神社縁起)が伝わっています。正徹(歌人で東福寺の僧)がこの由緒を書いたのは応永25年(1418年)のことらしいのですが、本当かどうかは不明です。「古縁起」によれば、崇神天皇の夢によって国之常立神を勧請し祭神としたそうです。完全に伝説の世界で具体的な根拠はなさそうです。

卜部兼凞(1348年~1402年)の「大日本国一宮記」によれば、祭神は大己貴命となっています。ただ、この書は江戸時代に加筆されており、その時点で大己貴命となった可能性が高いようです。しかし、何らかの伝承が元になっている可能性も否定できません。

祭神を天火明命とするのは、江戸時代の吉見幸和(神道家)が「宗廟社稷問答」、「大日本史」などで唱えた説です。また「真清」は真清鏡(ますのかがみ)に由来するとの説から鏡作に関係し、天火明命後裔の鏡作氏と関係が想定されます。岐阜県の各務原(かがみはら、一宮市の北東に位置する)の地名も、銅鏡などを作る鏡作部の存在と関わってきます。さらに尾張には尾張氏を祀る神社が多いことから明治政府は祭神を天火明命とすることで公式に認めました。

鏡作坐天照御魂神社に関しては以下を参照ください。
http://www.genbu.net/data/yamato/kagami1_title.htm

鎮座地が田原本町で秦氏の拠点であるのも気になります…。いずれにしても、祭神が正式に天火明命となったのは明治以降となるのです。祭神をどう考えればいいのか検討が必要ですね。

ところで、一宮市には大神神社が鎮座しています。鎮座地は一宮市花池2-15-28。この神社に関しては以下Wikipediaより引用します。

旧鎮座地の地名は大和町宮地花池(現在の古宮公園の位置)であり、大和国から移り住んだ人々が創始したともされる。他に、天火明命(尾張氏の祖神)の十世の孫である大美和都禰命(オオミヤツネノミコト)が祭神であったとする説もある。神紋は桜井市の大神神社と同じ三杉である。
当社が尾張国一宮であるとする説があり、近くには同じく尾張国一宮とされる真清田神社がある。大神神社の社伝では、大神神社と真清田神社を相殿として一宮としたと伝える。


いかがでしょう?真清田神社の近くには尾張国一宮かもしれない大神神社が鎮座していました。大神神社の祭神は大物主神で、奈良県に鎮座する大神神社の祭神と同じです。大物主神なら大己貴神との関係はありますが、尾張氏とは全く関係ありません。さらに一宮市博物館の展示パネルを見たところ、以下のようなものがありました。

104_convert_20130413093509.jpg
郡郷と条里遺構。

展示パネルには美和郷があります。明らかに三輪山の美和で繋がりがあります。

真清田神社も大神神社も大和から来た人々が創始したと考えられるものの、尾張氏とは関係なさそうに見え、出雲系の匂いが漂い始めています。いずれにしても、真清田神社の祭神が古代から天火明命であったとする確証はどこにもないのです。博物館にはもう一つパネルがありました。

105_convert_20130413093537.jpg
もう一つのパネル。

真清田神社の北側に酒見御厨とあります。記事の流れとは直接関係ありませんが、ここは倭姫命(第11代垂仁天皇の第4皇女)が伊勢に入る前に天照大神を奉じて立ち寄った場所(元伊勢)で、中島宮とされています。現在は酒見神社(鎮座地は一宮市今伊勢町本神戸字宮山1476で、主祭神は天照皇大御神)が鎮座しています。酒見神社に関しては以下Wikipediaより引用します。

天照大神の御霊代を祀る地を求めて旅をしていた倭姫命は、垂仁天皇14年、美濃国伊久良河宮(現岐阜県瑞穂市居倉天神神社と伝えられる)から尾張の神戸であった当地にしばらく滞在し、神体を宮山に祀った。その後、地元の人々によって社殿が作られたのが当社の始まりであると伝える。社伝によれば、その時の社殿は全て丸い柱で造られ、草葺きの屋根で吹き抜けであったという。


今伊勢町に関しても以下Wikipediaより引用します。

平安時代に記述された「太神宮諸雑事記」に、尾張国造により、中嶋郡が中嶋神戸として、伊勢神宮領として寄進されたという内容の記述がある。中嶋神戸は、今伊勢町本神戸と推測される。


「太神宮諸雑事記第一」の記述内容は、「次尾張国中嶋郡一宿御坐、国造進中嶋神戸」となっています。倭姫命が立ち寄った地が、尾張国造により伊勢神宮に寄進され神領となったのです。時代を考えると、ここに記載された尾張国造は初代尾張国造とされる乎止與命(おとよのみこと)となりそうです。乎止與命は酔石亭主説では尾張版日本武尊であり、倭姫命は日本武尊の叔母に当たります。

となると、尾張氏の存在が垂仁天皇時代に確認できるとも言えますが、乎止與命=尾張版日本武尊の前提からすれば乎止與命も皇族となり、一宮には皇族の流入があったと考えられます。ますます尾張氏の影が薄まったような雰囲気となりました…。

                  熱田神宮の謎を解く その47に続く
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