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熱田神宮の謎を解く その47

熱田神宮の謎を解く
04 /19 2013

「説その2」(尾張氏は大和・高尾張邑が本貫地で、その後尾張一宮となる真清田神社に遠祖である天火明命を祀り、小牧市小針辺りが本拠とする説)の検討を続けます。真清田神社を見るだけでは難しそうなので、別の視点から考えます。真清田大神すなわち天火明命(と思われる神)が降臨したのは妙興寺の東・丹陽町多加木とされています。


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真清田大神降臨伝承地を示すグーグル地図画像。ほぼ真ん中のこんもりした場所。

問題は真清田神社サイドにここが降臨伝承地との由緒がないことです。それは何を意味しているのでしょう?うんと簡単に言えば、降臨したのは天火明命ではなかったということです。妙興寺一帯の地名は大和町妙興寺ですから、Wikiの記事が説明するように大和からこの地に人々が移住したこと自体は事実と思われます。しかしそれは天火明命ではない…。では、どんな神なのでしょう?丹陽町多加木周辺に何かヒントでも転がっていないでしょうか?

地図画像をにらめっこしていると丹陽町多加木の東に「あづら」と言う変わった地名がありました。ここには阿豆良神社(あずらじんじゃ)が鎮座しており、創建時期は垂仁天皇57年(28年)とされ、とても古い神社です。鎮座地は一宮市あずら1-7-19。


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鎮座地を示すグーグル地図画像。

神社の概要は以下Wikipediaより引用します。

祭神の天甕津媛命は出雲風土記などに記載されている出雲神話の神という。社伝によると、以下の話が伝わっている。
垂仁天皇の皇子品津別皇子7歳になっても言葉が話せなかったという。皇后の夢の中に天甕津媛命が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」ということを伝えたという。垂仁天皇は部下の建岡君に、天甕津媛命を探し出すように命じた。
建岡君は美濃国花鹿山(現岐阜県揖斐郡揖斐川町の花長上神社)に登り、榊の枝で縵を作って神に祈り、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう。」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に創建されたのが阿豆良神社という。

ほぼ同じ話が「古事記」にあり、品津別皇子が物を言わないのは出雲大神の祟りとしています。祟りを鎮めるため天皇が皇子を曙立王、菟上王とともに出雲に遣わし、大神を拝させると皇子は話せるようになりました。その帰り、皇子は肥長比売(ひながひめ)と同衾したのですが、この比売が蛇体であったため、畏れて逃げたとされます。彼女の名前にも蛇が表現されています。すなわち出雲・肥川(斐川)の長(ナーガ=蛇)である比売となります。

縵(かずら)は上記の場合髪飾りを意味しますが、蔓性植物を総称しています。縵が落ちた場所の地名が丹羽郡の吾縵(あずら)郷となり、社名の表記が変わって阿豆良になりました。なお江戸時代は吾蔓大明神と称していたとのことで、この名前からしても縵は蔓性植物を意味すると理解されます。

天甕津媛命は「出雲国風土記」において、出雲の郡の伊農の郷に鎮座しておいでになる赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)の后として記載されています。明らかに出雲系ですね。真清田神社の祭神が天火明命ではなく出雲系の大己貴命とすれば、阿豆良神社の祭神・天甕津媛命も同様に出雲系となります・

阿豆良神社には倭姫命が配祀され、摂社に一宮社(火明命を祀る)、二宮社(大荒田命を祀る)、津島社(素盞嗚尊を祀る)、国府宮社(大國魂命を祀る)などがあります。

配祀されている倭姫命は、既に書いたように垂仁天皇の14年に天照大神を奉じ伊勢へと向かう途中、尾張の地(中島宮)に立ち寄っています。中島宮の比定地は一宮市今伊勢町本神戸字宮山1476に鎮座する酒見神社です。次に摂社を見ていきます。一宮社は真清田神社です。二宮社「大荒田命」は既に訪問した大縣神社です。津島社は津島神社でいずれアップしますが、現在のテーマとは関係ありません。

なお、阿豆良神社のすぐ近く、一宮市丹陽町猿海道字六反田に鎮座する小豊神社は、創建年代・由緒ともに不詳ですが、祭神は乎止與命となります。乎止與命は上知我麻社の祭神で、元々は松炬島の千竈に鎮座していたと推定され、現在は星崎に鎮座する星宮社の境内に鎮座しています。詳細は「その9」を参照ください。


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小豊神社を示すグーグル地図画像。

ところで、天甕津媛命の名前がちょっと気になります。どこかで似たような名前が出てきたはずだからです。そう、かつては松炬島と呼ばれていた星崎に鎮座する星宮社の祭神・天津甕星(あまつみかほし)です。おや、上記したように乎止與命も星宮社の境内に鎮座しています。何か見えない糸で繋がっているような…。

もしかしたら、天津甕星が阿豆良神社の近くに祀られているかもしれません。例えば、まだ検討していない国府宮社はどうでしょう?と言うことで、国府宮社に行ってみます。

国府宮社とは稲沢市国府宮1-1-1に鎮座する尾張大國霊神社を意味します。はだか祭で有名ですね。


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尾張大國霊神社の位置を示すグーグル地図画像。

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参道の桜と立派な木造の鳥居。

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楼門と桜。

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巨大な楼門。

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楼門と桜。

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楼門は重要文化財です。

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蕃塀。

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尾張式の社殿。

尾張大國霊神社を見ても解説板はなさそうです。これだけ立派な神社なのに妙ですね。祭神は尾張大國霊神とされていますが、それだけでは何もわかりません。意図的に神様を曖昧にしているのでしょうか?ちょっと怪しいので、神社のホームページを参照します。
http://www.konomiya.or.jp/main/about

尾張総社・国府宮とあり尾張国において最重要な地位にある神社であると理解されます。由緒には、尾張人の祖先がこの地に移住開拓し、云々とあり、外部から入った神となりそうです。いずれにしても、神社の由緒だけでは何もわかりません。やはり隠したい何かがありそうな雰囲気です。

そこで、尾張大國霊神社の平成祭礼データをチェック結果、以下の記載がありました。

天背男命(尾張族の祖先)の子孫である中島直(後に久田氏、野々部氏を称して明治維新まで奉仕しました)をして奉仕せしめられたという。…中略…神職には古くから尾張族の遠祖、天背男命の子孫が代々奉仕して来ました。

出てきましたよ。天背男命(あませお)は天香香背男(あめのかかせお、あめのかがせお)や天津甕星の別名(同神)であり、「日本書紀」では悪神として登場し、天孫降臨のさいに最後まで反抗した神です。神社の位置関係や名前からして天甕津媛命は天津甕星と対になっていると考えられ、二人の間には何らかの関係(例えば兄・妹や同族)がありそうです。

となると、天津甕星は出雲族と考えられます。しかし、平成祭礼データでは天背男命(=天津甕星)は尾張族の祖先となっています。一方、「天神本紀」では天背男命は山背久我直等祖とされています。

山背国は秦氏の最重要拠点ですが、既に書いたようにかつては出雲族の地であり、秦氏が創建したとされる松尾大社も出雲族の信仰を秦氏が取り込んだものと理解されます。そうした状況を反映した摂社が尾張大國霊神社にないか調べてみましょう。すると、ありました。国府宮駅から尾張大國霊神社へと向かう途中に、境内別宮とされる大御霊神社が鎮座しています。(大御霊神社の鎮座地は尾張大國霊神社を示すグーグル地図画像参照)

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大御霊神社。

この神社の祭神は、大年神の御子神の大国御魂神とされます。「秦氏の研究」などで著名な大和岩雄氏は大年系の神は秦氏と関係が深いとしていますが、一方で大国御魂神は大国主命ともされ、出雲系と秦氏系が融合したような雰囲気があります。

以前「久我山の秦氏」で、久我の地名に関して見てきました。現在でも秦氏が創建した伏見稲荷大社の鎮座する伏見区に、久我の地名が存在します。天背男命が山背久我直等祖であるとすれば、国府宮周辺にも久我の地名が存在するかもしれません。調べたところ、尾張大國霊神社近くに陸田町(くがたまち)の地名がありました。盛り上がった土地や堤防を陸(くが)と呼んだことから、久我(くが)の地名が成立しているので、どんぴしゃりとなります。どうやら、地名からも天背男命(=天津甕星)の存在が確認できそうです。


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陸田町の位置を示すグーグル地図画像。

尾張氏の背後には物部氏がいてその背後には出雲族がいると言うのが、今まで見てきた尾張国の構造ですが、尾張北部においては出雲族がかなり前面に出ているように思えます。それでも結局、天背男命は尾張族の祖にすり替えられてしまったのです。

天津甕星に関して検討するとそれだけで一つのシリーズとなりそうなので、とてもここでは書けません。ただ星神である天津甕星を祀る神社は常陸国に多くあり、同時に常陸国は物部氏の拠点でもあります。房総半島においても物部氏と出雲族が存在しています。

長々と書いてきましたが、尾張大國霊神社に鎮座する神様の実体は天津甕星のようです。丹陽町多加木に降臨した真清田大神は天火明命ではなく、天津甕星であった可能性が高くなってきました。となると、真清田神社の祭神も天火明命や大己貴命ではなく、天津甕星となりそうな気配です。でも、それは論証可能でしょうか?面白そうな謎解きなので、一つ挑戦してみましょう。

真清田の真清は「ますみのかがみ」(真澄鏡)であり鏡を意味します。鏡は蛇の目を連想させることから蛇目(かかめ)と呼ばれ、それが転じて「かがみ」になりました。「かがみ」は鏡と蛇の両方を意味する言葉となったのです。「かか」は蛇であり天津甕星の別名である天香香背男(あめのかかせお、あめのかがせお)は蛇神となります。そして出雲族は竜蛇族でした。

蘿藦(ががいも)の古名は「和名抄」によると「かがみ」です。この蔓性植物は形が蛇の身体に相似しているため「かがみ」と言われるようになりました。阿豆良(あずら)神社の社名は、蘿藦と同じ蔓性植物である縵(かずら)が元になっています。ここから阿豆良神社は蛇神と関係がありそうです。

そして縵のみならず、蛇体である肥長比売との関係からも蛇神と関連があり、天津甕星との関係が想定されます。よって、阿豆良神社の祭神・天甕津媛命も蛇神であり、天津甕星と対になっているのです。さらに蛇神は一般的には星神とされます。

天津甕星に関して以下Wikipediaより引用します。

平田篤胤は、神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとし、天津甕星は金星のことであるとしている。「カガ」は「輝く」の意で、星が輝く様子を表したものであると考えられる。

Wikiの記述からも、天津甕星=天香香背男(あめのかがせお)は星神であると理解され、また「カガ」は蛇をも意味することから蛇神でもあることになります。以上から真清田神社の隠れ祭神は天津甕星と考えられます。

その9」において松炬島であった星崎に鎮座する星宮社の祭神が天津甕星であったことを見てきました。

そして、松炬島は熱田神宮の元々宮であると書いています。酔石亭主が尾張氏の最重要拠点と考える松炬島のみならず、真清田神社が鎮座する一宮市、尾張大國霊神社が鎮座する稲沢市まで天火明命ではなく、天津甕星が祀られている可能性があるのです。改めて考えると不思議でなりませんね。

以上から、尾張氏の支配地域とされる一宮市から稲沢市国府宮にかけての一帯は、当初、尾張氏の支配領域ではなかったことになります。尾張氏が勢力を増して尾張国全域を自分の統制下に置いた結果、これら神社が尾張氏系と見做されるようになったと言うのが実情ではないでしょうか?それは尾張氏の本貫地ともされる東谷山周辺も同様と思われます。よって、尾張氏は高尾張から一宮市(中島郡)に降臨して小牧市小針を本拠にしたと言う西村説には疑問を感じます。

               熱田神宮の謎を解く その48に続く
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酔石亭主

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