FC2ブログ

大野城址


大野海岸での探石(と言う程のものではありませんが)を終えて、大野城址に向かいました。この城は三河国守護の一色範氏の子である一色範光が築いたとされています。築城時期は良くわかりませんが1300年代の後半と見られます。


大きな地図で見る
大野城址の位置を示すグーグル地図画像。

028_convert_20130506085837.jpg
大野城遠望。

027_convert_20130506085813.jpg
もう一枚。

写真の大野城は摸擬天守閣であり、実態は観光用の展望台です。でも、この位置から撮影すると本物の城みたいに見えます。

駐車場に車を止め、階段をしばし登るとかつて城があった青海山の山頂に到着します。山頂からは伊勢湾を見下ろすことができ、思いのほか良い眺望を楽しめます。

007_convert_20130506085900.jpg
伊勢湾の眺望。

008_convert_20130506085922.jpg
もう一枚。

009_convert_20130506085943.jpg
城の解説板。内容を抜粋します。

ここは昔、佐治の城があったところである。古くは宮山城とか大野城と呼ばれていた。城主佐治一族については、いろいろな話が伝えられているが、室町時代の終わり頃の戦国時代に四代の城主が続いて勢力を張っていたと思われる。

初代 佐治駿河守宗貞 江州(滋賀県)より移住して大野城主となる。
二代 佐治上野守為貞 斉年寺を建て雪舟の「恵可断ぴ図」を寄進した。
三代 佐治八郎信方 元亀2年(1571年)5月9日没 織田信長の妹、於犬の方を妻として信長に協力したが、伊勢長島の戦いで討ち死にした。
四代 佐治与九郎一成 寛永11年(1634年)没 信長のめい小督を妻としたが離婚、小督は後の徳川二代将軍秀忠の正室となった。与九郎は大野城落放棄後、伊勢に居り後に京都で病死したと伝えられている。

現在、佐治神社のある一段と高いところに物見櫓があったようである。


010_convert_20130506090007.jpg
佐治神社です。

一色氏は将軍足利義政と対立し、三河守護職を失い勢力が衰えます。それに乗じて尾張守護の土岐氏が大野城を奪い家臣の佐治宗貞が支配することとなりました。

大野城で最も有名な人物はNHKの大河ドラマにもなったお江です。彼女は織田信長の妹・市と浅井長政の間に生まれた三姉妹の一人で、三女となります。長姉の茶々は淀君として豊臣秀吉の側室となり、次姉の初は京極高次の正室になり、いずれも戦国時代において波乱万丈の人生を送りました。

お江の結婚相手、四代目の佐治一成の父・信方は解説板にあるように、織田信長の妹、於犬の方を妻としています。つまり、お江と一成の結婚はいとこ同士だったのです。(お江と一成の結婚に関しては諸説あります)信方は織田信長にすり寄って、自分の立場を強くしようとしたのでしょうね。でも、一成が信長の死後、小牧・長久手の合戦で徳川方に与した結果、秀吉の怒りを買って城を放棄する羽目となったのです。佐治氏の後は、信長の弟である長益(有楽斉)が城主になったものの、水利の悪さから大草城に移り、廃城となりました。
スポンサーサイト



プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
04 | 2013/05 | 06
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる