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蓮台寺


大野城址と天満社を見終わり次に蓮台寺に向かいました。このお寺は大野城同様、一色氏と佐治氏が関係しているようです。すなわち、創建は一色氏の一色道秀の手になり、正和3年(1314年)とされています。ところが、蓮台寺には佐治氏初代である佐治宗貞の墓があるのです。であれば、お江の痕跡もあるかもしれません。と言うことで、早速行ってみましょう。


大きな地図で見る
蓮台寺の位置を示すグーグル地図画像。

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山門と本堂。一色氏と佐治氏が関連するだけに、堂々たる構えのお寺です。

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山門。

蓮台寺の中には知多四国八十八カ所六七番の三光院もあります。檀家の減少で維持が困難となりこちらに移転したようです。

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佐治氏初代の墓所。寿山塚と称されています。

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本堂と松の巨木。

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松と瓦屋根のコントラストが見事です。

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こちらにも松が…。

衣掛けの松とのことです。

伝説によると、お江は、大野城落城の際、佐治家の守り本尊である阿弥陀如来の掛軸を持って小倉の蓮台寺に逃げ込み、大興寺へと向かったそうです。逃げる際、追手の目を欺くため、自分の衣を松の小枝に掛け、死を装った上で姿を隠したとのこと。その故事から、この松は「衣掛けの松」と称されるようになったそうです。

松は門の前にありますが、お江がここから境内に入った際、門をかたく閉ざしたとのこと。それ以降一度も開けられていないことから、「あかずの門」と称されています。

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あかずの門と衣掛けの松。

門は見る限りでは新しいので、何度か作り変えられているように思えます。工事の時点では開いたはずですが…。

さて、佐治家は小牧長久手の戦いにおいて家康方に味方するような行動を取ったため、怒った秀吉は茶々の病気見舞いを口実にしてお江を大阪に呼び戻し、佐治一成と離縁させてしまいました。その後一成は大野城を放棄させられるのです。

この時系列が正しいかどうか調べていないので不明ですが、仮に正しいとすれば、お江は大阪に呼び戻され、その後一成は大野城を放棄させられることになります。もしそうなら、蓮台寺に伝わる話は辻褄が合わないことになってしまいます。お江が蓮台寺から大興寺に逃げ、落ち延びて行ったとしたら、どこかで捕まって大阪に送られたことになりそう…。史実はどうであったか、タイムマシンがあれば見に行きたいですね。
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