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無量寿寺かきつばた園 その5 東海市の在原業平伝説


三河国八橋における在原業平ストーリーが伝説だとすれば、似たような話が別の場所にある可能性も浮上します。何しろ在原業平の墓でさえ日本各地にあるのですから…。と言う視点で調べてみたところ、驚いたことに東海市に全く同じ内容の伝承が伝わっていました。
場所は東海市富木島町貴船12にある宝珠寺です。早速行ってみましょう。


大きな地図で見る
場所を示すグーグル地図画像。

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宝珠寺に向かう石段です。左右に多くのシランが植えられ風に揺られていました。

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山門越しに見た観音堂。

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観音堂と本堂。

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本堂です。旧本堂は300年以上経過したので建て直したとのこと。

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解説板です。在原業平の位牌と坐像があるとのことです。

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融通念仏宗開祖良忍上人御誕生地の石碑です。

さて、在原業平の位牌は鎌倉時代か室町時代のもので、かなり古いことは確かなようです。でも、それだけでは何もわかりません。東海市のホームページをチェックしたところ位牌に関して以下の内容が書かれていました。

制作は室町時代の天文初期と思われます。位牌に刻まれた文字には、在原業平の名前が読み取れます。歴史上では、在原業平は元慶4年(880年)に病気のため56歳でなくなったとされていますが、この地には、信仰厚き観音菩薩と貴船大明神の加護により助かり、以後、都との連絡を絶ち、隠とん生活をして、10年の長生きで、寛平元年(889年)ころに富田の屋敷で亡くなったという伝説があります。

東海市ホームページは以下を参照ください。
http://www.city.tokai.aichi.jp/item/13571.htm

かなり詳しいと思いますが、まだはっきりしません。境内で本堂に手を合わせていたところ、ちょうどご住職が出て来られたのであれこれお聞きしました。ご住職の懇切丁寧なご説明と頂いたパンフレットを纏めれば大略以下のようになります。

都から東へ向かう途中、知多半島の付け根にあるこの富田郷(現在の東海市)の地は、伊勢から三河・関東へ向かう通り道でした。業平は伊勢の海を渡り富田の地に辿り着いたのですが、彼の後を追う女性がいました。その名は「あやめ」で都の朝廷に仕えていた若い女官です。

しかし都を捨てた業平は誰にも会うまいと心を決めています。あやめに見つかりそうになった業平は、井戸の脇にあった椎の木によじ登って身を隠しました。ところが、木の根元にあった井戸の水に業平の顔が映ってしまったのです。それを見たアヤメは、業平がいたと思ったのでしょうか、井戸に飛び込んで果てたとのこと。

いかがでしょう?三河八橋の場合、都から業平を慕って来たのは杜若姫(かきつばたひめ)でしたが、東海市の場合は女官アヤメです。これを読んで思わず笑ってしまいました。「いずれあやめか かきつばた」の句にもあるように、アヤメとカキツバタは区別がつきにくいのですが、人物も区別がつきにくかったようです。

いずれにしても、ストーリーの骨格は三河八橋のケースと全く同じです。井戸に飛び込んだ云々のくだりは三河八橋での伝説とは異なっていますが、無量寿寺にあった業平の井戸はもしかしたらこの話に対応しているのかもしれません。

話を続けます。業平は一途なアヤメをたいそう悲しく思い、この富田の地で五輪塔を建てて丁重に供養したとのこと。その供養塔辺りが現在の宝珠寺の基となったそうです。業平の東下りはその後も続き、三河八橋に至り、可憐に咲く「かきつばた」を見て例の歌を詠ったそうです。

さて、三河八橋においてどうしても理解できなかったことがありました。それは八橋の地名由来です。解説板には、羽田玄喜の妻が入江浦でコンブを採っていたとあるのに、どう考えても近くに海はなく、この矛盾を解消できなかったのです。しかしです。この話の本来の場所が実は富田郷(東海市)だったとすれば、矛盾は一挙に解決します。

宝珠寺のすぐ近くには大田川の支流が流れ、伊勢湾に注いでいます。当時は川幅も広く、河口部は入江状になっていたでしょう。そこでコンブを採っていた母のところへ2児が来て溺れてしまい、母は幾筋も分流している大田川に八つの橋を掛けたとすれば、筋は通ります。その状況も八橋の伝説とぴったり一致します。

東下りの経路から考えても、富田の地が先になるので、こちらの話が三河八橋に伝わって在原業平の伝説が成立したと考えられないでしょうか?どうやら東海市の在原業平伝説は、平安の世から現在に至るまで宣伝不足で、史跡名勝の地位を三河八橋に持って行かれたようですね。今からでも遅くないので、あやめ園を作って大々的に宣伝したらどうでしょう。

それはさて置き、在原業平はアヤメの死後この地に一心寺を建立します。平安末期になって融通念仏開祖良忍上人が正法山一心院を建立し藤原家累代の墓所とします。良忍の父である藤原道武は五輪塔の傍らに業平を開祖とする寺院を復興、この寺が宝珠寺となりました。寺は江戸時代の元禄年間(1688年~1704年)、良忍の生誕地で富田城址である現在地に移転します。

ご住職のお話が終わってから、在原業平の位牌を見せてあげるとのお言葉を頂き、本堂に入ることができました。見知らぬ相手にそこまでして頂くとは本当にびっくりです。堂内で在原業平坐像を拝見したのですが、位牌はどこかにしまいこんでしまったらしく残念ながら拝見はできませんでした。いずれにしても、ご住職様の多大なご厚情に改めてお礼申し上げます。

なお、以下の宝珠寺youtubeには位牌と在原業平坐像が出てきますので参照ください。
http://www.youtube.com/watch?v=yfTI73kWLUI

宝珠寺を見た結果、東海市が在原業平伝説の本家・本元の地である気配が強まってきました。でもそれだけでは、伝説や史料の集積がまだ不十分です。次回はこの地にある他の業平伝説を探索します。
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