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無量寿寺かきつばた園 その8 東海市の在原業平伝説


全く唐突な話ですが、ことによると徳川家康は在原業平の子孫になるかもしれません。どうしてそうなるのでしょう?前回で、荒尾氏は在原業平の後裔氏族と書きました。実は「古代氏族系譜集成」によると、松平信重の父である信盛(在原信盛)は荒尾氏である荒尾持頼と同一人物とされているのです。(随分ややこしいですね)信盛は後宇多天皇(1274年 〜1287 年)に仕えた公家であり、上記の関係から在原業平の子孫とされ、松平郷を開拓した人物とされています。

そして徳川氏の祖は松平信重に婿養子に入った時宗の遊行僧・徳阿弥でした。まんまと松平家に入り込んだ徳阿弥は、還俗して松平親氏を名乗ったとされます。こうして松平郷の領主となった親氏は勢力を拡大して松平氏の基礎を築いたのです。(注:ここまでの内容の信憑性は保証の限りではありません)

でも、それで納得。荒尾氏は現在の東海市に勢力を持った氏族であり、その後裔である荒尾持頼=在原信盛が三河松平郷の開拓者となったから、在原業平伝説の元は東海市であり、その情報をいち早く入手した三河側はそれを自分たちのものとしたため、三河八橋は業平伝説の地となったのです。これは、分家が本家を凌ぐ地位になったのと同じようなものですね。(けれども、どうやら東海市の業平伝説の大本家・大本元の地が別にありそうです…)

もう一つ、東海市の在原業平伝説とは全く関係なさそうな、いや関係あるかもしれない話を書くことにします。在原業平は大和から河内国高安郡を行き来していたそうで、その道は業平道(ルートは諸説あるようです)と称されています。高安郡には教興寺と言うお寺があり、この寺は秦寺とも称され、秦川勝が創建したとされています。近くには秦氏地名の高尾山(現高安山)もあり、東大寺大仏造立に関与した高安郡の人物で秦舟人がいます。このように高安は秦氏の拠点の一つでした。

業平と高安に関連してある伝説が存在しています。例によって、業平は高安の女の元に通っていました。ある時のこと、女がなかなか現れないので家の中を覗いたところ、女がおひつに残ったご飯をしゃもじで食べています。品のない女の姿を目の当たりにした業平は、いたく興ざめして女の家から立ち去ってしまいました。

それに気付いた女は慌てて業平の後を追いかけます。業平は女に見つからないよう木に登って身を隠しました。業平を見失った女が木の傍らの井戸を覗くと、業平の姿が映っています。業平がいたと思った女は井戸に飛び込んで死んでしまったそうです。この井戸は業平姿見の井戸と称され現存しています。詳細は以下の奈良県観光情報を参照ください。
http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/contents/contents.php?contents=0000003727&detail_category_id=all

秦氏を称する世阿弥は、この井戸と業平に材を取った能「井筒」を創作しています。同じく秦氏を称する金春禅竹が「杜若」を創作したケースとまるで同じですね。

さて、上記の伝説は基本部分が東海市のものとほとんど同じです。秦氏の拠点である高安郡の業平伝説が秦氏の手で東海市に伝わった可能性がここで浮上してきました。「秦氏の謎を解く」で書いたように、秦氏は平安期以降漂泊遊行の徒に変容し日本各地に散り、彼らの中には猿楽師も含まれます。

そうした事情が、業平伝説の伝播(河内国高安郡→尾張国知多郡富田郷→三河国八橋)に一役買っていた。また、秦氏を自称する禅竹や世阿弥は業平伝説に材を取った能を創作したとも言えそうです。と言う視点も踏まえて、東海市の在原業平伝説にどう秦氏が関与しているのかを探りましょう。

東海市における業平伝説の中心には言うまでもなく宝珠寺があります。「その6」で業平塚を紹介していますが、解説板には、融通念仏宗の開祖良忍上人の父で富田の領主、藤原道武が建立したとあります。これが正しいとすれば、東海市の在原業平伝説に関与した中心人物は藤原道武(平安時代後期の1100年初頭前後の人物)となります。

では、藤原道武とはどんな人物なのでしょう?実は彼こそが秦氏なのです。富田の領主である藤原道武。彼の名前は藤原秦氏兵曹道武でした。やはり業平伝説の背後には秦氏がいたのです。詳細は以下の大念佛寺ホームページを参照ください。
http://www.dainenbutsuji.com/guide/guide05.html

実は藤原秦氏兵曹道武に関しては「熱田神宮の謎を解く その1」で既に書いています。また宝珠寺ご住職も、藤原秦氏は名前に藤原が付いているが実態は秦氏だと話されていました。

宝珠寺のすぐ近くには、藤原道武が秦氏であることを証明する遺跡も存在しています。宝珠寺から数十メートルの場所に正法塚があり藤原秦氏先祖累代の墓所となっているのです。


大きな地図で見る
場所を示すグーグル地図画像。正法ハイツの正の字辺りとなるはずです。

一応、言葉で説明します。宝珠寺境内の背後は墓地となっています。墓地に上がって下ると、狭い道に出ます。

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狭い道。高圧鉄塔があるのですぐにわかります。

この道を道なりに数十メートル進むと、左手に曲がる道があります。道を曲がればすぐに正法塚が見えてきます。

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正法塚。

石段を登ると目の前に藤原秦氏の巨大な石柱が出迎えます。

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石柱。これで東海市の在原業平伝説に秦氏の関与があると確認されました。

東海市の在原業平伝説に秦氏の関与があり、河内国高安郡の伝説と同じ話が東海市に伝わっているのです。だとすれば、伝説を持ち運んだのはやはり秦氏だったのかもしれません。彼らは伝説や地名の持ち運びを得意技の一つとしているのです。

業平道は富雄川と竜田川の二つの川を渡り、それぞれに業平橋と称する橋が架かっています。二つの川の名前を合わせるとどうなるでしょう?そう、藤原秦氏の領地である富田郷の富田であり、大田川支流の富田川となってしまうのです。実にうまくできていますねぇ~。

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供養塔です。

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解説板。かつては十数基の塔があったとのことです。

ここは、知多半島にある多分唯一の秦氏関連の遺跡です。ただ、知多半島の半田市は地名からして秦氏関連の可能性があるので、どこかに隠れた遺跡でもあるかもしれません。半田の地名が秦氏と関連するケースは幾つもありますが、一例として以下の浜松市ホームページを参照ください。
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/square/pr/kouhou_all/121105/higashi/kikaku.htm

東海市の在原業平伝説は以上です。東海市にはこれだけの在原業平伝説に関連する遺跡や史料があるのですから、各所を訪問するための案内地図、詳しい解説などを纏めたパンフレットを作成したらいいのではないかと思います。

東海市の大池公園では「花しょうぶまつり」が5月下旬~6月中旬に開催されるはずです。この場所にあやめを大々的に植えて、「花しょうぶ&あやめまつり」と銘打って、これに合わせて業平伝説のパンフを配布し、あやめ饅頭でも売り出したらもっと有名になると思いますが、いかがなものでしょう?利用しない手はないと思いますが…。

なお、花菖蒲、カキツバタ、アヤメのいずれもアヤメ科アヤメ属の植物です。この三種の大元はアヤメなのでしょうね。ここからも業平を追いかけてきたのはアヤメと理解されます、などと勝手に解釈しました。三種の花は、花びらの基底部分の違いで見分けることができます。花菖蒲は黄色、カキツバタは白、アヤメは網目状の模様があります。次回は 無量寿寺かきつばた園周辺に戻ります。
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