FC2ブログ

東三河の秦氏 その16 徐福伝承の謎

東三河の秦氏
06 /29 2013

第1部で東三河における秦氏の存在は確認され、期せずして徐福の存在も浮上してきました。連続性を重視する観点から、第2部で東三河における徐福伝承の検討に入ります。一応シリーズ第2部に当たるとご理解ください。その検討に当たっていくつかの前提事項を書いておきたいと思います。さもないと、誤解が生じる恐れがあるからです。

「東三河の秦氏」第2部としてスタートした本シリーズのサブタイトルは、上記のように「徐福伝承の謎」です。しかし、「牛窪記」の記述によれば渡来したのは徐福本人ではなく孫の古座侍郎となっており、この点、お間違えのないよう願います。地元史には徐福本人が渡来したと受け取られそうな記述も見られ、ここが最も誤解されやすい部分になっています。

またこれから書き進めるのは、主として「牛窪記」の内容分析になります。つまり、徐福一族の渡来証明に挑戦するのではなく、書かれた内容に見られる誤認や誤解を整理・分析し、無関係な記述がパッチワークされている部分を切り離し、何が事実関係として浮かび上がって来るのかを探索することに主眼を置きたいのです。これは本シリーズおいて一貫したスタンスとなります。

「牛窪記」には「徐福ガ孫古座侍郎三州二移リ来ル故二、本宮山下秦氏者多シ」との記述があります。一読しておわかりのように前の文と後の文が繋がりません。これを補って修正すれば、「秦国・徐福の孫古座侍郎が三河に移り来た。その子孫は秦国の秦の字を取って秦氏と称したので、本宮山の山麓には秦氏が多い」となります。つまり徐福の子孫が日本において秦氏を称したとの記述になります。秦氏の存在の前提に徐福子孫が置かれている訳ですね。

そこで、徐福の子孫が秦氏を称しているとして考えてみます。その前提には徐福が約2200年前に日本に渡来したことが事実として存在しなければなりません。それを証明する当時の資料・遺跡・遺物など何もなく、ひょっとしたら万に一つ事実かもしれませんが、否定的に考えるのが当然の姿勢であろうと思います。徐福の渡来が証明できない以上、その子孫の存在を証明できません。よって、存在の可能性が限りなく低い徐福子孫が秦氏を称することは、現実的にあり得ないとわかります。

次に秦氏が徐福の子孫と自称しているとして考えてみます。秦氏の渡来は、渡来伝承による時期は別として、事実として存在します。彼らは古代の日本に実在した大族で、現在も子孫の方がたくさんおられます。また、徐福伝承地が複数(20カ所程度)存在するのも事実です。(もちろんそれがあるから徐福が来たと言っているのではありません)そしてなぜか、秦氏の地名或いは秦氏の痕跡がある場所に徐福伝承が存在しています。(注:具体的な場所は後の回で書きます)

これらを合理的に解釈するには、秦氏が徐福子孫を自称し徐福の伝承を持ち運んだとするしかないと思われます。彼らの実態を探ることは極めて困難ですが、徐福子孫を自称する秦氏が存在する可能性は、徐福子孫が秦氏を称する可能性より遥かに高いと言えます。酔石亭主はこうした秦氏を便宜的に徐福系秦氏と呼んでいる訳です。

秦氏は徐福のみならず、始皇帝をも先祖と自称しています。葛野系秦氏は始皇帝子孫と朝廷に申告し、それが「新撰姓名録」に載ってしまいました。始皇帝の子孫が日本に渡来した証明は徐福の渡来証明より遥かに困難です。つまり秦氏がそう自称しただけのことになります。

こうした秦氏の性向からも、秦氏が徐福子孫を自称した可能性が高いと判断されます。菟足神社を創建した秦石勝は、前回で書いたように秦川勝の子とされます。従って、同じ東三河にいても、秦石勝は葛野系秦氏であり徐福系秦氏ではないことになります。徐福系秦氏と葛野系秦氏は同じ秦を冠していながら、別系統と言えるのです。

さて現時点で、東三河における徐福伝承は以下のような経過を辿ったと推定しています。

1. 古代の東三河にいつの頃か不明だが徐福子孫を自称する徐福系秦氏が来た。
2. 平安末期から鎌倉初期にかけて東三河に熊野信仰が流入し、それと共に熊野の徐福伝承が熊野系の手で流れ込んだ。
3. 長山熊野神社の神主となった秦氏を自称する神保氏(着任は1300年代初頭と推定)が、それまでの伝承に新たな部分を追加し、内容を整理して代々保存した。


以上から、東三河の徐福伝承成立は3層構造になっていると理解されます。これが正しいかどうかは検証が不十分なので、より詳しい調査が必要です。

神保氏が代々保存したと推定される徐福伝承は、元禄10年(1679年)頃書かれた「牛窪記」(編・著者は不明。成立時期も推定)に繋がったと考えられます。(注:熊野信仰の関連や神保氏については後の回で詳しく書きます)

現代の私たちは、そうした経緯で成立した「牛窪記」をベースに、東三河における徐福伝承の実体解明に挑むことになるのです。なお「牛窪記」は東三河について書かれた地域史料であり、徐福と秦氏に関する記述は多くありません。主たる内容は、牛窪城主である牧野氏に関連するものとなっています。

               東三河の秦氏 その17 徐福伝承の謎に続く

酔石亭主

FC2ブログへようこそ!