FC2ブログ

東三河の秦氏 その3


前回は穂国の地名由来を主に見てきました。穂が秦氏の豊に由来すれば、東三河のほぼ全域が秦氏関連でカバーされ面白いのですが、とてもそこまでは言い切れません。なので今回は、もう少し細かく秦氏地名を見ていきます。まずは視点をできるだけ大きく取ります。かつて豊橋の大半は渥美郡に属していました。渥美郡に関して以下Wikipediaより引用します。

渥美郡(あつみのこおり)は三河国の郡。7世紀後半の評制度化では、飽海評(渥美郡)と呼ばれた。郡名は安曇連(あづみのむらじ)に由来すると伝えられている。伊勢国に近いため伊勢神宮の荘園である御厨・御園が多く存在した。垂仁天皇時代には、国造が三河国渥美郡の神戸を朝廷に寄進している(『太神宮諸雑事記』第一)…中略…渥美郡(あつみぐん)は、愛知県の南東部・渥美半島にあった郡。現在の豊橋市の大半(豊川・朝倉川の南側)と田原市の全域にあたる。

豊川市に関しても同様にWikipediaより引用します。

豊川(とよかわ、地名)というのは、古代律令制の三河国宝飯郡豊川郷に由来する。律令時代には国分寺が設置された。豊川(とよがわ、川の名前)は、古代律令制では、飽海川(あくみがわ)と呼んだ。この飽海(あくみ)というのは、渥美郡のことで、7世紀までは、飽海(あくみ)と書いたことが木簡から確認されている。

004_convert_20130607090011.jpg
各郡を示す図。

Wikiの記事から秦姓や羽田姓、羽田野姓の多い豊橋と豊川の古代の姿が垣間見えます。なお、地名としての豊川は三河国宝飯郡豊川郷に由来しますが、川の名前としての豊川は、 古代が飽海川、中世が吉田川、現代が豊川と変遷しています。実にややこしいですね。

また、渥美の地名は海人系安曇族に由来し、かつては飽海(あくみ)と表記されていたとわかります。「和名抄」によると渥美郡は六つの郷で構成され、幡太(はた)郷、和太(わた)郷、渥美郷、高蘆郷、礒部郷、大壁郷がありました。

幡太郷は秦氏との関連で理解できますが、場所はどこに比定されるのでしょう?豊橋市には羽田町があるので、調べるまでもなくここが幡太郷の中心と理解されます。などと安直に結論を出しては間違いの元。もっと慎重に、史料にも当たってチェックしてみます。

図書館で読んだ「田原町史」には以下のような図が掲載されていました。

006_convert_20130607090034.jpg
各郷の想定位置を示す地図。

この地図で気になる点があります。幡太郷は一つですが、和太(わた)郷は二カ所記載されている点です。一つは渥美半島先端部に近い和太郷で、もう一つは下条と嵩山の間にある和太郷です。これをどう考えればいいのでしょう?

次の点は和太の読みもハタから転じたものかもしれず、秦氏との関連が想定されることです。あるいは、和太(わた)は和田が転じたものかもしれません。今まで何度も出て来たように、和田の地名の近くには秦氏が存在する、或いは秦氏地名が多いからです。

と言うことで調べた結果、下条と嵩山の間にある和太郷は渥美郡ではなく、八名郡の和太郷でした。しかも、現在の石巻本町の和田が和太郷であることから、同様に渥美郡の和太も和田が転じたものである可能性が高くなります。なお、渥美郡の和太郷は和地の誤記という説があります。そこで和地を調べたところ、現在の田原市和地町は渥美半島の先端に近い場所にありました。


大きな地図で見る
和地町の位置を示すグーグル地図画像。

しかし、和太は海人系地名(=和田)と考えられ、渥美に存在してもおかしくないので、和地郷の転じたものではなさそうです。和田の地名と秦氏の関係からこの地に秦氏の痕跡がないかと思って調べたところ、実に面白い事実が判明しました。和地の近くには畠村(現在の福江町)があり、ここが幡太郷との説(和名鈔東三河郡郷之研究)もあったのです。


大きな地図で見る
福江町と畠神社を示すグーグル地図画像。

福江町周辺には茶畑、羽根畑、西原畑、東原畑、中畑、尋畑などの地名があり、和地一帯には萱畑、広畑、一色新畑、前畑、先祖畑などハタを含む地名が数多くありました。

豊橋市羽田町を中心とした幡太郷の近くに八名郡の和太郷があり、渥美半島先端に近い和太郷の北に畠村があり、こちらも幡太郷の可能性が出てきました。東三河に和太郷が二つあるなら幡太郷が二つあっても別に違和感はありません。

話は急に変わります。秦氏が日本に渡来するに当たっての中継地点(ミニ特異点)は巨丹(ホータン)ですが、現在の地名は和田(新疆ウイグル地区)です。「和闐」から「和田」に改称されたのは1986年で、現代と言えます。しかし、遠い昔秦氏の居住地であった巨丹が現在は和田なんて、偶然とは思えない不思議さがあります。

ここまで豊川・豊橋を見てきて、「信濃国の秦氏」で検討した旧波田町と共通する部分があることに気が付きました。波田町の北には海人系安曇族にちなむ安曇野があり、和田の地名があり、波田(秦)がありました。渥美郡も全く同様の構造を持っています。すなわち、渥美は安曇族に由来し、幡太郷は秦の郷を意味し、和太は和田を意味しているのです。

さらに、波田町には梓川が流れています。「信濃国の秦氏 その5」で書いたように、梓川は当初安曇族にちなむ名前の熱躬川(あつみがわ)でした。それが天智天皇7年(668年)に秦氏と関係の深い梓川と言う名前に改称されているのです。

豊川(とよがわ)も同様に、安曇族由来の飽海川であったものが吉田川に変わり、明治になって秦氏の「豊」と関係しそうな豊川(とよがわ)に改称されました。この点でも―若干こじつけ的ではありますが―波田町と豊川市は似通った構造を持っています。(地名の豊川(とよかわ)は古代律令制の三河国宝飯郡豊川郷に由来)

以上、東三河には秦氏との関連が想定される幡太郷が存在していることも確認できました。

                東三河の秦氏 その4に続く
スポンサーサイト



プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
05 | 2013/06 | 07
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる