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東三河の秦氏 その11

東三河の秦氏
06 /16 2013

前回、日色野町に関連して宇佐神宮を取り上げていますので、こちらをもう少し見ていきましょう。詳細は以下の同社ホームページを参照ください。
http://www.usajinguu.com/lineage.html

神社の歴史年表、神武天皇即位前期の項には、「神武天皇東征の折、菟狭津彦・菟狭津媛、菟狭川の川上に一柱騰宮を造営する」とあります。宇佐神宮の宇佐はウサギの菟(狭)だったのです。

宇佐神宮のある豊前国は、元は豊後国と併せて豊国と呼ばれ、「豊後国風土記」にその由来が書かれています。やや長いので大意を以下に記載します。

景行天皇が豊国直(とよくにのあたひ)らの祖の菟名手(うなて)を、同国を治めるために派遣した。豊前の国の仲津郡中臣村で夜になったので泊まると、翌朝白い鳥が飛んできた。鳥は見る間にに化して、芋草になった。これを天皇に報告すると天皇は喜び、これは天の神、地の神から授かった豊草であると仰せになり、姓(かばね)を賜い豊国直と言った。これにより豊国と言うようになった。

この話は秦氏が創建した伏見稲荷大社の創建伝承とも通底しています。内容は、秦伊呂具を使って的として弓を射たので餅は白い鳥となって山の峰に居た。その白鳥が化して伊禰奈利生いたので、社名とした。と言うものです。神社の社名が成立する経緯と豊国の国名が成立する経緯は同じ構造となっており、餅と白鳥も全く同じです。よっていずれも秦氏との関連が想定されます。

菟名手は後になってまた登場しますので記憶に留めてください。では、宇佐神宮の構成要素を東三河に当てはめてみましょう。まず東三河には豊橋、豊川など「豊」が付いた地名が数多くあります。(豊川や豊橋が秦氏地名と確認できる訳ではありません)Wikipediaには、「愛知県内に、豊の付いた自治体名が多いが、最古はこの豊川市である。8世紀の木簡から確認できる呼称」とあります。これは「豊国」に対応します。

豊橋市日色野町には宇佐神宮の創建伝承に出てくる「菱形」と同じ「菱形」の地名があります。そして菟の宇佐神宮と関係が深そうな「日色野町の菱形」があり、日色野町の北東には秦氏が深く関与した菟足神社(うたりじんじゃ、所在地:豊川市小坂井町宮脇2)が鎮座しています。そして、菟名手も宇佐神宮も菟足神社も皆「菟」のキーワードで繋がっているようです。ちょっと不思議ですね。


大きな地図で見る
菟足神社の位置を示すグーグル地図画像。

秦王国である豊前国に鎮座する宇佐神宮と対応する名前が東三河に見られるのは偶然でしょうか?そんなはずはありません。豊国の地名由来と秦氏が創建した伏見稲荷大社保創建伝承の類似しているのと同様に、宇佐神宮と東三河の類似の背後には秦氏の存在があったと想定されるのです。

                  東三河の秦氏 その12に続く
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酔石亭主

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