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東三河の秦氏 その15


今回は「東海の秦氏」でも書いている菟足神社を改めて見ていきます。

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菟足神社の鳥居越しに見る拝殿。

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注連縄と拝殿。

なぜか狛犬や石畳、屋根の一部などが赤茶けていますね。この辺りは鉄分が多いのでしょうか?

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拝殿内の超巨大な菟。

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菟足神社と徐福伝説の解説板。

この解説板に関しては既に書いていますが、重要な内容が含まれているので、改めて以下に記載します。

今から二千二百年ほど前、戦国の中国を銃一した秦の始皇帝は、徐福から東方海上に蓬莱など三つの神山があり、そこには不老不死の霊薬があるということを聞いた。
そこで、始皇帝はその霊薬を求めて来るよう徐福に命じ、三千人の童男童女と百工(多くの技術者)を連れ、蓬莱の島に向かわせた。 しかし、出発してからのその後の徐福一行の動向はわかつていない。
ところが、わが国には徐福一行の渡来地といわれている所が二十余箇所もある。しかも、わが小坂井町が徐福渡来地の一箇所として挙げられているのである。
それは次のような菟足神社に係わることからいわれるようになったと考えられている。
1.熊野に渡来した徐福一行は、この地方にも移り住み、その子孫が秦氏を名乗っている。
・豊橋市日色野町には、「秦氏の先祖は、中国から熊野へ渡来し、熊野からこの地方に来た」との言い伝えがある。
・牛窪記(元縁10年(1697)頃成立)には、「崇神天皇御宇二紀州手間戸之湊ヨリ徐氏古座侍郎之舟、此国湊六本松ト云浜二来ル。(中略)徐福ガ孫古座侍郎三州二移リ来ル故二、本宮山下秦氏者多シ…」とある。
2.菟足神社の創設者は、「秦氏」ともいわれている。
菟足神社県社昇格記念碑(大正11年12月22日昇格)に、「菟足神社は延喜式内の旧社にして祭神菟上足尼命は(中略)雄略天皇の御世、穂の国造に任けられ給ひて治民の功多かりしかば平井なる柏木浜に宮造して斎ひまつりしを天武の白鳳15年4月11日神の御教のまにまに秦石勝をして今の処に移し祀らしめ給ひしなり」と記されている。
3.菟足神社には、昔から中国的な生贄神事が行われている。
古来菟足神社の神事には、猪の生贄を供えていた。三河国の国司大江定基が、その生贄の残忍なありさまを見て出家し、唐に留学し寂照法師となったことが、「今昔物語」(平安後期)に書かれている。生贄神事には人身御供の伝説もあるが、現在では雀12羽を供えている。
以上のほか、三河地方が古来から熊野地方とは海路による往来が行われ、熊野信仰の修験者により熊野に伝わる徐福伝承が伝えられた。また、小坂井町が交通の要地で、東西を往来する人達の中かからも徐福の故事が伝えられたとも考えられる。
小坂井町教育委員会


上記解説板に関して「牛窪記」の記述や熊野との関係以外は、今までの探索(推測部分も含む)からほぼ裏付けを得ることができたと思われます。「牛窪記」に関しては後の回で包括的な検討を加える予定なので、お待ちください。

ただ、「熊野に渡来した徐福一行は、この地方にも移り住み、」の部分は、誤解を避けるため「熊野に渡来した徐福一行のうち孫の古座侍郎は、この地方に移り住み、」とすべきで、「わが小坂井町が徐福渡来地の一箇所として挙げられているのである。」の部分は、「わが小坂井町が徐福渡来地の一箇所として挙げられているが、「牛窪記」の記述によれば渡来したのは徐福本人ではなく孫の古座侍郎になっている。」とすべきでしょう。可能なら修正をお願いしたいところです。

ここで菟足神社創建に関する事情を探ってみたいと思います。元禄7年の菟足神社本縁によれば、天武天皇の14年(685年)2月に秦石勝が天皇の病快癒のため土佐国に出向き、土佐太神に祈願しました。この時の神託により、昇格碑文にあるように、天武の白鳳15年(686年)4月11日に小坂井の現在地に遷座したことになります。そして土佐太神は菟足神社の別宮に祀られています。

なぜ土佐がここで出てくるのでしょう?土佐と東三河の間に何か関連するものがないか探って見ます。例えば、天武天皇の時代は極めて地震が多く、20回以上が記録されています。次の持統天皇の時代は激減して1回です。そして、天武天皇の13年(684年)には白鳳地震の記録が残されています。白鳳地震に関しては以下Wikipediaより引用します。

白鳳地震(はくほうじしん)は白鳳時代(飛鳥時代後期)の天武天皇13年(684年)に起きた、南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震である。南海トラフ巨大地震と推定される地震の確実な記録としては最古のものである。白鳳の大地震(はくほうのおおじしん)、白鳳大地震(はくほうおおじしん)、あるいは天武地震(てんむじしん)とも呼ばれる。
記録による土佐や伊予の被害の様相から南海地震と考えられていたため白鳳南海地震(はくほうなんかいじしん)とも呼ばれてきたが、発掘調査により、ほぼ同時期に東海地震・東南海地震も連動したと推定されている。

「日本書紀」には朱鳥元年(686年)の8月13日の条に「秦忌寸石勝を遣わして、幣を土左大神に奉る」とあります。昇格碑文とは1年のずれが出ていますが、大差ないので無視しましょう。では時系列で見ていきます。

天武天皇13年(684年)白鳳地震発生。これは南海トラフ巨大地震に相当する三連動巨大地震と思われます。天武天皇14年或いは15年(685年或いは686年)秦石勝が土佐太神に天皇の快癒祈願。天武天皇の白鳳15年(686年)4月11日に秦石勝が菟足神社を創建。となります。

ここから何が見えるでしょう。秦石勝の土佐と東三河訪問は地震との関連が強いと思われます。秦石勝は被害の大きかった土佐で、地震を鎮める儀式を執行し、次いで平井濱の菟上足尼命を祀る宮殿が地震と津波で壊滅したため小坂井に遷座させたのではないでしょうか?となると、秦石勝が土佐太神に天皇の快癒祈願したのは685年になりそうです。地震を鎮める儀式が奏功したのか、持統天皇期には地震の発生回数が激減しています。

土佐太神は現在の土佐神社で近くには秦の入った地名もあり、秦氏と関係の深い場所です。さらに幡多郷もあります。また土佐国にも徐福伝承があります。場所は高岡郡佐川町の虚空蔵山です。

町の伝承によれば、徐福の一行は暴風雨にあい、土佐の宇佐に漂着して、虚空蔵山に登ったとのことです。さらに四国の長宗我部氏は徐福子孫を自称しています。これらは以前にも書いていますので省きますが、東三河と土佐の関係の中で秦氏や徐福が出てくる点は注目されます。漂着したのが土佐の宇佐と言うのも面白いですね。

菟足神社の重要なお祭りは「風祭り」です。一方、土佐神社には「しなね祭」と言う祭礼があり、風の神志那都比古から発したという説が有力です。同じ風が関連しているところにも共通する何かがありそうです。土佐神社ホームページは以下を参照ください。
http://www.tosajinja.i-tosa.com/sinanesai.html

以上、東三河は徐福伝承が濃厚な熊野だけでなく、秦氏が居住し徐福伝承もある土佐とも切っても切れない関係があったと考えられます。

さて、菟足神社昇格碑文にある秦石勝は、本当かどうか不明ですが、宝賀寿男氏が著した「古代氏族系譜集成」なる本によれば秦川勝の子とされます。確かに、川勝の子が石勝なら川には石があるので繋がってはきますが…。また碑文にある葛城襲津彦命は応神天皇の時代に、秦氏の祖である弓月君の民を迎えに行っています。菟上足尼命と秦石勝。葛城襲津彦命と弓月君。それぞれに秦氏との関係が見られます。同様に、宇佐神宮の菟と菟足神社の菟に繋がりを感じざるを得ません。

問題は、秦石勝は葛野秦氏の系統であり、徐福系秦氏とは別の流れと考えられることです。東三河においては、秦氏も2系統あり、さらに熊野信仰が混じり合って非常にややこしくなっているのです。その結果、秦氏の先祖は中国から熊野に渡来し、熊野からこの地に来たと言う伝承が日色野町に残る結果とになってしまいました。これをどう切り分け整理できるかが大きな課題となりそうです。

既に書いたように秦氏の色が濃い日色野町にも熊野系が入り込んでいるのは、熊野大神社の存在から確認できます。その神宮寺が神泉寺となります。熊野大神社の鎮座地が日色野町字菱形97ですから、正に秦氏系のど真ん中に熊野系が割り込んだ形となっています。

今までの検討結果からして、この地に秦氏が存在するのは間違いありません。しかし、葛野秦氏と徐福系秦氏の2系統があるように見えます。(秦川勝を徐福の子孫とする伝承もありますが、酔石亭主は別系統と考えます)

さらに熊野系が絡んでいます。加えて天照大神を想起させる天照皇大神宮の石柱があり、山麓に秦氏が多いとされる本宮山には岩戸神社まで鎮座しており、相当ややこしい話になりそうです。

以上で、東三河における秦氏に主眼を置いた第1部が終了したとご理解ください。ここでも秦氏の痕跡は僅かしか見られません。複数の地元史には、彼らが自ら出自を隠したことを示唆するような記述も見られます。よほど巧妙に痕跡を消し去ったのでしょうね。そうした困難を伴う探索の中で、期せずして徐福の存在が浮上してきました。いや、秦氏と徐福の関係を考えれば、やはり、とも言えそうですが…。

よって、当初第4部での検討を考えていた徐福伝承の謎を、次回以降の第2部からスタートさせることとします。あれこれ調査も必要なので、第2部スタートまでしばしお時間をいただきます。

             東三河の秦氏 その16に続く

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