FC2ブログ

吉野山散歩 その1


桜の花がほぼ散り落ちた4月の半ば、吉野山に行ってきました。不思議なことに吉野山は、古代から近世に至るまで超有名人たちがこぞって訪れた聖地となっています。なぜかなあ~と思っていたのですが、ふと気が付いたことがあります。

実は吉野山の後に、高野山、東三河、鳳来寺山を訪問しました。過去には伊勢神宮も訪問しており、パワースポット関連で記事にしています。これらの場所はどれも信仰の聖地で、目には見えないある共通点で繋がっていたのです。

そう、全てに共通するのは、いずれも中央構造線に沿っていると言う点でした。強い気の発する中央構造線に沿って、日本の聖地が点在する。それは単なる偶然でしょうか?酔石亭主にはとても偶然とは思えません。古代の人々が中央構造線の発する磁力に引きつけられるように、これらの地へと誘われ、長い年月を経て聖地となったのです。

吉野山の有名人の筆頭には役行者がいます。彼は舒明天皇6年(634年)に生まれたとされ、多分に伝説的ではありますが、吉野の金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の開祖となりました。次に登場するのが大海皇子で後の天武天皇です。天智天皇の10年(671年)10月、病に臥していた天皇は大海皇子に後事を託そうとしますが、裏があると察知した大海皇子はこれを固辞し、吉野に隠遁します。その後、日本を揺るがす古代の争い・壬申の乱へと続いていくのです。

天武天皇の皇后となった鸕野讃良皇女、後の持統天皇もまた足繁く吉野にかよった人物で、吉野行幸は32回を数えています。吉野には宮があり、その場所を宮滝と言います。ここは縄文時代から弥生時代にかけての遺跡が集積しており、有史以前から人々が拠点としていた場所だったのです。


大きな地図で見る
吉野山と宮滝の位置を示すグーグル地図画像。

宮滝に関しては以下Wikipediaより引用します。

宮滝遺跡(みやたきいせき)は、奈良県吉野郡吉野町宮滝に所在する、いくつかの異なった年代の遺構の存在するいわゆる複合遺跡である。別称には、吉野宮・吉野離宮推定地などがある。

宮滝遺跡は中央構造線の走る吉野川の右岸(北側)にあり、吉野山ではなく、こちらが本当の意味での吉野でした。長い時代を貫く複合遺跡であったせいか、「日本書紀」の応神天皇19年には、天皇が吉野に幸すとの記述があります。また斉明天皇の2年(656年)に吉野宮を作るとの記述も見られます。

持統天皇は宮滝(吉野離宮)のみならず伊勢にも行幸しています。一行は大和から高見山の高見峠を経て伊勢に入りますが、伊勢から船で伊良湖岬に上陸した可能性もあります。また上皇になって死の直前に東三河へ行幸しています。彼女のたどった道筋は、正しく中央構造線の旅(行幸)ではありませんか。

平安時代になると、藤原道長、藤原頼道、白川法皇、などが金峯山に参詣します。また西行は吉野に寓居します。源頼朝に追われた義経は静御前と共に吉野に入ります。鎌倉時代には大塔宮護良親王が吉野に城郭を築き、討幕の兵を挙げました。大塔宮護良親王は鎌倉市の鎌倉宮に祀られています。

後醍醐天皇は建武3年(1336年)吉野山に南朝を置き南北朝時代が始まります。豊臣秀吉は5千名を従えて吉野で大花見を催します。このように吉野は、時代の節目節目に重要人物が訪れていた場所だったのです。

以上吉野の歴史を大雑把に概観してみました。では、早速行ってみましょう。

156_convert_20130715065316.jpg
新緑の吉野。

151_convert_20130715065358.jpg
立ち並ぶお店には面白い置物が…。

152_convert_20130715065421.jpg
もう一枚。

153_convert_20130715065445.jpg
さらに一枚。蛙の涅槃像??

               吉野山散歩 その2に続く
スポンサーサイト



プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
06 | 2013/07 | 08
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる