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津島神社


津島市の町並み散歩も終わりましたので、津島神社(鎮座地:愛知県津島市神明町1)に向かいます。天王通りからですと、楼門を潜り境内に入ることになりますが、正門となるのは南門側と思われるのでこちらから境内に向かいます。

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大鳥居です。

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解説板。主要部分を以下に記載します。

御祭神 建速須佐之男命
御相殿 大穴牟遅命(おおなむちのみこと/大国主命)

社伝よれば当社は欽明天皇元年(西暦五四〇年)のご鎮座で弘仁元年正一位の神階と日本総社の号を奉られ、一条天皇の正歴年中、天王社の号を賜ったと伝えられ、いわゆる諸国の天王社の本社として全国に約三千の御分霊社があります。


これだけではよくわからないので、Wikipediaより引用します。

社伝によれば、建速須佐之男命が朝鮮半島から日本に渡ったときに荒魂は出雲国に鎮まったが、和魂は孝霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称 津島)に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)旧暦6月1日、現在地近くに移り鎮まったと伝える。弘仁9年(810年)に現在地に遷座し、嵯峨天皇より正一位の神階と日本総社の称号を贈られ、正暦年間(990年~994年)には一条天皇より「天王社」の号を贈られたと伝えられる。しかし、延喜式神名帳には記載されておらず、国史にも現れない。年代が明確な史料では、承安5年(1175年)の名古屋七寺蔵・大般若経奥書に名前が見えるのが最初であり、実際には藤原摂関時代の創建と見られる。…以下略

なるほど、津島の地名由来は対馬ですか。地理的スケールの大きさに驚かされます。津島神社はかの有名な建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト、以下スサノオ)を祀っています。でも、全国三千社を数える天王社の本社にしては、延喜式神名帳に記載されておらず、国史にも現れないとのこと。これほどの大社なのになぜでしょう?

実に奇妙ですが、どんな事情があったのか考えてみる必要がありそうです。津島神社境内には数多くの摂社、末社が鎮座しているので、それらの中にヒントがあるかもしれません。と言うことで、案内図と御祭神の一覧表から見ていきます。

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案内図です。案内図左側の大鳥居を潜って境内に向かっています。

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境内の御祭神一覧表。

一覧表でオレンジ色のベタ塗りになっているのが摂社です。案内図の南側大鳥居を抜けて進行方向左手に摂社・居森社が鎮座しています。目の前にある神社なので、こちらに立ち寄ってみます。

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居森社。奥に三つの社殿が並んでいます。

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解説板。内容は以下。

祭神 須佐之男命幸御魂
社殿によると、欽明天皇元年(540)に大神がこの地に始めて来臨され、神船を高津の湊の森に寄せて奉ると、蘇民将来の裔孫と云う老女が、霊鳩の託によって森の中に居え奉った事により「居森社」と云われる。

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三つの社殿。真ん中が居森社。

解説板を見ただけで、居森社は非常に重要だと理解されます。居森社の由緒通りこの地に大神が来臨したとすれば、またWikiの記事「欽明天皇元年(540年)旧暦6月1日、現在地近くに移り鎮まったと伝える。」が正しいとすれば、大神であるスサノオの最初の鎮座地は居森社になるからです。

案内板を参照ください。居森社の北に鎮座する菅原社(菅原道真を祀る)の境内には「三つ石」があり、磐座とされています。

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菅原社。

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三つ石。

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解説板。主要部分は以下の通り。

当神社は欽明天皇元(540年)年、ここ居森の地に鎮座と伝承されている。…中略…三つ石のある場所は、居森の一角であることから、当神社の鎮座と何らかのかかわりがあるかもしれない。

解説板でさらに明確になってきました。津島神社は当初居森の地に鎮座し、三つ石は津島神社の鎮座と何らかの関係がありそうです。磐座信仰はとても古い時代のもので、神社が存在する以前の信仰形態を示しています。そうしたものが居森にあること自体、津島神社創建のありように関係してくると判断されます。

では南門を抜け神域に入ります。南門に入ってすぐの西側に弥五郎殿社が鎮座しています。これもリストによれば摂社ですから重要なのでしょう。どのような神社なのか早速チェックしてみます。

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弥五郎殿社。

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解説板。内容は以下。

御祭神 武内宿禰命 大穴牟遅命
由緒
津島神社社家紀氏の祖神「武内宿禰命」を祀る。南北朝時代、南朝の忠臣楠正行と共に四条畷の戦(正平三年・1348)にて戦死した社家堀田一族の堀田弥五郎正泰が、生前当社を造替し、大原真守作の佩刀(津島神社社宝・国重要文化財)を寄進したことから弥五郎殿社と呼称されている。


この由緒だけだと新しい神社にしか見えませんが…。しかし、「堀田弥五郎正泰が、生前当社を造替し、…中略…弥五郎殿社と呼称されている。」の部分が注目されます。神社を造替(ぞうたい)したことで弥五郎殿社となった以上、元の名前は別であることが推測されるからです。早速、元の名前をチェックしてみます。

「津島市史」によれば弥五郎殿社は式内社・国玉神社との説があるそうです。また弥五郎殿社の旧地は居森社とのことで、江戸時代は「柏宮」と称していました。そう言えば案内板にある柏樹社(弥五郎殿社の東側)は摂社で柏宮、柏社と称されていたとのこと。かなり複雑になっていますね。

さらに驚いたことに、居森社に関して、延喜式神名帳にある尾張国海部郡国玉神社がこの社との説もあるとのことです。居森社の旧社が国玉神社だとすれば、Wikiの記事に「しかし、延喜式神名帳には記載されておらず、国史にも現れない。」と書かれた理由が明らかになりそうです。

今までに書いた内容を以下のように纏めてみます。

スサノオの最初の鎮座地は居森。居森社近くに磐座が存在する。旧社国玉神社→居森社。国玉神社→弥五郎殿社。旧地居森社→弥五郎殿社。

このように並べれば、津島神社の前身が国玉神社であったと理解されます。各地に鎮座する国玉神社の祭神を調べてみると、大己貴命、大国主大神、大物主神などとなっていました。大国主大神はスサノオの6世孫とされていますので、関係はありそうですがどうなのでしょう?

一方、津島神社の相殿神は解説板にあるように、大穴牟遅命(おおなむちのみこと/大国主命)です。津島神社の前身が国玉神社であった名残がここに見られます。以上から、本来居森の地に鎮座する神は大己貴命であり、いつの時点かは不明ですがスサノオにすり替わってしまったことになります。但しどのような事情によるものかは、何の史料もないと思われ不明です。機会があればもっと詳しく調べてみたいところです。

以上、津島神社は実にややこしい神社だと理解されますね。なお、津島神社には身の毛もよだつような極秘神事があります。詳しくは以下を参照ください。
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