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東三河の秦氏 その54 持統上皇東三河行幸の謎

東三河の秦氏
11 /12 2013

前回まで「続日本紀」の内容を整理・検討した結果、当時東三河には持統上皇のみならず文武天皇も行幸していたと判明しました。ただ、文武天皇と持統上皇は別行動で東三河に入った可能性が高そうです。

ところで、持統上皇はどのようなルートを辿り東三河に向かったのでしょう?持統上皇の行幸には必ずその裏に隠された意味があります。例えば伊勢行幸のルートは「その51」で書いたように、中央構造線の旅(=死と再生の旅)でした。

だとすれば、東三河の行幸も死と再生の旅に加えて、別の隠された意味があるものと考えられます。理由は多分、伊勢の行幸と同様に上皇の行幸ルートから浮き彫りにできるはず。

と言うことで、持統上皇の東三河行幸ルートを出発点から検討してみます。当時の都であった藤原京の所在地は、奈良県橿原市高殿町です。伊勢の行幸時点では飛鳥京から南に下るルートを取ったと想定されます。一方東三河行幸においては通説として、松阪市から船に乗ったとされています。

この通説に従って一行が松阪市に出るためには、藤原京から東にルートを取り、初瀬街道に沿って移動したものと思われます。初瀬街道は現在の桜井市初瀬から宇陀郡萩原(榛原)を経由し、名張を経て、青山峠を越え、六軒(松阪市)へ至る交通路となります。壬申の乱の際には、持統天皇の夫である天武天皇(当時は大海人皇子)が通った道でもありました。松阪に到着した上皇は船で東三河に向かったと推定されます。

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松阪までのルートを示しますが、あくまで大雑把なイメージです。

さてこのルートからどんな隠れた意味を浮き彫りにできるでしょう?答えを得るために地図とにらめっこです。地図には出ていませんが宇陀は秦氏との関連もあり、それを窺わせる神社があったはず。名前は篠畑神社…。所在地は奈良県宇陀市榛原山辺三2235で、初瀬街道北方の宮山山麓に鎮座しています。(注:他の秦氏的神社では岡田小秦命神社が宇陀市大宇陀小和田に鎮座。宇陀には水銀絡みで秦氏の支配力が及んでいたと思われます)


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篠畑神社の位置を示すグーグル地図画像。

表示はありません。榛原山辺三北側の石段の上が篠畑神社です。

ここは佐々波多宮と言い、倭姫命が天照大神を奉じて訪問した元伊勢です。「日本書紀」の垂仁天皇の条には「爰に倭姫命、大神を鎮め坐させむ処を求めて、菟田の篠畑に詣る。篠、此をば佐佐と云ふ」とあります。鎮座地の榛原に秦の文字が入り、佐々波多宮も秦氏と関係しそうな名前です。篠畑神社に関しては以下を参照ください。
http://kamnavi.jp/as/uda/sasahata.htm

続いて「更に還りて近江国に入りて、東、美濃を廻りて、伊勢国に到る」とあるのですが、一旦宇陀まで出て次に帰るのは筋が通りません。倭姫命はこのまま初瀬街道を北東に進んだと考えます。すると名張に至ります。

名張には元伊勢である隠(なばり)市守宮があり、候補地(伝承地)とされる場所は幾つかあるのですが、旧社地の三重県名張市東田原に田村大明神が鎮座していました。ところが現在は美波多神社(鎮座地:名張市新田。旧美濃波多村五大字にあった多くの神社を合祀)に合祀されています。こちらも波多が入っています。


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美波多神社の位置を示すグーグル地図画像。

美波多神社に関しては以下を参照ください。
http://www.geocities.jp/miniuzi0502/jinjanabari/mihatatiku/mihata.htm

伊賀国名張においては以下の万葉歌があります。

二年壬寅、太上天皇、参河国に幸しし時の歌 (巻一・60)
長皇子御歌

宵に逢ひて朝面無み隠にか日(け)長き妹が廬りせりけむ
宵に逢って、翌朝恥ずかしくて隠(なば)ると言うその名張で、幾日も妻は庵(行宮)に籠っているのだろうか。

この万葉歌は持統上皇に従駕した妻に想いを寄せる長皇子が詠んだものでしょう。ただ、詠んだ時点は往路、復路のいずれなのかと言う問題があります。悩ましい部分ではありますが、仮に復路であれば長皇子にとって到着時点の予測が極めて難しいため、ここは往路としておきます。

名張からさらに進むと、三重県伊賀市上神戸に元伊勢の伊賀穴穂宮があり、現在の神戸神社がこれに当たるとされています。神戸神社に関しては以下を参照ください。
http://www.genbu.net/data/iga/kanbe_title.htm

長くつらい山道を抜け松阪市に入ると、元伊勢の飯野高宮があります。三重県松阪市下村町1791に鎮座する神戸神館神明社がこれに当たるとされています。神戸神館神明社に関しては以下を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E7%A5%9E%E9%A4%A8%E7%A5%9E%E6%98%8E%E7%A4%BE


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神戸神館神明社の位置を示すグーグル地図画像。

もう一つの飯野高丘宮比定地は三重県松阪市山添町4に鎮座する神山神社となります。詳細は以下を参照ください。
http://www.geocities.jp/engisiki/ise/bun/is080302-01.html

さて、これで行幸の裏に隠された意味が浮き彫りにできたでしょうか?行幸ルート上に秦氏が関係しそうな神社名や地名はあるようです。けれども数は限られ、一方秦氏系と思われる神社の鎮座地に倭姫命の元伊勢がありました。

秦氏との関係は一旦横に置いて持統上皇の行路全体を見ると、なぜか倭姫命の元伊勢と重なっているようです。よって次回は、持統上皇の行路と倭姫命の元伊勢を比較対照しつつ検討を進めます。

            東三河の秦氏 その55 持統上皇東三河行幸の謎に続く
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酔石亭主

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