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東三河の秦氏 その63 持統上皇東三河行幸の謎


今回は佐脇神社を見ていきます。

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佐脇神社の鳥居手前から撮影。左手に解説板があります。

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解説板。

解説板によれば熊野系の人々が創建した神社とのことです。熊野系が東三河に入ったのは平安末期から鎌倉初期となります。いつの時代か不明ですが、平安末期以降に行在所跡付近にあった祠が佐脇神社境内に遷され御所宮として祀られたことになりそうです。酔石亭主にとっては熊野系の佐脇神社本体より摂社の五社宮(御所宮)の方が重要です。解説板の記載もそんな雰囲気があるように感じられます。

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拝殿。

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佐脇神社の扁額。

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ナギの木。ナギの木は熊野系のシンボルツリーとなります。

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解説板。佐脇神社はかつて熊野権現社と呼ばれていたとのことです。

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境内摂社の鳥居。

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社殿。これが貴重な文化財である五社宮です。

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扁額。

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祭神を記した板。

御所大神は持統上皇のことだと思われます。もう一つの祭神が藤社(ふじこそ)大神とのこと。藤社大神は保食神で外宮に祀られる豊受大神を意味しています。藤社神社に関しては以下を参照ください。
http://www.geocities.jp/taniwajunf/taniwa/sikinaisya/hinumanaijinja.htm

御所大神=持統上皇=天照大神で、藤社大神=豊受大神であれば外宮と内宮がここにあるようなものとなります。なお、社(こそ)は比売許曽神社(ひめこそじんじゃ)の許曽と同じで、「こそ」は聖なる地すなわち社を意味していることから、社に「こそ」を当てたものと思われます。

佐脇神社は以上ですが、太田亮氏は「神社を中心としたる宝飯郡誌」で持統上皇の御所宮は現在の御津町下佐脇に鎮座する佐脇神社にあったとしています。これはどう考えてもおかしいですね。かつて字天神に鎮座していた下佐脇天神が平安末期に現在地に遷座している以上、太田亮氏の説は成り立ちません。

しかし、参考になる部分もあります。「天神」の南には「都」の地名があり、天神の北には「御所」の地名もあります。だとしたら、御所宮(=行在所)は佐脇神社移転前の天神にあったのかもしれません。

今回記事の最初の部分で「平安末期以降に行在所跡付近にあった祠が佐脇神社境内に遷され御所宮として祀られたことになりそうです」と書きました。けれども上記から、祠の所在地は行在所跡の石碑がある場所ではなく、天神の可能性も出てきそうです。複数の可能性が浮上して行在所の場所特定は困難になりますが、結論的には、音羽川河口から東海道線鉄橋までの間の左岸或いは右岸のどこかにあったとしておきます。

           東三河の秦氏 その64 持統上皇東三河行幸の謎に続く
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