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東三河の秦氏 その81 持統上皇東三河行幸の謎

東三河の秦氏
12 /16 2013

神社に行くと境内に遙拝所が設置されている場合があります。遙拝所とは遠く離れた神社を拝む場所を意味します。例えば酔石亭主が良く通った鶴岡八幡宮には宇佐神宮の遙拝所がありました。その敷地は結構広く、実に清浄な雰囲気が漂っていた記憶があります。鶴岡八幡宮は石清水八幡宮から勧請された神社ですが、八幡社の大元は宇佐神宮なのでこちらを遙拝しているのでしょう。

天照大神を祀る神明社の系統は伊勢神宮の遙拝所が多いようです。と言うか、伊勢神宮の遙拝所が後になって神社となったものと思われます。いずれにしても、一般的に各神社は自分たちの大元となる神社を遙拝しているものと思われます。

以前に本シリーズの参考のため御津神社を訪問しましたが、この境内にも遙拝所が設置されていました。その石碑を見て一瞬違和感を覚えた記憶があります。御津神社は既にご存知のように大国主命を祀る神社です。だとすれば、遙拝すべき対象は出雲大社のはずです。ところが、石碑には伊勢神宮遙拝所と刻まれていたのです。その時点ではちょっとした疑問が湧いた程度で、写真も撮影せず素通りしました。

しかし、改めて考えてみると疑問が膨らんできます。大国主命は日本における国津神の総頭領であり、伊勢神宮に祀られる天照大神に国を奪われた神です。その大国主命を祀る神社がなぜ伊勢神宮を遙拝しなければならないのか?筋が通らないことの裏には必ず何か隠されたものがある。それを解きほぐしていけば真実が見えてくる。これが酔石亭主の歴史探索の原則でしたが、御津神社訪問時にはそれをすっかり忘れていたようです。全くどうしようもないですね。ここで何とか挽回を図らねば……。

さて、前回で以下のように書いています。
律令国家の建設を推し進めようとした持統天皇は、伊勢の大神を天照大神に転換させ、皇祖神と位置付け、全ての神の上位に置こうとしたのです。…中略…翌大宝2年(702年)持統上皇は東三河に行幸します。上皇の立場からすると、地域の民の崇敬も受けている大三輪神を、地域においても神社の中に押し込めたと強くアピールする必要があったのでしょう。

持統上皇は大国主命を御津神社に封じ込んで、天照大神を大国主命の上位に置き、伊勢神宮を崇拝するよう強制したのではないでしょうか?だから、御津神社には伊勢神宮の遙拝所が設置されているとも考えられるのです。もちろんこの遙拝所と石碑は新しいものであり、上記の推論とは何の関係もなく設置された可能性は十分にあります。仮にそうであったとしても、過去の遠い記憶が現代の人々を動かし御津神社の境内に伊勢神宮遙拝所を設置させたと考えたいところです。

遙拝所の写真がないか探したところ以下のブログにありましたので、参照ください。
http://gudagudagekki.blog.so-net.ne.jp/2012-08-21

それはさて置き、今回は本宮山山頂に鎮座する砥鹿神社奥宮に向かいます。奥の院から駐車場に戻ると、大きな案内板が建っていました。

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案内板。

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解説部分を拡大します。

矢印方向に少し歩くと赤く巨大な鳥居が見えてきます。

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鳥居。

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石の鳥居と砥鹿神社奥宮と刻まれた石柱。

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境内に入ると樹齢千年とされる杉の御神木があります。

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幹の太さも神木の名に恥じないものです。

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杉木立と石段。

聖なる神域の中を歩むような雰囲気の場所です。巨木が林立しパワースポットとしての資格も備えているように思えます。残念なことに、現地での印象を写真では表現できません。

           東三河の秦氏 その82 持統上皇東三河行幸の謎に続く
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酔石亭主

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