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新春の尾張大國霊神社


名鉄島氏永駅から名古屋方面の一つ目の駅が国府宮駅で、ここには尾張大國霊神社が鎮座しています。鎮座地は稲沢市国府宮1丁目1。祭神は尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)とされています。祭神の名前を見ただけでは一体どんな神様なのかわかりません。尾張の神社も結構謎が多いようです。


大きな地図で見る
鎮座地を示すグーグル地図画像。

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参道。露店が並び多くの参拝者で賑わっています。

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楼門。

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楼門をもう一枚。

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楼門を通して見る拝殿。

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拝殿。

尾張大國霊神社は以前にもアップしていますので、写真はこれだけです。では、尾張大國霊神について考えてみます。「国府宮神記」を開いて見ると、同神社は尾張国の総社とされ、祭神は大己貴命とありました。言うまでもなく出雲系の神様です。

国府宮には尾張大國霊神社も含め重要な神社が三社あり、国府宮三社と称されます。その最初が尾張大國霊神社。次は本社の東北の鬼門を守る別宮の角魂(すみたま)・宗形神社で祭神は田心姫命、最後が本社南西に鎮座する別宮の大御霊神社となっています。宗形神社と大御霊神社を結ぶラインは鬼門ラインとなっているようなので、少し考えてみます。

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宗形神社と大御霊神社を結ぶライン。

尾張国は既に見てきたように様々な氏族が入り込んでいて、尾張東北部の丹羽地方は爾波氏(にわし)と丹羽臣氏の領地でした。そして、丹羽氏の祖は神八井耳命(かむやいみみのみこと)とされています。大神社で見てきた多氏の祖も同じ神八井耳命とされています。

爾波氏は犬山市の本宮山山麓から平野部に勢力を伸ばし、尾張で最も古いとされる東之宮古墳(四世紀後半)、尾張第二の規模をもつ青塚古墳(五世紀前半)は彼らに関係する古墳とされています。一宮市丹羽字宮浦1410に鎮座する爾波神社は爾波氏が爾波県主だった頃の拠点でした。一宮市一帯は各氏族が重なり合い実に錯綜していると理解されます。爾波神社に関しては以下を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%BE%E6%B3%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE

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爾波神社。グーグルのストリートビューより。

爾波氏は氏族の祖である大荒田命を神体山である本宮山に祀り、垂仁天皇27年8月、麓に新宮を造営して、和魂を遷座させたのが尾張国二宮・大縣神社となります。大縣神社によれば、本宮山を奥宮、大縣神社を里宮、田縣神社(小牧市田縣町に鎮座、祭神は大荒田命の娘、玉姫)を田宮とする考え方があったとのことです。

一方尾張大國霊神社の宮司によれば、本宮山を奥宮、大縣神社を里宮、尾張大國霊神社を田宮とする考え方があったとのこと。理由は本殿脇にある磐境が本宮山の方向に向かっているからで、本宮山方面から移り住んだ人たちが本宮山に向かって礼拝をしたためとされます。磐境は本殿脇にあり参拝者が多かったため見ることはできませんでした。神社ホームページには磐境がきちんとアップされていますので以下を参照ください。
http://www.konomiya.or.jp/main/about

さて鬼門ラインですが、本宮山、大縣神社、田縣神社、尾張大國霊神社はほぼ直線で結ばれ、全体として鬼門ラインを構成すると考えられます。従って、大縣神社と尾張大國霊神社のいずれの考え方も正しいと判断されます。尾張大國霊神社の祭神に大己貴命の名前が挙がっていますが、古くは爾波氏系の神を祀っていたのかもしれません。

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本宮山、大縣神社、田縣神社、尾張大國霊神社の鬼門ライン。

祭神の検討を続けます。名古屋市中川区富田町万場2-1131には国玉神社が鎮座し(八劍社相殿)尾張大國霊神社より勧請したとのことです。こちらの祭神は大物主大神となっています。尾張大國霊神社の尾張大は形容的な語句なので実質は國霊神社=国玉神社となりそうです。一般的に国玉神社は大国主命を祀る場合が多いように思えます。尾張大國霊神社の祭神は昭和15年までは長く大国主命とされてきました。以上から、尾張大國霊神社の祭神は爾波氏系或いは出雲系の大己貴命、大国主命、大物主神(三神は同神ともされる)のいずれもあり得ることになります。

しかしです。尾張大國霊神社の宮司によれば、当社は尾張氏の一氏族の祖、天背男命(あめのせおのみこと)が創始者とされ、その子孫は尾張国造にもなり、中島直と海部直に分家したが、中島直は後に久田氏を名乗り、南北朝以後は野々部氏を名乗り、明治維新まで代々神主を務めたとのことです。

天背男命は天津甕星(あまつみかぼし)、天香香背男( あめのかがせお)、星神香香背男(ほしのかがせお)、香香背男(かがせお)などの別名があり、「先代旧事本紀」によれば饒速日命の天降りに随伴した三十二人の一人であり、尾張中嶋、海部直等の祖とされます。尾張大國霊神社は天背男命を尾張氏の一氏族の祖としていますが、「先代旧事本紀」の記述と整合していません。

天背男命は星神、悪神とされ以前「東三河の秦氏 その38」において、はぐれ物部氏と書いた記憶があります。ニギハヤヒに随伴して天下りしたのですから、物部氏ではないにしても物部氏の関係氏族であることは間違いなさそうです。尾張の中部には物部氏の痕跡が幾つも見られることから、物部氏が尾張に入った際に天背男命一派が同行した可能性もあるでしょう。いずれにしても、天背男命は尾張氏の一氏族とは考えられません。

国府宮一帯は場所柄からして出雲系、物部氏系、爾波氏系が入り混じった状態だったのでしょうか?そのため祭神を定めがたく、昭和15年、最終的に尾張大國霊神などと言う抽象的で実体不明な神様になったように思えます。不思議なのは、尾張国惣社にもかかわらず尾張氏の姿が全く見えないことです。それではまずいと辻褄を合せるため、天背男命を尾張氏と物部氏の両方に股を掛けた神としたのでしょう。この構造は尾張氏の祖・天火明命と物部氏の祖・ニギハヤヒが同神とされたのに似通っています。

尾張大國霊神社の祭神をあれこれ検討しましたが、尾張には様々な古代氏族が流入しており、その盛衰時期も微妙に異なることからして、なかなか定めがたいのが実情と思われます。
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