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兎養山 弘誓院


阿久比神社の参拝を終えて55号線に戻り、北に少し走って左折し坂道を登ると兎養山(とようざん)弘誓院(ぐぜいいん)と言う浄土宗のお寺に行き着きます。所在地は阿久比町大字卯坂字仙入坊79。前回で坊の付く地名を幾つか挙げましたが、その一つにお寺があったことになります。


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所在地を示すグーグル画像。

背後は森で、かつては海に面していた東向きの斜面にあるのですから、さぞ景色も日当たりも良かったものと思われます。ただ東側には丘陵もあり、南の半田市側から海が深く入り込んだ入り江状になっていたのかもしれません。いずれにしても、こうした斜面には数多くの神社仏閣があるものです。

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山門前には巨大な筆塚が…。

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山門。

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解説板。

この解説板も非常にわかりやすく纏めてあります。最澄の話は伝説的ですが、彼が英比郷に立ち寄った時、白兎が阿弥陀如来を咥えて最澄に奉じたので、彼は帝に奏上して池のほとりに勅願寺を建て、兎養山長安寺と名付けたとのことです。伝説の多い僧に行基がいて、尾張のお寺は行基が開創したとの話も多いのですが、そのほとんどは事実と異なると思われます。多分、行基集団の誰かが開創したものを行基としたのでしょう。最澄の場合も似たような話だと思われます。

また長安寺は七堂伽藍がそびえ建ち、五十余りの坊舎が建ち並ぶ広大な寺院であったとのことです。現在の弘誓院の地名である仙入坊は、明らかにかつて存在していた坊舎に由来するものと思われます。覚堂坊、祭礼坊などは阿久比駅よりさらに南に位置していることから、長安寺の広さが実感されます。

さらに解説板によれば、その後この辺りは兎養山の山号にちなんで、「卯之山」と呼ぶようになったと伝えられているとのことです。現在の地名である大字卯坂の卯坂も最澄と白兎の伝説が元になった地名と思われます。1200年も前の伝説が、現在の地名の中に残されているのですから驚きです。

では、かつての七堂伽藍はどこにあったのでしょう?解説板には池のほとりに長安寺を建てたと書かれているので、弘誓院の北西にある比較的大きな池のほとりにあったと推定されますが、こうした池は農業用の用水池の可能性が高く、工事を請け負ったのは江戸時代知多郡に本拠を持つ黒鍬(忍者ではありません)の人たちではないかと思われます。よって現状では、残念ながら七堂伽藍の正確な位置がわかりません。(注:詳しく調べていないので、資料をよく見れば出てくるかもしれませんが…)

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黒鍬です。

知多市歴史民俗博物館に展示してある土木工事用の鍬で、農耕用のものよりやや大きくなっています。

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黒鍬の解説。

黒鍬衆は漫画の子連れ狼に登場する忍者集団です。詳しくは以下のようにWikiに記載あります。

江戸幕府の架空の密偵集団。表向きは小間使いなどを行う。公儀探索人とも黒鍬者(くろくわもん)とも称される。任務達成のためなら犠牲も惜しまない非情さと冷酷さを持ち、属するものの大部分は配偶者も子女も持たず、50年間役目を務める。勤めが終わると、苦労鍬の里(くろぐわのさと)に隠居し、以後一切の任務に関わらずに余生を過ごすことが許されており、このことを苦労鍬後生買い(くろぐわごしょうがい)という。江戸幕府に実在した小荷駄・土工集団である黒鍬に由来する。


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本堂です。

かつては圧倒的な巨刹だったものが、今は随分小さくなってしまったようです。ところで、七堂伽藍の位置を特定する発掘作業は行われていないのでしょうか?せめて礎石でも出れば遠い昔をしのぶこともできるのですが……。
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