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阿久比の英比丸


前回で、阿久比の英比丸は菅原道真の孫である菅原雅規(すがわらのまさのり)とは別人である点を検証しましたが、あれこれ書いたため文章が読みにくく、再度以下のように整理し直します。

菅原道真(845年~903年):901年に九州大宰府に左遷される。
菅原高視(すがわらのたかみ、876年~913年):道真の子。894年三河掾に任官。その後大学頭兼右少弁。 901年に土佐国に左遷される。
菅原雅規(919年~979年):高視の子。文章博士、左少弁。応和元年(961年)の因幡守をはじめ、山城守や和泉守などの国司を歴任。
英比丸:地元伝承によると、英比丸は道真の孫で英比丸=菅原雅規。道真が大宰府に配流されたのに伴い阿久比に流され、生涯を阿久比で過ごす。阿久比神社社伝によると、920年に社殿を造営。948年には洞雲院の前身となる天台宗の久松寺を創建。没後の959年に阿久比神社に合祀される。

上記のように並べれば、英比丸の推定生没年895年~959年と菅原雅規の生没年919年~979年の間には生誕年で24年、没年で20年のずれがあり、事績も全く一致せず別人と理解されます。これを筋道が立った形に整理すると以下のようになります。

菅原高視は894年には三河掾に任官します。(前回895年と書いたのは誤り)その後都に戻り大学頭兼右少弁となりますが、901年には道真に連座して土佐国に左遷されました。注目すべきは894年の三河掾任官で、彼は三河国に向かう途中阿久比に立ち寄り、地元の女性と仲良くなったと推定されます。

895年に地元の女性は男子を出産。これが隠し子・英比丸となります。菅原高視は都に戻る際、この子を連れて帰りますが、901年には土佐国に左遷されるため、男の子は女性のいる阿久比に送られ、英比丸を称しました。英比丸は二度と都に戻ることなく阿久比で成人となり、920年に阿久比神社の社殿を造営し、948年に洞雲院の前身となる天台宗の久松寺を創建。955年には北原天満宮を建て、没後の959年、阿久比神社に合祀されました。

以上のように考えれば、時代は地元伝承とピッタリ合い、道真の孫である部分も一致し、没したときの年齢も不自然ではないので筋道が通ると思われます。

ただ久松氏としての歴史は、南北朝時代に後醍醐天皇に仕えた菅原定長の子、定範が尾張国知多郡目代に任ぜられて英比郷に赴任したことから始まっており、無理に英比丸に繋げず菅原定範を阿久比・久松氏の祖とすればよさそうにも思えます。まあ、できるだけ自家の歴史を古く見せたい気持ちはわからないでもありませんが…。

それはさて置き、前回からの宿題である英比丸の墓を探すため、阿久比町図書館に向かいます。

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阿久比図書館です。

前回で書いたように図書館の敷地もかつては坂部城に含まれていました。城址を整地して図書館にするのはどうかとも思いますが、便利なことは確かです。図書館の規模は小さく、英比丸のお墓に関して郷土史料にも書かれてはいないようです。諦めかけていた時、ふと小さなガラスケースが目に留まりました。その中を見ると…。

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英比丸のお墓の写真です。久松寺殿御移☐とあります。最後の文字は読めません。

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もう一枚。妻の北原院殿のお墓が並んでいます。

二つの写真で石碑の位置が異なっています。撮影時期も異なっているのでしょう。いずれにしても、英比丸のお墓が存在しているのは確かです。彼の立場からしてお墓の所在地は洞雲院以外に考えられません。早速探しに行ってみます。

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洞雲院の山門。

英比丸のお墓を探して歩いていると、こんな碑がありました。

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菅原院殿。

菅原院殿とは誰のことでしょう?京都の菅原院天満宮神社(すがわらいんてんまんぐうじんじゃ)には菅原家一族の邸宅「菅原院」があったとされ、菅原道真の父親である是善(これよし)、祖父の清公(きみきよ)も住んでいたとのことです。英比丸のお墓が寺の名前を取って久松寺殿と刻まれていることから類推すれば、菅原院とは菅原道真を供養する供養塔かもしれません。などと思いながら歩いているうちに、お寺の背後の山の上に出ました。

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八幡神社拝殿。鎮座地は阿久比町大字卯坂字八神52

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神社本殿。

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境内社が並びます。

古いお墓を探しても英比丸の墓は出てきません。もしかしたら新しく建て変えられたのかも…。そう言えば図書館の写真は久松寺殿御移☐とあり、どこかから移した墓のようにも思えます。新しい墓地を探してみましょう。

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山門下の駐車場左側の道。

この坂道をどんどん登っていくと、新しく区画された墓地があり、まばらに墓が建てられ、一番奥に観音様が見えています。

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観音様。

観音様の右側に五輪塔があります。近寄ってみましょう。

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五輪塔。

石碑には久松寺殿御移塋とあります。お隣は妻の墓で石碑には北原院御移塋と刻まれていました。御移塋は多分(おんいえい)と読むのでしょう。塋は墓を意味していることから、移された墓となります。つまりこの五輪塔が久松寺殿=英比丸のお墓になるのです。図書館で見た五輪塔も同じ久松寺殿の表記になっていたので、この時代既にどこかから移された墓となっていたようです。

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北原院殿の五輪塔と久松寺殿(英比丸)の五輪塔。

新しいものですが、一応英比丸のお墓を見つけることができました。いままでネット上でアップされたことはなさそうなので、洞雲院を参拝された際は是非ご訪問ください。次回は、阿久比町の中で英比丸の残影を探してみます。

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