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北原天満宮


今回は、前回で書いたように英比丸の残影を探しに行きます。55号線を北に向かうと白沢駅のすぐ近くに北原天満宮が鎮座しています。


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北原天満宮の位置を示すグーグル画像。

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北原天満宮です。鎮座地は阿久比町白沢天神裏

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解説板。ステンレス板に書かれているのに既に薄れています。内容は以下の通り。

北原天満宮の社伝によると、天暦9年(955)旧暦の正月25日、英比の土豪 菅原雅規公(幼名英比麿)は延喜3年(903)太宰府で没した祖父菅原道真公を祭神として、英比麿と呼ばれていたころの住居跡に、神社を建てたと伝えられている。
明治5年(1872)明治政府は、社寺合併の方針を全国の県に布告したが、北原天満宮は、白沢地内にあった他の5社より2年遅れて、明治11年(1787)6月白沢字北根の八幡社に移され合祀された。しかし、天満宮を1日も早く元の場所でお祭りしたいとの願いは、村民の間にいつまでも残っていた。
昭和8年(1933)現境内の南西隅に、本殿跡地であったとの石碑や筆塚・牛像などを設置し、跡地の保存に努めたのも、その心情の表れであった。
昭和63年(1988)10月2日、整備拡大された跡地に、現在の社殿を建立し、遷座の式が挙行された。かねてからの願望がかなえられた地域の人たちの喜びと、学問の神を敬慕する心は、境内にある数々の寄進物などからも伺い知ることができる。また、植えられている梅の木々の中には、菅原家の後裔、久松家・松平家の子孫や道真公の側近であった味酒家の子孫の手植えのものもある。


道真公の側近であった味酒家とありますが、側近の名前は味酒安行で、現在42代目のご子孫が太宰府天満宮禰宜をされているとのことです。42代目とは何とも凄いことです。

この解説を読んで2点ほど疑問が湧いてきました。まず英比丸の住居は、坂部城址から南に下った椋岡字英比屋敷にあったとされています。それがなぜ、坂部城址から北の白沢になるのかと言う点です。(注:菅原雅規=英比丸でないのは既に論証済みなので省きます)


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椋岡字英比屋敷の位置を示すグーグル画像。

幼少の頃白沢に居住し長じてからは椋岡字英比屋敷に移ったと考えれば整合性は出てきますが、なぜ久松氏の拠点である坂部城周辺ではないのかなおも疑問は残ります。次の疑問は神社の社名です。北原天満宮の北原は英比丸の妻の名前である北原院と同じになります。もしかしたら、この場所は北原院の住居跡でそこに英比丸が椋岡の英比屋敷から通っていたのかもしれません。当時は通い婚が一般的でしたから…。

酔石亭主の新説としては、英比丸の住居は椋岡字英比屋敷で、大人になってからは白沢にあった妻・北原院の住居に通っていた。後に妻の住居跡に菅原道真公を祭神として神社が建てられたので、名前が北原天馬宮になった、としておきます。

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合格橋です。さすが受験の神様ですね。

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石の牛です。やや体のバランスが悪いような…。

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解説板。お牛さんを通して天神さんにお願いすると願いがかなうそうです。

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拝殿。

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北原天神社舊御本殿之跡と刻まれた石柱。

境内に入って左手奥にあります。その左手には空き地が広がっており、一帯もかつての神域だったものと思われます。


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