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興昌寺


今回は知多四国八十八カ所第14番の圓通山興昌寺(えんつうざんこうしょうじ)です。所在地は阿久比町福住字東脇 10。


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興昌寺の位置を示すグーグル画像。

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山門です。

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解説板。これは読み取れます。

創建年代は新しそうで、英比丸とは関係なさそうですが…。

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本堂。

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半蔵行者堂。


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解説板。

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虫供養解説板。

虫供養とは米や野菜などを作る際殺生した虫たちに念仏を唱え供養する行事とのことで、融通念仏の創始者である良忍上人(1072年~1132年)により始められたとのことです。千年近い歴史を持つ民俗行事と理解されますが、虫供養でも英比丸は出てきません。ところがです。調べてみると、英比丸が関係しているとの話も出てきました。

東京家政学院筑波女子大学紀要第4集 知多半島の虫供養大念仏と真宗和讃(2)」には虫供養に関連して以下のように記載あります。

〈縁起および変遷〉
この阿久比虫供養の縁起はいくつかのことがからんで説明されているが、確たるものはない。まず『張州雑志』『尾張名所図会』『張州年中行事鈔』に記されていることで、英比丸伝承に起因する。菅原道真の子が道真の太宰府配流にともない、知多半島に流され後に英比之庄を賜ったことから、この地にとどまり英比丸を名乗り、この地で没した。(注8)その供養のためにはじまったもので、『張州府志』では「御霊辻祭り」の類ではないかと記している。(注9)次は『阿久比谷虫供養記』(注10)の「英比谷供養縁起記」所載の説で大原良忍上人開始説である。

(注8)『張州雑志』には英比丸は「菅公三男」とあるが、英比丸が菅原道真の第何子にあたるかは不明で、第五子とも孫とも伝える所もあり、配流のことも伝説の域をでない。なお英比・阿久比は地名よりとった名前である。

(注9)『張州年中行事鈔』(1769)には「英比殿と申木像男女二体」を英比丸の像と伝え、「臼の上」に祀り、「左近殿とも廻り地蔵とも名付け」て、「八月彼岸中日に出し祭る也」とある。

記事の全文は以下を参照ください。
http://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2000/15.SAKAMOTO.pdf#search='%E8%8B%B1%E6%AF%94%E4%B8%B8%E3%81%8C%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F%E3%81%AE%E7%AC%AC%E4%BD%95%E5%AD%90%E3%81%AB%E3%81%82%E3%81%9F%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%81%AF%E4%B8%8D%E6%98%8E%E3%81%A7%E3%80%81%E7%AC%AC%E4%BA%94+%E5%AD%90%E3%81%A8%E3%82%82%E5%AD%AB%E3%81%A8%E3%82%82%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%82%8B%E6%89%80%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8A%E3%80%81'

上記の解説では、最初の説で英比丸の供養が虫供養に転化されたように書かれており、良忍上人は次の説として出てきます。(注9)には廻り地蔵とありますが、これは洞雲院の解説板に出てきます。関連する内容は以下の通り。

英比殿は天性朴質、極めて聡明、仁恵に厚く善政を敷いた。没後、いつの頃からか人々その徳を慕い英比殿夫妻の像を木に彫刻し、厨子に奉安して英比荘の民家一戸一日の割りで廻送し、供養を怠らなかった。世に「廻り地頭信仰」と言われた。この民族信仰は明治維新とともに途絶え、現在、木像と厨子は、当山霊廟に安置され、学問上達信仰として祭られている。

洞雲院の解説板は以下を参照ください。
http://suisekiteishu.blog41.fc2.com/blog-entry-1506.html

「廻り地頭(地蔵)信仰」は明治維新とともに途絶えたとあります。「廻り地頭信仰」は虫供養に先行するにせよ、長期間にわたって同じ行事が二つの名前で続けられたとは考えにくいし、「廻り地頭信仰」の一部が性質の異なる虫供養に移行したとも考えにくいと思われます。この問題に関しては、どちらが正しいのか議論してもさほど意味はなく、阿久比の始祖とも言える英比丸が千年の時を越え民衆の中に深く浸透していた点に思いを馳せるべきでしょう。英比丸が菅原雅規とは別人であるにしても、阿久比の歴史において長く語り継がれてきたのは間違いないのです。

阿久比における英比丸は以上です。なお、阿久比町の別のお寺や神社も訪問していますので、いずれアップしようと思っています。
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