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愛知川周辺を巡る その15

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05 /10 2014

翌日あまり古い町並みは残っていない愛知川宿を走っていると、神社やお寺らしきものがありました。事前に予定していた場所ではないのですが、立ち寄ってみます。


位置を示すグールル地図画像。

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お寺の本堂。宝満寺と言い、なかなか立派な本堂です。

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解説板。結構歴史が古そうです。

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この建物は何でしょう?建物の手前に境内図らしきものがあるので早速チェック。

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境内図。

境内図からすると経蔵のように思えます。図の下には解説文もあります。重要な部分の概要は以下。

当寺は光仁天皇(770~779年)第四宮知徳上人の開基である。延歴第五丙申年(786年)桓武天皇即位五年左大臣藤原魚名第二子中務少輔幡豊満なる人が知徳上人の徳を慕って弟子となり寺号を豊満寺に改めた。清和天皇貞観14年辰秋惟喬親王宝満菩薩の像を彫り当寺に収めた。その後寺号を宝満寺に改めた。
明治三十年一月 住職豊満春洞

気になる名前が出てきました。幡豊満と惟喬親王です。幡豊満は明らかに秦氏の関係者と思われますし、文徳天皇の第一皇子惟喬親王(これたかしんのう)は木地師や轆轤(ろくろ)師の祖とされますが、なぜそうなのかは大きな謎とされます。

一方で、木地師も秦氏と関係してきます。ご住職の名前も豊満ですから、秦氏の流れかもしれません。依智秦氏の拠点である秦荘はすぐ近くなのでその可能性は十分あります。

まだはっきりしませんが、依智秦氏系である幡豊満のお寺に惟喬親王が来たことで、木地師に関係する秦氏と繋がりができ、惟喬親王は木地師の祖に祭り上げられたのでしょう。お隣の神社にヒントがあるかもしれないので早速行ってみます。

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八幡神社の鳥居と桜。

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拝殿。

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本殿。

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本殿解説板。

「八幡神社の草創は明らかでないが、隣接する宝満寺の位置に居館があった愛智氏の守護神として勧請したと伝える。」とあります。愛智氏とは多分依智秦氏のことで、そこに居館があったので守護神として八幡神社が勧請されたとすれば、話の筋は通ります。解説板以外に由緒記もありました。

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神社由緒記。文字が薄れやや読みにくい。重要部分は以下。

その昔藤原不比等淡海公養老年中(717~723)に創建。惟喬親王当地ご駐留のみぎり当社々人鯰の献進をなした処親王御歓ありこの地の氏子に限り小網を用いることを許可せらる。

まだ霧の中状態ですが、惟喬親王は当地にしばし滞在し、依智秦氏と交流を持ったと考えて良さそうで、そこから惟喬親王は木地師の祖であると言う伝説が生じたものと思われます。八幡神社を出て豊満神社に向かいます。ここは訪問を予定していた場所ですが、どう考えても宝満寺との関係が想定されます。
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酔石亭主

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