FC2ブログ

愛知川周辺を巡る その18


豊満神社には幾つかの境内社もあるので見ていきます。

120_convert_20140512131909.jpg
摂社八大龍王社。

123_convert_20140512131947.jpg
摂社樹下神社。祭神は豊満神社の荒御魂と恵比寿神です。

128_convert_20140512132025.jpg
校倉造りの宝殿。

特に依智秦氏と関係ありそうな解説板はありません。仕方がないので、滋賀県神社庁のホームページを参照します。

創祀年代は詳かではないが、この地開拓の依智秦氏が祭祀したと伝えられ、社伝の棟礼に「延長8年11月豊満権現造替云々」とある。縁起によれば神功皇后三韓征伐の際軍機の守護神として霊威があったということで、以来当社の神林の竹幹を旗の竿に用いると、戦勝があるとして、競って幾多の武将が篤く崇敬した。

ホームページは以下を参照。
http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=903

ようやく豊満神社と依智秦氏の関係が確認できました。延長8年は930年で、豊満権現とは依智秦氏の祖神或いは宝満寺の幡豊満を意味すると思われます。権現と表記されることから仏教的な要素が前面に出ており、幡豊満の可能性が高そうです。

よって、神功皇后に関係する旗神はやはり幡神で秦氏の神だったことになります。ただ神功皇后云々はあくまで伝説に過ぎません。なぜなら、依智秦氏は秦河勝の流れと考えられ、近江移住時期はかなり新しいと想定されるからです。

一応豊満神社を見て回りましたが、境内にはどこかのお寺から移設されたと思われる建物もありました。元々お寺の建物なら、神社の由緒とは何も関係ないはずで後回しにしていたのですが…。

119_convert_20140512132235.jpg
建物。

右下の小さな石柱には元松林院法経堂とあります。お寺の建物をどこかから移築したのは間違いなさそうで、手書きみたいな絵と解説文が掛けてあります。チェックしてみましょう。

118_convert_20140512132307.jpg
解説板。

おや、良く見るとあれこれ書かれています。内容を以下抜粋します。

716年 秦系 小倉一族の別れに平井氏(依智氏)大国庄が書見
754年 寺院合併令 後 畑田 三大寺の建設
789年 幡豊満氏が再建し豊満寺と改める
900年 小倉村の豊満神社を分社し 今の地に豊満大明神を郷社
    大国庄上、中、下を平井氏が支配し大いに発展させた
1212年 豊満寺(神社の東200mにあった)を愛知川に移し宝満寺と改名


ここで初めて秦氏の名が出てきました。でも、全く不親切な記述で前後の繋がりもはっきりせず何のことかさっぱりわかりません。勝手に解釈してみます。

一行目:716年 秦氏の系統の小椋氏(木地師の頭領家は小椋や大蔵を称している)から別れた平井氏は依智秦氏で、この年が大国庄(荘)の初見となる。

小椋氏は清和源氏の初代・源経基の流れの岸下遠綱(重綱)が祖となり、大国庄平井(平居の地名が近くにあります)に居住して「平井七郎」を名乗ったとされます。よくわからないのは、岸下遠綱は鎌倉時代初期の人物なのに、716年として上記の内容が書かれている点です。岸下遠綱に関しては以下のWikipedia記事を参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E6%9C%AC%E9%81%A0%E7%B6%B1

716年の「小倉一族の別れに平井氏(依智氏)」は全く別の話なのでしょうか?本当に理解に苦しみます。なおネット情報によると、平井七郎の平井は依智秦氏の子孫である平井家次に関係がありそうです。まだはっきりはしないものの、愛智郡の居住民の7割近くが秦氏系とされていることから、小椋氏も秦氏系として考えられるのでしょう。

二行目から三行目:754年に畑田(平居の近く)で三大寺が建設された。789年幡豊満氏が再建し豊満寺と改める。

この文面で見る限り、754年に建てられた畑田の三大寺を幡豊満が789年に再建し、豊満寺と改めたことになります。ここで宝満寺の解説文記載内容を参照してみます。

当寺は光仁天皇(770~779年)第四宮知徳上人の開基である。…中略…愛知郡大国の里、大国寺是なり。延歴第五丙申年(786年)桓武天皇即位五年左大臣藤原魚名第二子中務少輔幡豊満なる人が知徳上人の徳を慕って弟子となり寺号を豊満寺に改めた。

三大寺は三つの大きな寺と解釈すればその一つが大国寺だったのかもしれませんが、開基時期は食い違っています。三大寺或いは大国寺を豊満寺と改めたのも789年と786年で異なります。疑問はあるものの、現在の豊満神社一帯は大国庄と呼ばれ、そこに建てられたお寺が780年代豊満寺に改名された点は確認されます。時代は下り1212年、豊満寺(神社の東200mにあった)は愛知川に移転し、名前も宝満寺に変わりました。

四行目:900年に小倉村の豊満神社を分社し 現在地に豊満大明神を勧請して郷社となった。大国庄、上、中、下を平井氏が支配し大いに発展させた。

この記述も解説石板に出てこない内容で、頭を抱えたくなります。記載内容からすると、小倉村に鎮座していた豊満神社が900年に分社され、現在地で祀られるようになったと理解されます。その時点では神道色が強く出て豊満大明神だったものが、930年には仏教色が強まり豊満権現になったのでしょうか?解説石板の御由緒には分社の経緯等が何も書かれていないので、良くわかりません。次に、小倉村はどこにあったかチェックする必要があります。

グーグル地図で周辺を調べたところ、東近江市小倉町の地名が出てきました。この場所が候補地となりそうなので、小倉町に豊満神社の前身があったかどうかチェックします。すると、東近江市小倉町1361に豊満神社が鎮座していると判明しました。これで話が繋がりますね。小倉町の豊満神社詳細は以下の神社庁ホームページを参照ください。
http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=859

小倉町の鎮座地は愛知川上流で永源寺町に近くなります。ホームページでは嘉祥元年の創始とあり、西暦では848年となります。幡豊満は786年か789年に寺号を豊満寺に改めているので、小倉町の豊満神社創始が848年だと幡豊満とは関係なくなって辻褄が合いません。辻褄を合わせるには、幡豊満の子孫が創建したとするしかなさそうです。解説文を書いた宝満寺のご住職(明治時代)も豊満姓なので、その可能性はあるとしておきましょう。但しホームページには、「嘉祥元年豊満ヶ丘に創祀したが、現在地に移したといわれている。」とあり、小倉町以前には別の場所にあったことになります。こうなると酔石亭主では追及しきれません。もう一点比較対照すべき問題があります。それは二つの豊満神社の祭神です。

小倉町の豊満神社祭神は仲哀天皇、慶神天皇、神功皇后となっていました。慶神天皇は応神天皇のことです。一方、豊満に鎮座する豊満神社祭神は大国主命、仲哀天皇、慶神天皇、神功皇后となります。900年に豊満の地に分社された際、祭神が一柱増えたのはなぜでしょうか?

分社された場所は既にご承知のように大国庄でした。その名前からして、かつてこの地に出雲系がいて大国主命を祀っていたと思われます。そこに豊満神社が分社されたので、大国主命が祭神に加えられたのでしょう。当初秦氏系の神社になぜ大国主命なのかと疑問も浮かびましたが、上記のように整理して納得できました。

次の記述、大国庄、上、中、下を平井氏が支配し大いに発展させた。とは大国庄内の上荘、中荘、下荘を発展させたと言うことと思われます。ただそれが900年頃であれば、小椋氏が平井氏になった時代と合致しません。

豊満神社は以上です。そもそも今回の愛知川周辺訪問では、依智秦氏関連の場所に行く予定はありませんでした。期せずして依智秦氏が登場した訳で、事前調査がまったく不足していることもあり、悪戦苦闘させられたようです。言い訳めいたものになりますが、豊満神社側の解説文記述が曖昧で不明確だったのも、整理しにくい要因となりました。

神社側においては、早急に整理し直した解説文を書いていただく必要があります。解説石板では、豊満に鎮座する豊満神社の創建は不詳となっていますが、上記からすれば、小倉村で848年に創建され、900年に分社されて現在地に鎮座となるはずです。それをあえて書かないのは、神功皇后の伝説と整合しなくなるからでしょう。もっときちんとした解説文を掲示していただきたいと苦言を呈して、豊満神社を後にすることとします。

愛知川周辺の探訪はこれで終了として、石榑峠を越え三重県に向かいます。2日目の歴史探訪を簡単に終えたのはもちろん員弁川で探石するためです。と言うことで、次回からはまた員弁川の探石結果に戻り、「員弁川石その26」から続けます。
スポンサーサイト



プロフィール

酔石亭主

Author:酔石亭主
FC2ブログへようこそ!

最新記事
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
04 | 2014/05 | 06
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる