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醒ヶ井宿と日本武尊


柏原宿を後にして醒ヶ井宿に向かいます。


醒ヶ井宿の位置を示すグーグル画像。

醒ヶ井宿を流れる地蔵川の清流には心を惹かれるものがあります。醒ヶ井宿に入って最初に目に付くのが、日本名水百選の一つに数えられる居醒(いさめ)の清水です。醒ヶ井宿の名もこの清水に由来し、居醒は日本武尊の伝説に由来しています。

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居醒の清水です。

「日本書紀」には以下のように記載されています。

日本武尊、更尾張に還りまして、即ち尾張氏の女宮簀媛を娶りて、淹しく留りて月を踰ぬ。是に、近江の五十葺山に荒ぶる神有ることを聞きたまひて、即ち剣を解きて宮簀媛が家に置きて、徒に行でます。膽吹山に至るに、山の神、大蛇に化りて道に当れり。爰に日本武尊、主神の蛇と化れるを知らずして謂はく、「是の大蛇は、必に荒ぶる神の使ならむ。既に主神を殺すこと得てば、其の使者は豈求むるに足らむや」とのたまふ。因りて、蛇を跨えて猶行でます。時に山の神、雲を興して氷を零らしむ。峯霧り谷暗くして、復行くべき路無し。乃ち 遑ひて其の跋渉まむ所を知えず。然るに霧を凌ぎて強に行く。方に僅に出づること得つ。猶失意せること酔へるが如し。因りて山の下の泉の側に居して、乃ち其の水を飮して醒めぬ。故、其の泉を号けて、居醒泉と曰ふ。日本武尊、是に、始めて痛身有り。然して稍に起ちて、尾張に還ります。爰に宮簀媛が家に入らずして、便に伊勢に移りて、尾津に至りたまふ。

日本武尊は尾張に戻り、宮簀媛と結婚しますが、近江の伊吹山に荒ぶる神がいると聞き、草薙神剣を置いたまま伊吹山に向かいます。伊吹山に至ると山の神が大蛇に化けて道を塞いでいたので、日本武尊はこれを神の使いと思い、どうせ神を殺すのだからと捨て置いて、蛇を跨いで進みます。すると、山の神は雲を起こして氷を降らせます。道は暗く、どう進んでいいのかわからなくなった日本武尊は、忘我の状態となりました。そこで山の下の泉の水を飲み、ようやく我に返ります。その泉は居醒泉と名付けられました。体を痛めた日本武尊は尾張に帰りますが、宮簀媛の家には入らず、伊勢に移って尾津に至りました。

ここで伝説の意味を探ってみましょう。伊吹山の神とは産鉄族の伊福部氏を意味しています。伊吹山の麓には伊福部氏の神を祀る伊富岐神社が鎮座していることからもそれは窺えます。(鎮座地:岐阜県不破郡垂井町岩手字伊吹1484-1)

以前、日本武尊に関して、彼の伝説は複数の人間の事績を寄せ集めたものとの趣旨で書いています。ではここに描かれた日本武尊とはどのような人物なのでしょう?日本武尊は小碓命です。碓は鉱石を細かく砕くための臼であると考えられます。宗像大社神宝館の庭には金鉱石を砕くための金控碓(かねひきうす)が置かれているそうです。

以上から、日本武尊は伊福部氏と同系列の産鉄系武人であったと考えられます。(注:伊福部氏は軍事氏族でもあります)もしかしたら、鉱山の神金山彦の系統かもしれません。埼玉県に鎮座する金鑚神社(かなさなじんじゃ)は日本武尊に関係する神社ですが、祭神は金山彦との説もあります。神社概要はWikipediaを参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%91%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE

伊富岐神社の東南には美濃一宮の南宮大社が鎮座し(鎮座地:岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1)祭神は金山彦となっています。となると、日本武尊は鉱山、産鉄族系の武人で大和から美濃経由尾張に入りほぼ定着したものの、大和が恋しくなって帰ろうとしたところを伊福部氏によって妨げられたと考えられます。そんなみっともないことをしたら、部族の名を汚すと思われたのでしょう。

でも、なぜ日本武尊は伊勢に移ったのでしょう?これは簡単に答えられそうです。当時大和に入るルートは後代の不破関(伊吹山と養老山地に挟まれた地峡帯)を通るか、鈴鹿関(関址は、三重県亀山市関町新所が有力とされる)を通るしかなかったからです。不破の地峡帯通過を伊福部氏や金山彦を祀る鉱山族に妨げられた日本武尊は、やむなく後代の鈴鹿関を経由して大和に入ろうとして、途中の能褒野(三重県亀山市)で力尽きたのです。

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鳥居があります。

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解説板。

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日本武尊の像。

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腰掛石と鞍懸石。

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腰掛石と鞍懸石の解説板。

さて、ここまで書いてきた内容には実は重大な矛盾があります。伊福部氏と金山彦系が日本武尊の大和入りを防ぐとしたら、伊富岐神社と南宮大社を結んだラインがその場所となるべきだからです。


伊富岐神社と南宮大社を示すグーグル地図画像。

ところが醒ヶ井は既に不破関を越えた近江側に位置します。そこで正気に戻った日本武尊がまた不破関を越え養老山地に沿って南下し、鈴鹿関に向かうなどあり得ません。当然醒ヶ井からそのまま近江国を下り大和入りするはずです。日本武尊が伊勢方面に向かったとすれば、居醒の泉は醒ヶ井ではなく防御ラインとなる不破関の手前(関の東側)に存在すべきなのです。

実は、関ヶ原に玉倉部邑があり、日本武尊の居醒の泉は、別名「玉倉部の清水」とも呼ばれ、関ケ原鍾乳洞の入り口付近にある湧き水を指しているとのことです。詳細は関ヶ原観光WEBを参照ください。
http://n-hp.com/navigate/public/mu8/bin/view.rbz?cd=107

かなり有力候補のようですが、それでも既に不破関を過ぎた位置にあります。となると、これも落とさざるを得ません。困りましたね。もう一度伊富岐神社と南宮大社を結んだラインの東側に候補がないか探してみましょう。するとありました。垂井の泉です。詳細は岐阜県の以下のホームページを参照ください。
http://www.pref.gifu.lg.jp/kankyo/mizu/meisui/water5.html

概略の位置図もありますが、南宮大社のほぼ真北に泉があり、伊富岐神社と南宮大社を結んだラインの東側に当たります。垂井の泉であれば、そのまま南下して養老山地沿いに尾津へと進むことができます。尾津神社は以前に行ったことがあり写真も撮影しているのですが、写真を以前のパソコンに入れたままにしていたので、消滅してしまいました。詳細は以下を参照ください。
http://www.geocities.jp/engisiki/ise/bun/is081303-01.html

さて、垂井の泉を日本武尊の居醒の泉とするのは酔石亭主だけかと思っていたら、江戸末期の国学者で岩下貞融と言う人物がそれを碑文の原文に書き、境内の専精寺に残されているとのことです。う~ん、ちょっと残念…。けれども、その理由まで分析したのは酔石亭主が初めてだと思うのですが…。

伊富岐神社と南宮大社に関しては、いずれ尾張氏の関連で詳しく取り上げる予定です。
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