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犬山探訪


以前岐阜市を少し紹介したことがあります。岐阜市と犬山市は規模こそ違え、様々な面で似通った部分が多く、とても面白く感じられます。まず、いずれの町も濃尾平野の周縁部に位置しています。岐阜市の場合市内を長良川が流れ、犬山市の場合は木曽川が流れています。岐阜の金華山山頂には岐阜城があり、犬山には木曽川のほとりの山の上に国宝・犬山城があって、どちらの城からも絶景を堪能することができます。そして両方の城下には、今も古い町並みが残っているのです。


犬山市の位置を示すグーグル地図画像。

犬山に行く以上は、事前に地名由来を見ていく必要があります。チェックしたところ諸説あって定まりません。犬で狩りをするのに最適な土地であったとか、小野山(おのやま)が転じて犬山になったとか、大縣神社から見て犬山は戌亥(いぬい)の方角に当たるので、いぬいの山で犬山になったとかあるようです。

愛知県に犬のつく地名は数多くあり、犬飼、犬田、犬塚、犬迫、犬石、犬掘、犬井、犬ヶ坪などが挙げられます。犬上川や犬吠埼など有名なものはいずれも犬に関係していることから、犬山市の場合も、犬で狩りをすることに関係している可能性が高いと思われます。また、犬飼や犬塚は日本各地に見られる地名です。古代においては犬の飼育を職とした部があり、犬飼は犬飼部に由来しているのかもしれません。

と言うことで、早速犬山に行ってみましょう。最寄駅は名鉄犬山遊園です。東口に出れば、白山平山が迫っており山麓には数多くのお寺が建っています。

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臨渓院です。

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解説板。

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境内。

瑞泉寺の塔頭のひとつで創建は1482年。残念ながら織田信長が犬山城を攻めた際に堂宇は焼失、犬山城二代城主成瀬正虎が再建しました。ここには成瀬家の墓所があります。自分たちの城がよく見える場所を墓所としたのでしょう。成瀬正虎に関しては以下Wikipediaより引用します。

成瀬 正虎(なるせ まさとら、文禄3年(1594年)- 寛文3年5月9日(1663年6月14日))は、尾張犬山藩の第2代当主。
初代当主・成瀬正成の長男。母は森川氏俊の娘。正室は徳川義直の生母相応院の養女。継室も相応院の養女。子は成瀬正親(長男)、寺屋直龍(次男)、娘(板倉重大正室)、娘(志水忠継室)。他に養女(成瀬之虎の娘、小出英知室)。官位は隼人正。
慶長13年(1608年)、徳川秀忠の小姓となり、4,000石を与えられた。慶長19年の大坂の役に従軍し、12月に義直に仕えるように命じられた。元和3年(1617年)、義直が名古屋へ入る時に1,000石を加増された。
寛永2年(1625年)3月、父の死去により跡を継ぎ、8月に従五位下隼人正に任じられた。寛永10年(1632年)、光友が徳川家光にお目見えした際には付き添いとなり家光から左文字の刀を拝領した。寛永3年と10年の義直上洛にも付き添って入洛した。犬山成瀬家は、大名クラスの石高を持ちながらもあくまで尾張藩の附家老であり、大名として認められていなかった。


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臨渓院の辺りから撮影した犬山城。画像サイズを大きくしています。

小さな城ですが、凛とした佇まいが見事です。何と言っても国宝の城ですからそれも当然ですね。

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木曽川に架かる名鉄の鉄橋。



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