尾張氏の謎を解く その3


前回、前々回は検討を進めるための前提と尾張氏の系図捏造疑惑を書いただけで終わってしまった雰囲気です。今回からはじっくりと尾張氏の謎に迫っていきたいと思います。

既に尾張氏系図をご覧になりおわかりいただいていると思いますが、系図の一番目と二番目に位置するのが、尾張氏の祖(とされる)天火明命と天香山命です。言い換えれば、尾張氏はここで時代を区切っているのです。よって、彼らはいつの時代の人物(神)でどのような属性を持っているのかを探らなければなりません。

と言うことで、今回は上記の観点から検討を進めていきます。うんと簡単に考えれば、真清田神社の創建が社記によると神武天皇の33年で、神社明細帳では崇神天皇の時代ですから、この実年代がいつになるかを見ていけばいいことになります。神武天皇=崇神天皇との説もあるので、ひっくるめての検討も可能でしょう。けれども、慌てて結論に飛びつかずじっくり攻めてみたいと思います。

まず、「先代旧事本紀」によれば、物部氏の祖神であるニギハヤヒと尾張氏の祖神である天火明命は同一神とされています。天火明命は天香山命の父神となります。従って、ニギハヤヒの時代を特定することで、天火明命と天香山命の時代を特定することが可能になるはずです。ニギハヤヒに関しては以下Wikipediaより引用します。

ニギハヤヒノミコトは、日本神話に登場する神。『日本書紀』では饒速日命、『古事記』 では邇藝速日命と表記する。別名、櫛玉命(くしたまのみこと)。天照国照彦火明櫛玉饒速日命ともされる。物部氏、穂積氏、熊野国造らの祖神と伝わる。


「日本書紀」神武天皇即位前紀によれば、ニギハヤヒは神武天皇が東遷する前の段階で大和に降臨しています。具体的には、塩土老翁が神武天皇に答えて「東に美き地有り。青山四周れり。其の中に亦、天磐船に乗りて飛び降りる者有り」と言った。とあります。「古事記」では逆に神武天皇が天下ったので、追って参上したとなっていますが…。物部氏の「先代旧事本紀」には以下のように書かれています。

ニギハヤヒは天祖から十種の御宝を授けられ、天磐船に乗って河内の国の河上の哮(いかるが)の峯に天下りした。その後、大倭の国の鳥見の白庭山に移った。

なお、天香山命はニギハヤヒに従う32人の筆頭に記載されています。哮の峯や鳥見の白庭山は比定地が存在しますので、場所をチェックしてみましょう。哮の峯は現在の磐船神社鎮座地となります。


位置を示すグーグル地図画像。鎮座地:大阪府交野市私市9丁目19-1

磐船神社に関しては以下の同社ホームページを参照ください。是非行ってみたい場所ですが、結構遠いので機会があれば、としておきます。
http://www.osk.3web.ne.jp/~iw082125/index-j.html

ニギハヤヒが天下りした哮の峯は磐座があることからしても、祭祀のための場所と考えられます。河内と大和の境となる峠のような場所が定着地になるはずがなく、多分すぐに大和側に位置する鳥見の白庭山に移動したものと思われます。


白庭山の位置を示すグーグル地図画像。

グーグル画像の白谷垣内集会所に鳥見白庭山の石標があります。池の前の道沿いに長髄彦本拠の石碑もあります。位置関係は地図画像を拡大してご覧ください。周辺一帯の概要は以下の生駒市観光協会ホームページが参考になります。(注:「長髄彦本拠」で検索すると他にも幾つかの詳しい情報がでてきます)
http://www.ikoma-kankou.jp/guidevolunteer/course02.html

白庭山の南にはニギハヤヒの御陵があり、東南には御炊屋姫(長髄彦の妹でニギハヤヒの妻)の墓もあります。一帯は長髄彦本拠地であり、同時にニギハヤヒ本拠地となりそうです。

でも、ニギハヤヒはなぜ河内の哮の峯から大和の鳥見の白庭山に移動したのでしょう?「先代旧事本紀」には、ニギハヤヒは長髄彦(ながすねひこ)の妹御炊屋姫(みかしきやひめ)を娶り、懐妊させた。とあります。生まれた子供が宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)で物部連、穂積臣、采女臣などの祖となりました。ニギハヤヒが長髄彦の妹を妻にするため鳥見の白庭山に移動したとすると、何となく入り婿したような雰囲気になりそうです。そこでこの問題を少し探ってみます。

長髄彦は登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ)とも称され、登美は蛇を意味し、長もナーガで蛇を意味することから長髄彦は出雲族(出雲竜蛇族)である可能性が浮上します。長髄彦は事代主神の子神ともされ、事代主神は「古事記」によると、大国主命と神屋楯比売命との婚姻によって生れた神となるので、ここからも出雲系のように見えます。

ただ、事代主神はずっと南の葛城山、金剛山山麓にある高鴨神社や鴨都波神社(かもつばじんじゃ)など鴨族系神社の祭神となっており複雑です。長髄彦は出雲族が鴨族系在地豪族と緩やかに融合したような人物と捉えればいいのかも知れませんが、一応ここでは長髄彦を出雲系としておきます。

物部系が入る前の大和は、出雲族の祭祀圏が広がる地であり、二人の結婚は物部系と出雲系の新たな融合を象徴しているようにも思えます。ニギハヤヒは入り婿ではないとしても、先住民に敬意を表して自分から鳥見の白庭山に移動したのでしょう。地理的に見ると磐船神社は山の中で農業生産性がないため、大和側に移動したとも考えられますが…。

問題は、地図画像を拡大すればご理解いただけますように、鳥見の白庭山も奈良盆地の北側に位置し、大和全体を制圧するには不適な場所のようにも思える点です。それはさて置いて、時代は少し下ります。

神武天皇が大和に入るに当たり、ニギハヤヒを主と仰ぐ長髄彦は頑強に抵抗しました。「日本書紀」にはこのあたりの状況が詳しく描写され実に面白いので、時間のある方は是非お読みください。自分の仕えるニギハヤヒのために戦った長髄彦ですが、なんとニギハヤヒは長髄彦の性質が捻じ曲がっているとして、最後には彼を殺し神武天皇の軍門に下ってしまいます。大和の大王らしからぬ振る舞いとしか思えません。まあこの辺は天孫系にとって都合よく書かれているだけで、実際はどうだったのか不明です。しかし、神話の時代から古代天皇の時代における出雲族の不遇はこの話からも見て取れます。

長髄彦は「東日流外三郡誌」によると、兄の安日彦と共に東北地方へ逃げ荒吐(あらはばき)王国を建設したそうです。だから白庭山一帯に長髄彦の墓が見当たらないのでしょう。(注:葛城市の鍋塚古墳がその墓との説もあり)

「東日流外三郡誌」など幾つかの資料は、全部をひっくるめて「和田家文書」と称されています。ネット情報によれば、この文書に長髄彦の本拠地が北膽駒の白谷にあり、現在は白庭になっていると書かれているようです。「和田家文書」は偽書ともされており、長髄彦本拠がこの文書を出典としているなら信憑性には疑問符が付くことになりそうです。

ただ酔石亭主は原書に当たっておらずその判定はできません。いずれにしても、現在の追及課題はニギハヤヒを通じての尾張氏の祖(とされる)天火明命と天香山命の時代特定なので、この問題はパスします。ご興味のある方は「和田家文書」でネット検索してください。膨大な情報が出てきます。

白庭山のある矢田丘陵周辺には白庭台、鳥見町、登美ヶ丘など長髄彦に関係する地名が多くあって、富雄川(かつては富河や鳥見川と称された)も流れています。ニギハヤヒと長髄彦の話は伝説的ですが、これだけ関連地名があるからには、過去に何らかの出来事があった可能性も否定できません。(注:後で付けられた地名の可能性もありますが…)

                     尾張氏の謎を解く その4に続く
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