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尾張氏の謎を解く その32


前回までの検討で秦楽寺は創建から現在に至るまで田原本町の秦庄にあったと確認されました。次の検討課題は秦楽寺の一帯が元伊勢第一号の笠縫邑であるかどうかです。

現在、元伊勢第一号の候補地としては大神神社摂社の桧原神社、穴師坐兵主神社右殿の巻向坐若御魂神社、秦楽寺境内に鎮座する笠縫神社(Wikiによると多神社境外末社)など合計8か所(或いは11か所)が挙げられ、桧原神社が最有力とされています。しかしながら、各候補地がなぜ元伊勢第一号に比定されるのか必ずしも明確ではなく、具体的な根拠が提示されなければなりません。まずは、最有力候補の桧原神社から見ていきます。

桧原神社は桜井市大字三輪字檜原に鎮座しており、祭神は天照大神、伊奘諾尊、伊奘冊尊となります。


位置を示すグーグル画像。画像で見る以上に山懐の奥深くにあります。

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〆柱です。

前面には大神神社攝社桧原神社とあり、横面には皇大神宮聖蹟 倭笠縫邑とありました。どうやらここが元伊勢第一号だと強調しているようです。

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境内に入り振り返ると〆柱の間に二上山が見えています。

境内から見た二上山に沈む夕日は実に美しく、今でも多くの方が撮影に訪れているそうです。古代の人々もここから二上山に沈む夕日を遥拝したのでしょうね。でも…、そのことに大きな疑問を感じませんか?

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二上山をズーム。写真はともかく絶景です。

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三つ鳥居です。

三輪山の懐に抱かれ、清浄で神々しい佇まいを見せています。大神神社をも凌ぐ神聖な雰囲気が感じられました。社殿はなく神体山である三輪山を神としています。(注:実際には三輪山の一部が桧原山となっており、それをご神体としていました。現在は三輪山にある磐座がご神体)明治10年に大神神社の摂社となり、境内には大神神社末社の豊鍬入姫宮が鎮座し、豊鍬入姫命が祀られています。鎮座は昭和6年とのこと。

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三つ鳥居をもう一枚。

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豊鍬入姫宮です。

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解説板。画像サイズを大きくしています。

ここに祀られている主な神様は天照大神と豊鍬入姫命ですから、元伊勢を意識した構成になっているのは明らかです。でも、本来は桧原山を神体山として遥拝していた神社のはずで、そのありようと祭神がマッチしていないような気もします。豊鍬入姫宮の鎮座も昭和の話ですから、天照大神も同様にかなり新しい時期に祭神となった可能性があり、調べてみました。明確なことは言えないのですが、諸資料からすると室町時代から江戸時代初期の間に鎮座したと思われます。いずれにしても、元伊勢とされたのは時代的にかなり新しいと見て間違いなさそうです。と言うことで、解説板の検討に移りましょう。

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神社の解説板。全文を以下に記載します。

大神神社の摂社「桧原神社」は、天照大御神を、末社の「豊鍬入姫宮」(向かって左の建物)は崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命をお祀りしています。
第十代崇神天皇の御代まで、皇祖である天照大御神は宮中にて「同床共殿(どうしょうきょうでん)」にお祀りされていました。同天皇の六年初めて皇女、豊鍬入姫命(初代の斎王)に託され宮中を離れ、この「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立ててお祀りされました。その神蹟は実にこの桧原の地であり、大御神の伊勢御遷幸ののちもその御蹟を尊崇し、桧原神社として大御神を引続きお祀りしてきました。そのことより、この地を今に「元伊勢」と呼んでいます。
桧原神社はまた日原社とも称し、古来社頭の規模などは本社である大神神社に同じく、三ツ鳥居を有していることが室町時代以来の古図に明らかであります。
萬葉集には「三輪の桧原」とうたわれ山の辺の道の歌枕となり、西につづく桧原台地は大和国中を一望できる景勝の地であり、麓の茅原・芝には「笠縫」の古称が残っています。
また「茅原(ちはら)」は、日本書紀崇神天皇七年条の「神浅茅原(かむあさぢはら)」の地とされています。更に西方の箸中には、豊鍬入姫命の御陵と伝える「ホケノ山古墳(内行花文鏡出土・社蔵)」があります。


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ホケノ山古墳です。

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古墳の解説板。 画像サイズを大きくしています。

古墳は三世紀後半の築造となっていることから、崇神天皇の時代よりも古いと理解され豊鍬入姫命の御陵とは言えないように思えます。それはさて置き、解説板の内容からも、桧原神社は天照大神の元伊勢第一号として位置付けされた神社だと理解されます。ところが神社のありようは既に書いたように三輪山を御神体としているのです。

そうしたありようの神社のはずなのに、解説板その他に書かれているのは、元伊勢第一号が200%の内容となっています。ただ、内容は具体性に欠けています。一方酔石亭主が元伊勢第一号とする秦楽寺(一帯)に関して、寺側は全く無関心で0%の内容となっていました。この落差の激しさには驚かされますが、どちらが本当の元伊勢第一号なのか次回から検証作業に入りましょう。

                 尾張氏の謎を解く その33に続く
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