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若狭探訪 その7

若狭探訪
04 /09 2015

若狭は水が豊富です。しかも、水は水銀とも関係付けられており、お水送りの行事には水銀を示すキーワードが暗号のようにちりばめられていました。詳しくは、「日本に秘められた謎を解く その1」を参照ください。

となると、受け手側の二月堂におけるお水取りの行事にも水銀を示すキーワードがちりばめられているはずです。例えば二月堂の名前です。この名前は旧暦の二月に修する法会・修二会(しゅにえ)にちなんでいるとされます。でも、修二会とは朱丹会ではないでしょうか?修二会の名前に朱丹と言う水銀のキーワードが隠し込まれている以上、二月堂の「二」も丹を意味することになります。

さてそこで、修二会においては若狭から送られた水を若狭井(わかさい)にて汲み上げる儀式が行われます。これは遠敷明神が遠敷川での漁に熱中して二月堂に遅参したお詫びに、道場のほとりに香水を出して奉ると言ったところ、黒白二羽の鵜が突然岩の中より飛び出して、類なき甘泉が湧き出したことに由来します。ここで言う、二羽の鵜=二鵜とは丹生を意味することになります。どうやらお水取りの行事にも水銀の暗号が隠し込まれていたようです。

水の豊富な若狭が死と再生を象徴する水銀とも関係が深いとは、何とも不思議な符合のようにも思えてきます。と言うことで、若狭の水を代表するような瓜割の滝に行ってみましょう。所在地は福井県三方上中郡若狭町天徳寺ですから、天徳寺が管理する場所なのでしょう。


瓜割の滝の位置を示すグーグル地図画像。

夏にこの冷水に瓜をつけると割れるほどに冷たいことから名付けられた瓜割の滝は、滝自体は大きなものではありません。けれども、その一帯から湧き上がるような聖地としての気には背筋をピンと伸ばしたくなるような神聖さがあります。

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駐車場から見た雪の残る峰々。

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杉の古木が道を二股に分けています。

右側が天徳寺なのでこちらへ先に行ってみます。

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天徳寺の門。

天徳寺に関しては以下Wikipediaより引用します。

天徳寺縁起によれば、今からおよそ1300年前の養老年間、加賀・白山を開いた泰澄大師が当地宝篋ケ嶽に上り、馬頭観音像一躯を刻んで山腹の岩窟に安置し去ったことを以て寺の起こりとしている。縁起によれば、泰澄の開山から200年を経た天暦年間、この馬頭観音が岩上にあって七日七夜奇瑞を示現したため、元真僧都が急ぎ草堂に移した。観音の霊異は天聴に達し、時の村上天皇は宣旨を下して堂宇の建立に着手。天徳元年、七間四面の観音堂が成り、遅れて食堂、鐘楼、大門等が竣工し七堂伽藍を具備。次いで村上天皇より斎田二十町歩が寄進され、正治2年北条政子が源頼朝の菩提を祈る法華堂を建立寄進した等々と伝えている。爾来、本尊馬頭観音所在に約して山号を宝篋山とし、村上天皇治世の元号になぞらえて天徳寺と称すようになったという。


泰澄と馬頭観音が出てきました。若狭の青葉山周辺(中山寺、馬居寺、松尾寺)などには似たような伝説が幾つか見られます。

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お庭の全体が分厚い苔に覆われています。

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もう一枚。

これだけ苔が豊富なのは、もちろん水が豊富であるからに他なりません。瓜割の滝への期待感が高まります。

                      若狭探訪 その8に続く
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酔石亭主

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