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尾張氏の謎を解く その45


彦坐王の動きの検証は前回までで完了しました。次の検討対象は天火明命となります。「その41」で書いたように、天火明命は彦坐王の遠征部隊が奉じる鏡ですから、彼の出現は彦坐王の動きと対応しているはずです。

彦坐王の最初の出現場所は志楽郷の項に書かれていますが、残欠の内容を見ると凡海郷の成生でした。成生に出現した彦坐王は記事の流れからすると、具体的には書かれていないものの、青葉山(志楽郷に含まれる)に行き陸耳御笠を追い落したと考えて間違いありません。

つまり彦坐王は凡海郷→志楽郷の順に動いていることになります。最初の出現場面は特に重要なので、天火明命も同じ動きになっているはずですが、その想定通りかかどうか残欠の記事から拾っていきましょう。天火明命が最初に出現する場面は「その42」の写真画像一枚目を参照ください。内容は大略以下となります。

志(六字虫食)
志楽と号する理由は、遠い昔、少彦名命と大穴持命が天下を治める所を巡覧し、この国を悉く巡り、さらに高志の国に至ったとき、天火明神を召して、あなたはこの国を領知(しらす)べしと仰ったので、天火明命は大喜びして永母也青雲の志良久国(ながくもやあおくものしらくのくに)と言ったため、志楽と言う。


記事タイトルの「志(六字虫食)」は「志楽郷 本字領知」となるはずです。上記は加佐郡における9郷についての最初の記述となります。内容は志楽の地名由来譚となっており、残欠の記事において天火明命が真っ先に出現したのは志楽郷だと理解されます。その意味では彦坐王の場合と全く同じですが、彦坐王の実質的な最初の出現場所は凡海郷の成生でした。もう一度彦坐王の最初の出現場面を見ていきます。

甲岩(かぶといわ)
甲岩は、古老の言い伝えによると、祟神天皇の御代に、当国の青葉山に陸耳御笠という土蜘蛛がいた。人民に害を与えるので、日子坐王が天皇の勅を奉じて討伐に来た。丹後国(と若狭国の境に)至ったとき、凄まじい鳴動と共に忽然として光輝く巨岩が現れ、金甲に似た姿だった。これにより将軍の甲岩と名付けた。その地を鳴生(なりふ)と号した。


以上から、天火明命の実質的な最初の降臨場所も凡海郷とならなければ筋が通りません。この問題を別の視点から検討するため、残欠に海部氏の系図である「勘注系図」の内容を交えながら見ていきます。

「勘注系図」の彦火明命の注記によれば、天火明命はまず伊佐奈子嶽に降臨し、その後凡海息津嶋(おほしあまおきつしま、現在の冠島)に降臨しています。天火明命の最初の降臨地が伊佐奈子嶽である以上、この山は丹波国にとって重要な存在なのでしょう。問題は、「勘注系図」によると凡海郷は二番目の降臨地となり、酔石亭主の思惑から外れそうな気配があることです。何とか辻褄を合わせるべく、残欠から伊佐奈子嶽関連の記事を拾っていきましょう。田造郷には以下の記載がありました。

田造郷と号したのは、遠い昔、天孫降臨のとき、豊宇気大神の教えに依って、天香語山命と天村雲命が当国の伊去奈子嶽に天降った。

さらに丹波全体に関する残欠の記述は以下となります。

丹波と号したのは、遠い昔、豊宇気大神が当国の伊佐奈子嶽に天降されたとき、…以下略。

以上のように、伊佐奈子嶽は丹波における重要な伝説の核心部となります。また雄略天皇の御代に伊勢神宮外宮に遷座した豊受大神は、丹波における最も重要な神と考えられます。豊受大神は籠神社で相殿神として祀られ、奥宮・真名井神社(真名井原)の祭神となっていることから、海部氏にとっても極めて重要な神となります。よって、残欠の記事と歩調を合わせるかのように、「勘注系図」では天火明命の最初の降臨地を伊佐奈子嶽とするしかなかったのでしょう。(注:伊佐奈子嶽の所在地は加佐郡内ではないため、後の回で詳細な検討をする予定です)

「勘注系図」においては、天火明命が最初に丹波国(後の丹波国)の伊佐奈子嶽に降臨したものの、その役割や事績は何も書かれず、次のカッコ付き文章が丹波の地名由来譚になっています。続いて、天火明命が佐手依姫命を娶ってから孫の天村雲命が生まれるまでの人物を列挙します。

その後に、天祖が二つの神宝(息津鏡、邊津鏡)を天火明命に授け、丹波国に降臨して速やかに国土を修造するよう命じます。そこで天火明命は丹波国の凡海息津嶋に降臨することとなったのです。

このストーリーの流れには明らかに矛盾があります。天火明命は天祖の命により丹波国の伊佐奈子嶽に既に降臨しているのに、神宝を授けられてから改めてまた丹波国に降臨し、国土を修造するよう命じられているからです。これは丹波国における伊佐奈子嶽の重要性に鑑みてそう書くしかなかったからと理解され、天火明命の丹波における実質的な意味での最初の降臨地は凡海郷の息津嶋になると考えて間違いなさそうです。

凡海郷(おほしあまのさと)に関しては残欠に以下の記載があります。(注:文字欠けも多く読みにくいので、適当に端折っています)

凡海郷
凡海郷は遠い昔、四面を海に囲まれた一つの大島だった。凡海と称する理由は、遠い昔、天下を治めるに当たり、大穴持命がこの地に至り、海中の小島を引き集め一つの島となった。それ故、凡海と言う。大宝元年(701年)三月己亥、地震が三日間やむことがなく、この郷は一夜にして海の底となった。ようやく郷の中の高い山二峯と立神岩が海上姿を現した。今、常世嶋と号する。また俗に、男嶋女嶋と称する。嶋ごとに神祠がある。祀るのは、天火明神と日子郎女神である。これは海部直及び凡海連らが奉斎する祖神である。 


残欠を読む限りでは、凡海郷は一つの大きな島であり、大宝元年(701年)の地震で郷は海になったが、郷中の高い山が海面の上に出たとあります。しかし、消滅したはずの凡海郷は各郷の配置図を見ると実際には存在しており、もちろん彦坐王以前の時代にも郷名はさて置いて存在しているので、天火明命は最初に凡海郷の息津嶋に降臨したと受け止めても問題はありません。残欠の記述は凡海郷の当初の支配者が大己貴命であり、それを天火明命に譲ったように読み取れます。

「勘注系図」天香語山命の注記には、天香語山命と天村雲命は父火明命に従って丹波国の凡海嶋(現在の冠島)に天下ったとあります。その後百八十軍神を率いて当国の、伊去奈子嶽に至るとあり、天火明命の注記とは矛盾を来す内容になっています。ここからも、天火明命の最初の降臨地は凡海郷と理解されます。

以上、天火明命の実質的な最初の出現場所は凡海郷であると確認されたことから、彦坐王と天火明命の最初の出現場所を凡海郷→志楽郷で一致させることができました。今回の検討はこれで終わりにしたいのですが、天火明命に関して少し別の視点から見ていきます。

天火明命が天下った凡海郷の凡海嶋(息津嶋、冠島)には老人島神社(おいとじまじんじゃ)が鎮座しています。


冠島の位置を示すグーグル地図画像。

老人島神社に関しては以下の京都府ホームページを参照ください。
http://www.pref.kyoto.jp/mishitei-bunkazai/1192502298033.html

残欠の記事にある男嶋=雄島(おしま)は成生岬の北に位置する現在の冠島で、既に書いたように、ここに鎮座する老人島(おいとしま)神社祭神は天火明命とその妻の日子郎女(ひこいらつめ)になっています。位置関係からすれば、彦坐王が最初に成生に出現したのと、天火明命が凡海嶋に天下った間には明確な関連性が窺えると思えませんか?

雄嶋参りは京都府下のみならず、隠岐から若狭まで広がっていたようです。その関係と推測されますが、隠岐にも冠島があり海士の地名があります。(注:京都府京丹後市久美浜町海士(あま、旧海部村)は海部氏の本拠地とされています)

老人島神社祭神の日子郎女は天火明命の妃であり、別名は佐手依比売。また、福岡県宗像市に鎮座する宗像大社・中津宮に祀られている市杵島姫と同神でもあります。海部氏は海人系だったから、自分たちの始祖である天火明命の最初の降臨地を丹波国の凡海息津嶋に設定したのでしょうか?いずれにしても、市杵島姫は宗像海人族の流れとなります。また佐手依比売は対馬の国本神社で祀られています。

一方「勘注系図」によれば、天火明命の妃は天道日女命(あめのみちひめ)で彼女は大国主神(大己貴命)と宗像の多岐津姫の間に生まれた子となり、屋乎止女命(やおとめ)、高光日女命(たこひめ)、祖母命(そぼのみこと)とも呼ばれていました。「先代旧事本紀」によれば天道日女命の父は対馬県主祖天日神(あまのひのかみ)で、別名は天照御魂神(あまてるみたまのかみ)となります。

天照御魂神とは大和編で詳しく論証したように天火明命のことです。となると、天道日女命は自分の父である天火明命と結婚したことになってしまいます。神様の世界はSF小説さながらにややこしいので、系図風に書いてみましょう。

010_convert_20150510092626.jpg
系図。

この系図は不十分なものですが、イメージを把握できれば良いと思って作りました。まず多岐津姫と佐手依比売(対馬の別名)は宗像三女神の中の二人であり、天日神は対馬県主の祖となっています。天道日女命=天造日女命であれば彼女は阿曇連らの祖となり、系図に出てくる多くのメンバーが宗像海人族などの海人系となります。大己貴命は地主神とも言えそうですが出雲系としておきます。そして天火明命は大和王権側の彦坐王が奉じる鏡でした。これらの複雑さをどう理解すればいいのでしょう?

丹波はその特殊な地理的要因から、渡来人、海人系、出雲系、大和系などが衝突するような位置にあります。その丹波の中心にいた海人系の海部氏は当然彼らから大きな影響を受けたはずで、これらの要素を全て受け止め、取り込んだ上で、天火明命―天香山命―天村雲命を系図の自分たちのメインラインに据えたものと思われます。籠神社ホームページにも系図が掲載されていますので参照ください。(注:これらは「勘注系図」の記載内容とは異なります)
http://www.motoise.jp/amabe/#02

なお天火明命の妃である天道日女命の別名に屋乎止女命(やおとめ)があり、丹波道主命の子に八乙女がいるためでしょうか、籠神社の解説文によると祖神の彦火明命が、宿縁により現身の丹波道主命となったとし、豊受大神を祀る八乙女を海部家直系の娘としています。

こうした関係を、「多次元同時存在」と宮司は名づけているとのことですが、神様取り込み技の極致とも言えそうです。それはさて置き、籠神社の解説文は非常にわかりやすく纏められていますのでとても参考になります。是非ご一読ください。(注:籠神社の詳細は後の回で書く予定です)

ついあれこれ書きすぎて長くなりましたが、天火明命の動きも凡海郷と志楽郷が起点になっていたと理解され、彦坐王の動きに連動していると判明しました。次回以降は、基本的に残欠に基づいて天火明命の動き探っていくことになります。

          尾張氏の謎を解く その46に続く
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