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近江探訪 その5


多賀大社から307号線を南に下り名神高速道路と交わる辺りに胡宮神社(このみやじんじゃ)が鎮座しています。胡宮神社と多賀大社の関係は密接で「延喜式」に多何神社二座とあるのはこの両神社を指しているとのこと。多賀大社は前回で書いたように高宮ですが、胡宮神社もまた同様に高宮(こうのみや)と考えられそれが転じて胡宮になったとの説もあるようです。

鎮座地は滋賀県多賀町敏満寺49で、祭神は伊邪那岐大神と伊邪那美大神、事勝国勝長狭尊(ことかつくにかつながさのみこと)で別名が塩土翁(しおつちのおじ)となっています。住所が敏満寺とあるのは、かつてはここに天台宗の敏満寺があったからで、湖東三山に勝楽寺、敏満寺を加え湖東五山とも称されていました。創建は859年から884年の間とのことです。


鎮座地を示すグーグル地図画像。

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裏参道側の鳥居です。八重桜が咲いていました。

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境内案内図。画像サイズを大きくしています。敷地はかなり広い。

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拝殿。

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石仏群。何となくうら淋しい雰囲気が漂っています。

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敏満寺の観音堂。

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下乗の石柱。

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解説板。

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何やら石積みのようなものが…。

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解説板。

神社よりも敏満寺跡であることを強調しているように思えます。ただ酔石亭主としては多賀大社と関係の深い胡宮神社に関心があります。と言うことで、この神社のありようを少し探ってみましょう。

境内案内図にも見られるように胡宮神社は背後の青龍山(333m)山頂の磐座を祀る原始信仰がその起源と思われます。社伝には第三十代敏達天皇の勅願とか聖徳太子の創祠とかあるようですが、この地に入った犬上氏が多賀大社の創建と合わせるように祀ったのが実質的な胡宮神社の創建になると推定されます。その後鎌倉時代には天台宗敏満寺の護法神として祀られてきたのでしょう。戦国時代の1572年には織田信長によって敏満寺が焼き打ちにされほとんどの堂宇を失い、復興することなく現代にまで至りました。

そうした悲惨な歴史のせいでしょうか、多賀大社は実に立派な社殿が建っているのに胡宮神社の神域はどこかさびれたような雰囲気が漂います。400年以上も前の焼き打ちが現在にまで影を落としているのかもしれません。戦国時代に思いを馳せつつ次の目的地に向かいます。なお多賀町の主なスポットは以下の多賀観光協会ホームページを参照ください。

http://www.taga-kankou.com/kanko/2/

              近江探訪 その6に続く
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