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尾張氏の謎を解く その68


今回は「丹後舊事記」などを参照しつつ海部氏の検討を進めます。既に書いたように、この史料は近代デジタルライブラリのコマ番号22から始まります。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1175321

「丹後舊事記」もどこまで信頼できるのか心許ないのですが、書かれた内容に沿いつつ進めるしかありません。コマ番号29に王代人國入館跡之事と言う記事タイトルで、参考になる内容が書かれています。今回の記事で必要な枚数は2枚しかないので、原文をアップしておきます。

004_convert_20150630143515.jpg
一枚目。二枚とも画像サイズを大きくしています。

006_convert_20150630143632.jpg
二枚目。

一枚目に以下の記事があります。

神服連海邊亙(海邊亙は海部直の事なので以降はこれで表記します)
日本古事記日本旧事記に曰く神服連海部の直は皇孫六世旦波国造、但馬国造等の祖也、大日本根子彦太瓊尊治下御世(人皇七代孝霊天皇)此館跡今も川上庄海部の里に殿垣六宮廻といふ田地の字ありと細川少将忠興順国志にあり王代の人住を我名とせる事其例多し川上の庄は凡當国の国府の始なるべし。


神服連海部直(かんはとりむらじあまべあたい)に関しては「先代旧事本紀」天孫本紀に六世孫 建田背命 神服連、海部直、丹波国造、但馬国造らの祖とあることが元になっているように思えます。つまり上記の神服連海部直とは建田勢(背)命を意味していることになります。神服連と海部直は別のはずなのに、同一人物のように記載あるのも妙なことです。

海部直の直(あたい、あたえ)は古代の姓(かばね)の一つで、大化以前の国造(くにのみやつこ)に与えられています。この制度は5世紀から6世紀に成立したとされ、建田勢命の時代には存在していません。神服連海部直=建田勢命とすると、両者の時代差がありすぎる結果となります。

川上の庄は当国(注:丹後国を意味していると思われるが、時代的には丹波国のはず)の国府の始まりとあり、それが事実かどうかはさて置いて、重要な地域であることは間違いなさそうです。だからこの地には丹波道主命(彦坐王)、川上麻須、伊福部氏、海部氏などの痕跡が色濃く残り、数多くの古墳もあるのでしょう。

神服連(かむはとりのむらじ、神服部連)は「東三河の秦氏」でかなり詳しく検討していますが、ここに出てくるはずがないと思われます。神服連海部の直は皇孫六世旦波国造、但馬国造等の祖也、を読み替えれば、天火明命6世孫の建田勢命は海部直の祖であり、丹波国造、但馬国造らの祖であるとなりそうです。

但し、「先代旧事本紀」国造本紀によれば、但馬国造は成務天皇の時代に彦坐王の5世孫である船穂足尼(ふねほのすくね)を国造に定めたことに始まるとされています。籠神社ホームページによると、海部氏の祖神彦火明命が、宿縁により現身の丹波道主命となって云々とあり、海部氏の祖は丹波道主命(=彦坐王)と示唆するような記述であることから、彦坐王の後裔が但馬国造であれば海部氏は但馬国造の祖であってもいいことにはなりますが、これには疑問を感じざるを得ません。

けれども、天火明命は彦坐王(丹波道主命)の軍勢が奉じる鏡ですから、海部氏の祖神彦火明命が、宿縁により現身の丹波道主命となっての文面は、その意味を踏まえるとある程度納得はできそうです。

次の文面には、第7代考霊天皇の時代に神服連海部直の館があり、館跡が今も川上庄海部殿垣六宮廻(とのがきろくのみやまわり)にあって、川上庄は凡そ当国の国府のはじめなるべし、とあります。海部直の実質的な初代は海部氏系図によれば海部直都比(つひ)で500年代半ば頃の人物と推定されるため、第7代考霊天皇の時代からは大きく下ります。従って、ここでも神服連海部直を建田勢命に読み替え、建田勢命の館跡(実際には海部直都比に始まる海部氏の館跡)が今も川上庄海部殿垣六宮廻にあるとの内容になります。

「京都府熊野郡誌」には、海部氏の拠点・久美浜町海士に鎮座する矢田神社に関して、海部直の祖たる建田勢命及其御子武諸隅命、和田津見命を斎き祀れるも深き由緒の存ずる所、と書かれており、海部直の館跡は建田勢命のものと史料面からは推察されます。但し、建田勢命は系図上だけの人物で実体はありません。

次に二枚目を参照ください。以下の内容が書かれています。

川上摩須郎。当国熊野郡川上の庄須郎の庄に館を造る開化天皇より崇神、垂仁の朝に至る。古事記に曰く旦波道主命娶川上摩須郎の女生御子比婆須姫渟葉田入瓊媛真野媛薊瓊入媛朝廷別王以下五柱。川上摩須郎は将軍道主の命と共に当国に有て熊野郡川上の庄に伊豆志禰の神社、丸田の神社、矢田の神社、三島田の神社を祭る。

上記から、丹波道主命(彦坐王)と川上麻須がペアになって活動していると理解されます。今まで見てきた内容からすると、川上の庄の海岸部分に丹波道主命(彦坐王)の痕跡が多く、川上谷川を遡った中上流部に川上麻須の痕跡が比較的多いようです。以上、川上の庄(現在の久美浜町)においては、川上麻須と丹波道主命(彦坐王)の存在感が圧倒的で、他には伊福部氏の痕跡があり、海士と陵神社に海部氏の姿が垣間見える構成になっていると確認されました。

ここまで川上の庄を中心に探索を進めてきました。「丹後舊事記」によれば丹後国(丹波国)の国府の始まりの場所ともされており、極めて重要なエリアだったと理解されます。けれども、「丹後舊事記」を読むと川上の庄よりさらに重要な場所が別にあるように思えてきます。

丹後において最も重要な場所には当然丹波道主命(彦坐王)や海部氏などの関与が見られるはずで、次回はそうした観点から検討を続けます。

           尾張氏の謎を解く その69に続く
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