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尾張氏の謎を解く その82


今回は智恩寺と天橋立神社を見ていきます。


智恩寺の位置を示すグーグル地図画像。

所在地は京都府宮津市天橋立文珠小字切戸で、大同3年(808年)に平城天皇の勅願寺として創建されたとのこと。


天橋立神社の位置を示すグーグル地図画像。

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智恩寺山門。

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境内側から。

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美しい姿の多宝塔。

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もう一枚。

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解説板。

500年以上前に建立され、重要文化財となっています。

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本堂(文殊堂)。

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解説板。画像サイズを大きくしています。

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巨大な宝篋印塔。

鎌倉時代のもので和泉式部の歌塚と伝えられているそうです。まあ、伝説の類に過ぎないでしょうが…。

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石造の輪。

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解説板。

「与謝郡誌」には「文殊堂境内の宮跡は今本堂の東北にある本光菴の前で、約四坪ばかりが植栽され保存されている」とありました。それがどこに当たるかチェックしてみましたが、現在は何もありません。以下の絵図を見てもそれらしきものは描かれていないようです。
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/image/PB/maiduru/zoomify/mai30_44d/mai30_44d.html

一方、天橋立図屏風には智恩寺の境内に大きな鳥居があり社殿らしき建物も見えるので、確証はありませんがこれが与佐宮跡なのでしょう。
http://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/byoubu/amanohasidate.htm

智恩寺は単なる紹介だけで終わってしまいました。次に天橋立神社を見に行きます。

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天橋立神社の鳥居。

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社殿。

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解説板。画像サイズを大きくしています。

一応豊受大神の名前はありますが、天照大神は出てきません。一方「与謝郡誌」では天照大神の与佐宮としており、豊受大神は関係なさそうです。このような状態だから「与謝郡誌」は、天照大神の内宮と豊受大神の外宮を混同する向きもあるとして、編者も困惑気味なのでしょう。ここでは、和奈佐夫婦系の海部氏が比治の里にあった豊受大神の伝承を持ち運ぶ途中、後の智恩寺となる場所に祀ったことにしておきます。ただ、天橋立神社は智恩寺の鎮守社に過ぎないようにも思えてしまいますが…。

なお、天橋立神社でネット検索するとやたらパワースポットと結び付いて出ています。天橋立神社、元伊勢籠神社、眞名井神社の順に3社を回ると全身にパワーが満ちるとのことですが、酔石亭主は目いっぱいあちこち回り続け、その後に3社を訪問したので、疲労困憊のよれよれ状態になりました。残念ながらご利益はなかったようです。パワースポット三社参りに関しては以下の天橋立観光協会ホームページを参照ください。
http://www.amanohashidate.jp/powerspot/index.html

さて、「丹後風土記逸文」には天橋立に関して以下の記述があります。

天の椅立
丹後の国の風土記にいう、―与謝の郡。郡役所の東北隅の方向に速石(はやし)の里がある。この里の海に長くて大きな岬がある。前の方の突出部を天の椅立(はしだて)と名づけ、後の方を久志の浜と名づける。そういうわけは、国をお生みになった大神の伊射奈芸(いざなぎ)命が天に通おうとして梯子を造り立てたもうた。それ故に天の椅立といった。 ところが大神がお寝みになっている間に倒れ伏した。そこで久志備(くしび、神異)であると不思議にお思いになった。それ故、久志備の浜といった。中ごろから久志というようになった。ここより東の海を与謝の海といい、西の海を阿蘇の海という。

前の方の突出部が天橋立で、後の方を久志の浜と名づける、とありますが、文殊堂と現在の籠神社一帯のどちらが久志の浜になるのでしょう?風土記逸文の文面から見る限りでは橋立の基部に当たる籠神社一帯が久志の浜で、籠神社の奥宮となる真名井神社は、別名を久志濱宮(くしはまのみや)と言います。となると、橋立の先端部側(文殊堂(智恩寺)や廻旋橋のある側)が天橋立(逸文で前の方の突出部と書かれた場所)になりそうです。

ただ知恵の輪のある辺りはかつて「九世戸の渡し」、「切戸(橋立の切れた所)の渡し」と呼ばれ、久志の渡し、奇の渡しなどとも称されていたようです。久志は峰山町の久次と同様、真名井や与佐宮と関係するので、廻旋橋のある側も久志の浜であっておかしくはありません。

           尾張氏の謎を解く その83に続く
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