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尾張氏の謎を解く その97


前回はやや強引に南宮大社と彦坐王の遠征部隊を関係付けてみました。今回は南宮大社のありようを社名から探ってみます。南宮大社の由緒によると同社の古名は仲山金山彦神社でした。社名にもなっている金山彦命に関してはもう何度も書いていますが、概略は以下の通りです。

「古事記」には、「伊邪那美(いざなみ)が火の神・火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)をお生みになったことで、陰部が焼けて病み伏せった。そのときの嘔吐(たぐり)から成った神の名は、金山毘古神(かなやまびこのかみ)、次に金山毘売神(かなやまひめのかみ)。」と記載されていました。「風土記逸文」の美濃国の条にも金山彦命について記載があります。

一方、天香山命の天下ってからの名が手栗彦(たぐりひこ)であることから、天香山命は嘔吐(たぐり)から生まれた金山彦命と密接な関係があり、鉱山の神ともされる訳です。さらに南宮大社の境内社である南大神社祭神が天火明命となっています。

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南大神社。本殿脇に鎮座しています。

社殿全体が見えているのは高山神社(重文)でその左側が南大神社(重文)となり、ここに天火明命が祀られていました。南宮大社には天香山命と表裏一体の金山彦命、尾張氏の祖神(とされる)天火明命が祀られていることから、普通に考えれば尾張氏系神社のように見えてきます。一方天火明命=鏡との視点からすると、南宮大社には鏡作神が祀られている可能性もあります。でも、境内にそれらしき摂社はありません。

この問題は一旦横に置いて、南宮大社の南宮の意味について考えてみます。神社庁の由緒によれば、南宮大社は国府の南に位置することから「南宮」と称されるようになったとのこと。それを証するかのように、平安末期に編纂された「梁塵秘抄」(りょうじんひしょう)には以下のように歌われています。(注:「梁塵秘抄」は歌謡集で編者が後白河法皇。治承年間(1180年前後)の作とされます)

南宮の本山は 信濃国とぞ承るさぞ申す 美濃国には中の宮 伊賀の国には稚(をさな)き児(ちご)の宮

上記から南宮の本山は信濃国の諏訪大社で、美濃国の南宮が中の宮となり、南宮の呼称は平安時代末期にまで遡ると確認されます。ただ、平安時代中期の「延喜式神名帳」には仲山金山彦神社と表記され、「続日本後紀」の承和3年(836年)に従五位下仲山金山彦大神とあり、その後は中山金山彦神となっています。

「日本三代実録」の貞観15年(873年)でも中山金山彦神であることから、平安時代の中期から末期にかけての時点で仲山(中山)金山彦神社の社名が南宮に変わったものと推定されます。各時期の中山金山彦神に関しては以下を参照ください。
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/220101.html

南宮大社の由緒によると、神武天皇の時代に府中で祀られたが崇神天皇の時代になって現在地に遷座し、国府の南方に位置することから南宮大社と言われるようになったそうです。しかしここまでの検討から、現在地に遷座したのは平安時代の後半以降と推定されるので、南宮と称されるようになったのは崇神天皇の時代よりずっと遅くなります。

いつの時代から南宮となったのかはさて置き、国府の南に位置するから南宮と呼称されたとの由緒はあまりにも単純すぎて疑問が湧いてきます。南宮大社はその鎮座位置や祭神からしても、鉱業や製鉄、鍛冶、冶金など金属に関係する神社です。

同社ホームページには、「全国の鉱山、金属業の総本宮として、今も深い崇敬を集めています。」と記載あることからもそれは確認されるでしょうし、金山祭は野鍛冶による鍛錬式を再現したもので、鞴祭(ふいごまつり)とも称されています。

そこに同社が南宮と呼ばれる別の視点が出てきます。南宮の名前が蹈鞴製鉄に由来すると仮定した場合、どんな視点から見るべきなのでしょう?蹈鞴製鉄において、蹈鞴炉を覆う高殿(建物)上屋は押立柱と称される4本の柱によって支えられ、その中央に炉が置かれ、炉を挟むように天秤鞴が配置されています。

押立柱の中の南の柱は五行思想に基づく火の神の座として金屋子神(金山彦神)を祀り、神聖視されていました。従って、南宮と言う社名はこの南の柱に由来していると考えられるのです。蹈鞴製鉄の詳細は以下の『「鉄山必要記事」にみるたたら製鉄』PDFファイルを参照ください。押立柱の立て方まで記載されています。
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/1853/1/mte_448_sakai.pdf

そして「鉄山必要記事」の金屋子神祭文には、高殿の四本の押立柱の南の方は金山彦ノ尊自ら守護りたまふ。と書かれています。さて、国府の南に位置するから南宮なのか、蹈鞴製鉄の南の柱に由来するから南宮なのか、一体どちらが正しいのでしょう?

酔石亭主としては、国府の南に位置すると言う理由より、南宮大社が蹈鞴製鉄と関係しており、南の柱は金山彦命を祀る神聖なものだから南宮と称されたとする方が理にかなっているように思えます。

なお南宮の本山である諏訪大社の祭神は建御名方神ですが、延喜式神名帳には南方刀美神(みなかたとみのかみ)と表記あり、同様の思想がベースになっています。従って、同社において最も有名な御柱祭は、高殿の四本の押立柱を立てることに由来していると考えられます。この観点からしても、南宮大社の社名は蹈鞴製鉄における南の柱に由来すると見て間違いなさそうです。これで一つの謎は解けました。

問題は、南宮と呼称されたのは平安時代の後半以降で、それ以前は仲山(中山)金山彦神社と記されていることです。では、中山の社名は何に由来するのでしょう?次回はより古い時代に遡って探っていきます。それにしても南宮大社は奥が深い…。

         尾張氏の謎を解く その98に続く
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