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尾張氏の謎を解く その104


前回は彦坐王の美濃・尾張遠征部隊が古代東山道の大野駅があるとされた郡家(ぐげ)まで至ったところで終わっています。郡家は根尾川のすぐ西に位置しているので当然ながら遠征部隊は根尾川を渡河します。東山道の場合、ルート上には仙道、先道と言った地名があるとされており、その他の地名や古墳なども含めるとある程度の経路を割り出していけそうです。もちろん、彦坐王の時代に東山道があった訳ではないので、大雑把なものに過ぎませんが…。

根尾川を渡ると東南方向に国領の地名が見られます。地名からすると東山道はこの方角に進んでいるように思えます。


国領の位置を示すグーグル地図画像。

国領の東側には政田の地名があり、ここにはかつて仙道の地名が存在していたとのこと。教育委員会文化財保護センター ホームページには政田仙道上遺跡発掘の記事がありました。詳細は以下を参照ください。ただこれは中世の遺跡のようです。もっと掘れば古代の遺跡が出るかも…。
http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku-bunka-sports/shakaikyoiku/kankeikikan/bunkazai-hogo/chosa_dayori/150512-dayori.html

東山道に関しては以下の本巣市ホームページを参照ください。
http://www.city.motosu.lg.jp/life/kyouiku/culture_asset/shiseki/

東山道跡の記事のみを以下に引用します。

(東山道は)山地帯を通じていたので「仙道」ともいった。仙道上、仙道下という地名はその名残である。かつてはこの道を都へ税や商品を運んだり、役人が馬に鈴を鳴らしながら往来したという。現在、農道が舗装されているが、道筋は旧のままである。

政田には仙道上、仙道下の地名が存在しているとのことです。うんと大雑把に見れば、現在の159号線にほぼ沿う形で東山道が通っていたと想定されます。159号線は糸貫川の手前で157号線となります。根尾川と糸貫川の間に彦坐王の痕跡となりそうなものがないでしょうか?159号線の南側には53号線が通っており、真桑小の南には宗慶大塚古墳があります。


159号線、真桑小、53号線を示すグーグル地図画像。

前回で見てきた上磯古墳群と同様、彦坐王の遠征部隊と関係があるかもしれません。早速行ってみましょう。


宗慶大塚古墳の位置を示すグーグル画像。

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宗慶大塚古墳です。

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頂上部への道。

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頂上の田辺神社。

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解説板。画像サイズを大きくしています。

3世紀後半の築造と書かれています。卑弥呼の時代のすぐ後に、美濃において全長63メートルの古墳が築造されたのでしょうか?不破関を過ぎてから東に進むルート上には昼飯大塚山古墳、粉糠山古墳など数多くの古墳が存在しますが、その多くは4世紀後半から5世紀前半にかけての築造とされています。突然3世紀後半が出てきても、ちょっと信じられないような気もしますが…。なお、岐阜県養老郡養老町橋爪の象鼻山古墳群は弥生時代の2世紀半ば頃から築造が始まったとされています。場所は南宮神社の鎮座する南宮山南東の端となります。


南宮大社、南宮山、象鼻山の位置を示すグーグル画像。

IMG_0657_convert_20151011083407.jpg
もう一つの解説板。画像サイズを大きくしています。

東山道を移動する中で、ようやく彦坐王に関係する名前が出てきました。但し、古墳の被葬者は彦坐王の子とされる神大根王(かむおおねのみこ)の子孫と推定されているようです。古墳の築造年代が3世紀後半で、被葬者が神大根王の子孫であれば4世紀後半となり辻褄が合いません。困りましたね。

あれこれ調べてみると、本巣市となる前の真正町教育委員会は4世紀後半から5世紀前半に築造されたと推定される前方後円墳としており、美濃国造神大根王(開化天皇の皇子日子坐王の子)の墓に想定する説もあるとしています。

Wikiを見ても同様の記述となっており、酔石亭主としてはこちらの説を採りたいと思います。築造年代が4世紀後半で彦坐王の子である神大根王の墓とすれば、ほぼ完全に整合性のある内容となります。これで、東山道に沿った辺りに彦坐王に関係する痕跡があったことになります。

東山道をさらに進みましょう。糸貫川を渡ると仏生寺に入りますが、ここにも仙道の地名があったそうです。仏生寺からさらに東に進むと、西改田先道の地名がありました。その少し西側には北方町芝原東公園があり、「糸貫町仏生寺の高砂町の小字名に東仙道、仙道上、仙道南の地名があるのは東山道のあったことを物語っている」と書かれた解説板もあるようです。(注:ストリートビューで解説板をチェックしましたが、文字が判別できない状態のようです)


西改田先道の位置を示すグーグル地図画像。

ここから東山道は北東へと進路を変えて岐阜市内に入ります。アルプス社の古い地図帳を見ていたら、岐阜市正木に仙道の地名が出ていました。


一帯を示すグーグル地図画像。

洋服の青山岐阜正木店の77号線を挟んで北側の区画が仙道になっています。東山道はここから鷺山の北側を通り徐々に南に下っていきます。ほぼ76号線に沿っているのかもしれません。


一帯を示すグーグル地図画像。

地図上では長良高校前を抜け長良雄総に至ります。一般的には長良高校から長良雄総にかけてのどこかに東山道の方県駅(かたがたえき)があったと考えられています。


長良雄総一帯を示すグーグル画像。

長良川の渡河地点は長良雄総の少し東辺りになると思われます。その対岸は山に挟まれた狭い平地となっており、ここを通り抜けるのが最も合理的と思われるからです。(注:別の場所の可能性もあるので後の回で検討します)また、上記地図画像の「拡大地図を表示」をクリックいただくと、長良雄総の北東に長良志段見(ながらしだみ)と言う地名があるのがかなり気になります。


対岸の山に挟まれた平地一帯を示すグーグル画像。

対岸に上陸した東山道は日野小辺りを南下していったものと思われます。さて東山道の経路を追っていますが、彦坐王の遠征部隊はこの経路に必ずしも沿ってはいないと思われます。鷺山辺りから東山道に沿って徐々に南下するのではなく、徐々に北上したものと推定されるので次回で検討してみます。

今回までは単に東山道の経路を辿って来ただけなので、比較的簡単に書くことができました。けれども、ここから先は一筋縄ではいかず難問が続出しそうなので、尾張氏の謎解きは一旦小休止と致します。再開までの間はまた建物探訪などの記事を書く予定です。

         尾張氏の謎を解く その105に続く
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